岐阜城は、岐阜県岐阜市の金華山(標高329メートル)にあった山城で、鎌倉時代からの長い歴史を持ちます。この城は、1567年に織田信長が小牧山から本拠地を移し、整備を進めたことでも知られています。現在、金華山の山上には1956年に再建された三重四階の模擬天守と岐阜城資料館があり、これが訪問者を迎え入れています。
岐阜城の模擬天守の内部は、郷土資料館として機能しており、最上階は展望台として利用されています。この展望台からは、長良川や岐阜市街を一望できる絶景が楽しめます。各階は以下のように構成されています:
室町時代には、この城は「稲葉山城」と呼ばれ、美濃守護の土岐氏の家老である斎藤氏の居城でした。天文年間には斎藤道三が入城し、修築を行い、井ノ口城とも称されました。道三の後、斎藤義龍と斎藤龍興が続きますが、永禄10年(1567年)に織田信長が稲葉山城を攻略し、本拠を尾張の小牧山城から移しました。
信長は、ここで「天下布武」の朱印を用い始め、本格的に天下統一を目指しました。この城や麓にある町を「井口」から「岐阜」へと改名し、「岐阜城」と呼ばれるようになったのです。信長の家族や人質がこの山頂に住んでいました。
天正4年(1576年)、信長は安土城へ移り、その後、岐阜城の城主は織田信忠、織田信孝、池田元助、池田輝政、豊臣秀勝、織田秀信と続きました。しかし、慶長6年(1601年)、徳川家康によって岐阜城は廃城となりました。
現在、岐阜城跡には金華山ロープウェーが通じており、多くの登山道が整備されています。登山道の途中には砦跡や石垣などの遺構を見ることができ、登山を楽しむ人々にとって魅力的な場所となっています。金華山は、山上や山腹からの夜景が美しいことで有名です。
西側の山麓には織田信長公居館跡が残る岐阜公園が整備されており、園内には「信長の庭」や信長像があります。これらの施設は「都市景観100選」と「日本の歴史公園100選」に選ばれています。
岐阜城は、美濃国井之口の稲葉山に位置し、元は稲葉山城と呼ばれていました。鎌倉時代からの長い歴史を持ち、戦国時代には斎藤道三が城を修築しました。その後、1567年の稲葉山城の戦いで織田信長が城を奪取し、本拠地を移しました。この城は、信長が天下統一を目指す拠点として重要な役割を果たしました。
近年の調査により岐阜城の歴史的価値が見直され、2011年には岐阜城跡(山頂の城跡および山麓の織田信長公居館跡を含む)が国の史跡に指定されました。その範囲は現在の国有林の範囲に符合します。
1956年に再建された模擬天守は、鉄筋コンクリートで建てられ、往年の天守を模したものです。岐阜市による発掘調査が進行中であり、山麓にあった庭園の復元計画も進められています。
岐阜城は、織田信長の歴史的な足跡を辿る上で非常に重要な場所です。現在も多くの観光客が訪れ、その歴史的価値を再確認しています。岐阜城は、美しい自然と歴史的遺産が融合した場所として、これからも多くの人々に愛され続けるでしょう。
3月16日~5月11日 午前9時30分~午後5時30分
5月12日~10月16日 午前8時30分~午後5時30分
10月17日~3月15日 午前9時30分~午後4時30分
無休
大人(16歳以上)200円
小人(4歳以上16歳未満)100円
JR岐阜駅または名鉄岐阜駅からバスで15分 → 「岐阜公園歴史博物館前」から徒歩で3分 → 金華山ロープウェー山麓駅からロープウェイで3分 → 金華山ロープウェー山頂駅から徒歩で8分