和気神社は、岡山県和気郡和気町に位置する由緒ある神社で、旧社格は県社に指定されています。この神社は、和気氏の発祥の地であり、また和気清麻呂の生誕地でもあることから、和気氏の氏神として崇敬を集めています。
鐸石別命(ぬでしわけのみこと)
和気氏の遠祖であり、和気神社の主神として祀られています。
弟彦王(おとひこおう)
鐸石別命の曾孫であり、和気清麻呂の祖先です。
和気清麻呂命
奈良時代の著名な公人で、道鏡事件での活躍で知られています。
和気広虫姫命
和気清麻呂の姉であり、多くの孤児を育てた慈愛の象徴として崇められています。
佐波良命(さわらのみこと)
和気清麻呂の高祖父であり、祖先として祀られています。
伎波豆命(きはずのみこと)
和気清麻呂の曾祖父であり、祖先として祀られています。
宿奈命(すくなのみこと)
和気清麻呂の祖父であり、祖先として祀られています。
乎麻呂命(おまろのみこと)
和気清麻呂の父であり、祖先として祀られています。
応神天皇
日本の歴史において重要な役割を果たした天皇であり、相殿に祀られています。
和気神社の起源は、和気氏の遠祖である鐸石別命を氏神として祀ったことに始まります。創建年代は明らかではありませんが、天正19年(1591年)には社殿が水害に遭い、現在地に遷座されました。明治42年(1909年)には、和気氏の祖先である弟彦王や和気清麻呂、和気広虫姫が祭神として新たに加えられました。また、大正3年(1914年)には「和気神社」と復称され、大正8年(1919年)には応神天皇を相殿に祀ることで県社に列しました。
和気神社の境内には、多くの歴史的・文化的価値の高い建造物や彫刻が存在します。明治18年(1885年)から順次建て替えられた本殿、幣殿、釣殿、拝殿、随神門は、宮大工である田淵勝義の手によるもので、和気町指定文化財に指定されています。
和気神社の拝殿前には、全国的にも珍しい狛猪が配置されています。この狛猪は、和気清麻呂が宇佐神宮を参拝した際に護衛を務めた猪に由来しています。猪は清麻呂の足を患った際に霊泉に導いたとも伝えられ、清麻呂の守護として崇められています。
随神門は、明治28年(1895年)に造営されました。門の左右には、随身の姿をした守護神像が安置されており、神社の重要な入口としての役割を果たしています。
広虫姫卒去千二百年を記念して、平成10年(1998年)に建立された石像です。広虫姫は多くの孤児を育てた慈愛の象徴であり、その功績が讃えられています。
平成2年(1990年)に和気神社崇敬会「国造会」によって奉納された石像で、和気清麻呂の偉業を称えています。
昭和37年(1962年)に建てられた茶室で、「もみじまつり」などの際には、お茶会が開催されます。
和気神社に隣接する藤公園は、「日本一の藤公園」として知られ、季節になると多くの行楽客で賑わいます。また、神社を取り囲む山には約2,000本の紅葉が生育しており、毎年11月には「もみじまつり」が開催されます。
和気氏(わけうじ)は、岡山県和気郡(古くは藤野郡)を本拠地とする豪族であり、垂仁天皇の皇子・鐸石別命を祖としています。奈良時代には、和気広虫と弟の和気清麻呂が朝廷に進出し、和気氏の名を全国に広めました。清麻呂の子孫である広世は、学者として朝廷に仕え、学問を重んじた和気氏は多くの文化的貢献を果たしました。
和気神社は、JR山陽本線和気駅からタクシーで約15分の場所に位置しています。周辺には藤公園や芳嵐園といった観光スポットがあり、四季折々の自然を楽しむことができます。また、歴史民俗資料館も併設されており、和気町の歴史や文化に触れることができます。
和気神社の宮司を務める小森家は、和気清麻呂の末裔と伝えられています。清麻呂の姉である広虫姫が孤児を育てたことに因み、孝明天皇から「小森(子守)」の姓を賜ったと伝えられています。