岡山県備前市にある伊部の町は、日本六古窯の一つとして知られる備前焼の里です。JR伊部駅を降りると、すぐにその風情ある町並みが広がります。赤レンガの煙突が立ち並ぶ風景や、随所に備前焼が使用されている案内看板やバス停の屋根瓦など、焼き物の町ならではの情景が訪れる人々を迎えます。
旧山陽道沿いには、江戸時代の風情を今に伝える多くのギャラリーや工房が連なり、備前焼の伝統的な作品から新感覚の作品まで、多彩な陶器が並んでいます。千年の歴史を持つこの町をゆっくりと歩きながら、自分だけのお気に入りの備前焼を見つけることができるのも、この町の大きな魅力です。
備前焼の陶郷である伊部の町には、レンガでできた赤い煙突や土塀をめぐらした家屋など、古い町並みが今も残されています。ここには、伊部南大窯跡をはじめ、天保窯跡、北大窯跡などの窯跡が点在しており、備前焼の歴史とその隆盛を今に伝える名所が多数あります。
また、狛犬や参道、屋根瓦などにも備前焼が用いられた天津神社や、陶工たちに信仰された忌部神社など、地域に根付いた信仰や文化もこの町の特徴です。旧山陽道沿いに立ち並ぶ窯元やギャラリー、JR伊部駅併設の備前焼伝統産業会館など、備前焼に関する見どころが豊富で、訪れるたびに新しい発見があります。
伊部南大窯跡は、室町時代から江戸時代にかけて備前焼を焼成するために使われていた共同窯跡です。3基ある窯跡の中でも、東窯跡は国内最大規模といわれ、その壮大さに驚かされます。この窯跡を訪れることで、備前焼の最盛期である室町時代の伊部の町に思いを馳せることができます。
伊部の町を一望することができる絶景スポットが、宮山展望台です。忌部神社に参拝し、境内から右手の山道を30メートルほど登ると、備前焼の里・伊部の全域を見渡すことができ、国史跡・南大窯跡も眼下に広がります。
備前焼(びぜんやき)は、岡山県備前市周辺で生産される陶磁器で、日本六古窯の一つに数えられます。備前市伊部地区で特に盛んに作られていることから、「伊部焼(いんべやき)」とも呼ばれています。この地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は、備前焼の窯のものであり、その風景は町の象徴ともいえるものです。
備前焼の起源は古墳時代から平安時代にかけての須恵器にまで遡ります。備前市南部から瀬戸内市、岡山市内にかけて点在する須恵器窯跡は、「邑久古窯跡群」と呼ばれ、これが現代の備前焼に発展していきました。
8世紀になると、備前市佐山に窯が築かれ始め、12世紀には伊部地区で本格的な窯の建設が進み、独自の発展を遂げていきました。鎌倉時代には、還元焔焼成による焼き締め陶が焼かれ、鎌倉時代後期には酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が生産されるようになりました。
備前焼は、特に室町時代から桃山時代にかけて、茶道の発展とともにその人気を高めましたが、江戸時代に入ると茶道の衰退とともに一時期衰えることもありました。しかし、明治・大正時代には再び復興の兆しを見せ、昭和に入ると金重陶陽らによって芸術性が高められ、備前焼は再びその地位を確立しました。
備前焼の最大の特徴は、その独特な土味と赤みを帯びた堅い質感にあります。釉薬を一切使わず、「酸化焔焼成」によって焼き締められるため、ひとつとして同じ模様がない「窯変」と呼ばれる特徴的な風合いが生まれます。この焼成技法により、茶器や酒器、皿など多くの種類の器が生産されており、その素朴で飽きのこないデザインが多くの人々に愛されています。
備前焼の地肌は、「田土(ひよせ)」と呼ばれるたんぼの底から掘り起こした土や山土、黒土を混ぜ合わせた鉄分を多く含む土を使用して焼かれることで現れます。この土の配合比率や寝かせる期間などにより、備前焼特有の色合いや質感が生み出されます。これにより、熟練の技が求められる陶器となっており、人間国宝の一人である金重陶陽は、10年寝かせた土を使用して作品を作り出していました。
備前焼の窯変には、さまざまな種類があります。
備前陶器窯跡(びぜんとうきかまあと)は、岡山県備前市伊部に位置する室町時代後期から江戸時代末期にかけての窯群の跡です。この窯跡は、昭和34年(1959年)に国の史跡に指定され、その後、平成21年(2009年)には伊部南大窯跡、伊部西大窯跡、伊部北大窯跡が追加指定されました。
鎌倉時代より、生活の変化に伴って、堅く強い実用的な器が求められるようになり、これに応じて備前焼の生産が始まりました。備前焼は壺や甕、すり鉢などを生産し、次第に全国に販路を広げるようになりました。室町時代後期には、共同窯として大窯が築かれ、大量生産が可能となりました。
江戸時代には、岡山藩の池田家の管理下に置かれた大窯は、茶の湯文化の発展とともにその最盛期を迎えましたが、江戸時代中期以降、各地で陶磁器が焼かれるようになると、次第に備前焼の需要が減少し、大窯の衰退が進みました。
JR赤穂線伊部駅の南方約200メートルの榧原山北麓に位置する伊部南大窯跡は、東窯、中央窯、西窯の3基から成ります。東窯は全長約54メートル、幅約5メートルで全国でも最大規模を誇ります。ここでは、主に壺や甕、徳利、すり鉢などの日用雑器が焼かれていました。
伊部駅の北西約600メートルの医王山東麓に位置する伊部西大窯跡は、3基の窯跡が確認されています。最大の窯は全長約40メートル、幅約4メートルで、南大窯と同様に主に壺や甕、徳利、すり鉢などの日用雑器が焼かれていました。昭和51年(1976年)に備前西大窯跡として備前市の史跡に指定され、その後、国の史跡となりました。
伊部駅の北約300メートルの不老山南麓に位置する伊部北大窯跡には、4基の窯跡が確認されています。そのうちの1基は全長約45メートル、幅4.7メートルで、天津神社から忌部神社へ至る道によって分断されています。この窯跡は、室町時代後期に築かれたとされています。昭和46年(1971年)に備前北大窯跡として備前市の史跡に指定され、その後、国の史跡となりました。
このように、備前焼の里・伊部の町は、歴史的な窯跡や美しい町並み、そして独特の風合いを持つ陶器が数多く存在する魅力的な場所です。訪れるたびに、新たな発見と感動が待っています。