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人穴

(ひとあな)

神秘と伝説宿る溶岩洞穴

富士山の噴火でできた溶岩洞穴の一つであり、かつては富士信仰の修業の場として重要な役割を果たしていました。

人穴は富士山の中心から西に約12kmの位置にあり、富士山の一部である犬涼山の端に存在します。

人穴洞穴の主洞は高さ1.5メートル、幅3メートル、奥行き約80メートルで、溶岩が作った洞穴の壁に肋骨や乳房のような岩の突起があることから「人穴」と呼ばれています。

さらに最奥部から細い穴が伸びており、伝説によれば神奈川県の江ノ島に通じるとされています。

また、人穴富士講遺跡は、人穴にある富士講に関連する史跡群です。この遺跡は国の史跡に指定されており、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の一部としても登録されています。

人穴洞穴

洞穴は富士山の噴火によってできた溶岩洞穴です。洞穴内には祠と碑塔3基、そして石仏4基が建てられています。入洞口は南西の端にあり、中央部でくの字型に曲がっています。

入口から約20メートルの位置には祠があり、30メートルの曲がり角手前中央には直径約5メートルの溶岩柱があります。

洞穴の最奥部までは約80~90メートルで、その先は閉塞していると考えられています。

一部区間では安全対策を施しており、入洞が可能ですが、洞穴内に入る場合は事前に申込が必要です。文化財保護と安全上の理由から、無断で洞穴に入ることは避けてください。

富士信仰

人穴は角行という人物が16世紀から17世紀にかけて修行を行い、浅間大菩薩から啓示を受け、またその地で亡くなったと伝えられています。

『吾妻鏡』によると、「浅間大菩薩(浅間大神)の御在所」とされていた場所です。

この地は角行が浄土と考えたため、富士講の信者たちも聖地として崇めるようになり、参詣や修行が行われました。

多くの信者は吉田口登山道を利用し、吉田と人穴を結ぶ中道往還が利用されていたと考えられています。ただし、富士講の衰退に伴い、碑塔の建設は1964年以降行われていないようです。

人穴富士講遺跡

人穴富士講遺跡は人穴浅間神社の境内に位置しており、長さ約83メートルの溶岩洞穴「人穴」と富士講講員が建立した200基を超える碑塔などが見られます。

また、甲州街道や山梨県郡内地方に通じる郡内道(人穴道)がここを通っていた歴史的な道でした。

『吾妻鏡』には人穴探検の様子が描写されており、後に「人穴草子」としてまとめられて近世には広く普及しました。

同書には人穴が「浅間大菩薩の御在所」と記され、当時人穴が富士山信仰に関連する重要な場所だったことがうかがえます。

江戸の富士講の開祖である長谷川角行は永禄元年(1558年)に、人穴を浄土と呼び、内部で修行し、仙元大日神の啓示を受けたとされています。

彼の教えは江戸時代中期以降に広まり、江戸を中心に多くの富士講が結成されました。

角行は人穴で亡くなったため、人穴は富士講の浄土とされ、信仰の対象となりました。

多くの講員が参詣や修行のために人穴を訪れ、先達の供養碑や記念碑が建てられることもありました。

また、富士講の信者たちは富士山登山後に人穴を参詣し、宿泊したとされています。現在でも洞内には当時の人々が作ったとされる石仏が安置されています。

興味深いことに、富士山の中心から東に約12kmの位置には東口本宮冨士浅間神社があり、人穴と同神社の緯度も距離も同じで、富士山を挟んで正反対の位置にあることになります。

人穴付近には「冨士浅間大神」と記載された碑があり、少し離れた森の中には大日堂が存在します。また、人穴内部にも浅間大神の碑があります。

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によれば、将軍源頼家が富士の狩倉で巻狩を行った際に人穴を新田忠常(仁田忠常)に調査させています。

その後、忠常が洞内で災難に遭った出来事が記されており、「これは浅間大菩薩の御在所である」との記述がありました。

人穴浅間神社:

全国にある浅間神社の一つで、正式名は「人穴」が付かず浅間神社です。

かつては、人穴には光侎寺(こうきゅうじ)大日堂があったと伝えられています。この寺は修行者の世話をする施設であり、赤池家が管理していました。

赤池家は人穴やその周辺を管理し、参詣者の案内や修行者の世話、お札・御朱印の授与、碑塔建立の世話などを行っていました。

明治初年の神仏分離令・廃仏毀釈により、光侎寺は廃寺となり、代わって人穴浅間神社が建てられました。

しかし、昭和17年(1942)には少年戦車兵学校の開校に伴い地区の山野が軍の演習地として接収され、人穴浅間神社は周辺住民とともに移転し、復興されました。

富士講の衰退に伴い、碑塔の建立は昭和39年以降行われなくなりました。現在の社殿は平成13年に建立されたものです。

主祭神は富士山本宮浅間大社と同じくコノハナノサクヤビメの他に、角行と徳川家康を祀っています。

一部では人穴を管理する神社と見られています。かつては明治以前は寺院であり、境内には現在も大日堂が残っています。

境内には、富士講信者たちが多数埋葬された墓碑が300以上あるとされています。角行の墓碑の他、食行身禄や村上光清に関連する墓碑も多く見られます。

碑塔群

人穴浅間神社の境内地には、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在します。18世紀中頃から、江戸を中心に富士講が隆盛し、人穴が霊地(西の浄土)として信仰されるようになりました。

18世紀末以降、現在の東京都・埼玉県・千葉県を中心とした関東地方の富士講信者たちによって、「墓碑供養碑」「祈願奉納碑」「顕彰記念碑」などが建立されました。

これらの碑塔は講(枝講)ごとにまとまって建てられており、刻銘から各講の歴史や構成地域を知ることができます。

江戸下町の地名が6割近くを占めるものがありますが、逆に静岡県内の地名が見られるのは1基だけです。

その中で最も古いとされる碑塔は、洞穴内に位置する1664年(寛文4年)に建立されたもので、富士山の構成立前のものとされています。

碑塔群には角行の供養碑なども含まれており、祈願奉納碑が35基、顕彰祈念碑が7基、墓碑供養碑が188基、道標が1基です。

講ごとにまとまった形で建立されたこれらの碑塔から、各講の歴史や構成地域を知ることができます。現在は碑塔群内への立ち入りはできません。

Information

名称
人穴
(ひとあな)
Hitoana (volcanic cave)
リンク
公式サイト
住所
静岡県 富士宮市 人穴206
電話番号
0544-22-1155
営業時間

入洞
現地ガイドの同伴なしでの入洞はできません
現在、入洞予約の受付を中止中

定休日

年中無休

料金

無料

駐車場
無料
アクセス

JR身延線 富士宮駅から車で約40分
東名 富士ICから車で約50分

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