大仏建立の経緯と38年にわたる歩み
岐阜大仏の建立は、江戸時代後期の寛政年間に始まりました。正法寺の第11代住職・惟中和尚は、相次ぐ大地震や大飢饉によって多くの人々が亡くなったことを深く悲しみ、犠牲者の菩提を弔うため、大釈迦如来像の建立を決意しました。
1791年(寛政3年)頃から、大仏の制作に用いる経本を集め始めました。しかし、必要な経本をそろえることは容易ではなく、各地で托鉢を行いながら、地道に集め続けたと伝えられています。
1800年には大仏殿が完成し、大仏の頭部も造られていました。しかし、1815年(文化12年)に惟中和尚が亡くなったため、建立事業はいったん中断します。その後、第12代住職の肯宗和尚が志を引き継ぎ、1832年(天保3年)4月、ついに大釈迦如来像が完成しました。
こうして、発願から完成まで約38年を費やした岐阜大仏は、幾多の困難を乗り越えて生まれた、信仰と人々の願いの結晶となりました。
日本最大級の乾漆仏を支える独特の技法
岐阜大仏の大きな特徴は、乾漆という技法を用いて造られていることです。一般的な木彫仏や石造仏とは異なり、木材や竹、粘土などで骨格を組み立て、その上に経典を書き写した美濃和紙を貼り重ね、漆を塗って金箔で仕上げています。
大イチョウを芯柱にした構造
大仏の中心には、周囲約1.8メートルの大イチョウが芯柱として用いられています。骨格は木材で組み、外側を良質な竹材と粘土で形作るという、独特の構造が採用されました。
その表面には、経典を書いた美濃和紙が糊で丁寧に貼られ、漆と金箔によって荘厳な姿に仕上げられています。こうした工法から、岐阜大仏は「籠大仏」とも呼ばれています。
四万巻もの経典が込められた大仏
岐阜大仏の制作には、約4万巻に及ぶ経典が用いられたと伝えられています。経典は住職が読経しながら一枚一枚貼り付けたとされ、仏像そのものに人々の祈りが込められています。
大仏の壮大な姿だけでなく、建立に携わった人々の信仰心や、当時の技術を今に伝える工法にも注目すると、より深くその価値を感じられるでしょう。
胎内に安置された薬師如来像
岐阜大仏の胎内には、薬師如来像が安置されています。この像は、かつて美濃国厚見郡革手、現在の岐阜市正法寺町にあった霊正山正法寺の本尊だったと伝えられています。同寺は、室町時代にこの地域を治めた土岐氏の氏寺でしたが、現在は廃寺となっています。
薬師如来像には、平安時代の僧・円仁(慈覚大師)が造ったという伝承があります。岐阜大仏とともに、地域に伝わる信仰や歴史を感じさせる貴重な存在です。
岐阜大仏 正法寺の見どころ
岐阜大仏を訪れた際には、まず大仏殿に入って、その圧倒的な大きさと穏やかな表情をじっくりと眺めてみましょう。金箔に包まれた大仏の姿は荘厳でありながら、どこか親しみやすさも感じさせます。
また、乾漆仏ならではの構造や、美濃和紙に経典を書いて貼り重ねた制作方法にも注目です。大仏の歴史を知ることで、単に大きな仏像を鑑賞するだけではなく、長い年月をかけて受け継がれてきた信仰と文化に触れられます。
岐阜公園周辺の観光と組み合わせて訪れるのもおすすめです。岐阜の歴史や仏教文化に親しみながら、静かな大仏殿で心落ち着くひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。