日本を代表する古社
古代の信仰と国家的役割
住吉大社は、上町台地の基部西端に位置し、大阪湾を臨む位置に鎮座しています。海の神である筒男三神と 神功皇后を祭神として祀るこの神社は、古墳時代から外交の要港である住吉津・難波津と関係が深く、 航海の守護神としての役割を果たしてきました。
古代には遣唐使船にも祀られる国家的な航海守護の神として崇敬され、平安時代には和歌の神として朝廷や貴族からも 信仰を集めました。当時、神社は海辺に面しており、海との結びつきが深いものでした。
庶民からの崇敬と文化財
江戸時代には広く庶民からも崇敬を集め、摂津国の一宮として大阪を代表する神社となりました。 本殿4棟は「住吉造」と呼ばれる古代日本の建築様式で国宝に指定されているほか、 幣殿、石舞台、高蔵などの多くの建物が国の重要文化財に指定されています。
さらに、数少ない古代文書の一つである『住吉大社神代記』も国の重要文化財に指定されています。 また、木造舞楽面など多数の文化財が大阪府の指定文化財となっています。
祭神
現在、住吉大社には次の4柱の神々が祀られています。それぞれの神は4つの本宮に祀られています。
4柱の祭神
- 第一本宮:底筒男命(そこつつのおのみこと)
- 第二本宮:中筒男命(なかつつのおのみこと)
- 第三本宮:表筒男命(うわつつのおのみこと)
- 第四本宮:神功皇后(じんぐうこうごう)
特に筒男三神は「住吉大神」と総称され、「住江大神」や「墨江三前の大神」とも呼ばれています。 また、これらの神々は日本神話の中で重要な役割を果たし、神功皇后の新羅征討の際に登場しています。
建築と文化財
住吉造の特徴
本殿の建築様式「住吉造」は、日本建築史においても非常に重要な位置を占めています。 直線的な屋根や柱の構造が特徴的で、古代日本の建築美を現代に伝える貴重な文化財です。
重要文化財と伝統行事
住吉大社では、毎年さまざまな伝統的な神事が行われています。中でも「御田植神事」は、 国の重要無形民俗文化財に指定されており、全国的にも知られる代表的な行事の一つです。 また、「夏越大祓神事」は大阪府選択無形民俗文化財に選ばれています。
社名の由来
住吉大社の社名は、古代には「住江」「墨江」「清江」などと表記されており、平安時代以降には 「住吉」が一般化しました。この「住吉」の語義については、「清らかな入り江」を意味するとする説が 有力とされています。
また、『摂津国風土記』逸文によれば、筑紫からお連れした住吉神がこの地に住むと言ったため、 神功皇后が「真住吉住吉国」と称えたことに由来するとされています。
住吉大社の歴史
古典に記された住吉大社の始まり
『日本書紀』神功皇后摂政前紀によると、住吉三神(筒男三神)は神功皇后の新羅征討を成功に導くために託宣を下しました。その後、神功皇后摂政元年に住吉三神の和魂が「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」に祀られるようになったとされています。
『住吉大社神代記』によれば、住吉三神は「渟中椋長岡玉出峡(ぬなくらのながおかのたまでのお)」に住むことを望み、神功皇后はこの地を住吉大社として祀りました。この地に住んでいた手搓足尼(田裳見宿禰)が最初の神主とされています。
歴史的考証と通説
通説では「大津渟中倉之長峡」が現在の住吉大社の地とされています。一部の説では兵庫県東灘区を創建地とする意見もありますが、多くの研究者は住吉大社の地をその創建地と考えています。
歴史の流れ
古代
『日本書紀』には住吉大社が遣唐使の守護神として信仰されていたことが記されています。天平5年(733年)には住吉大社を詠んだ和歌が『万葉集』に収録されており、古くから文化的な重要性を持っていました。
平安時代には、延喜式神名帳で名神大社に列し、朝廷の重要な祭祀の場として認められました。さらに、和歌の神としても信仰され、『源氏物語』や他の文学作品にもその名が登場します。
中世
鎌倉時代には武士階級からの崇敬を受け、源頼朝が住吉大社に奉幣を行った記録があります。また、南北朝時代には後村上天皇が住吉大社を行宮とし、一時期住まいとしていました。
室町時代には足利将軍家からの崇敬も受けましたが、戦乱の影響で社勢が衰退することもありました。
近世
豊臣秀頼による社殿の再興は住吉大社の歴史において重要な出来事です。江戸時代には、徳川幕府や西国の大名、さらには庶民からの厚い信仰を集め、松尾芭蕉や井原西鶴といった著名人も参詣しました。
近代以降
明治維新以降、住吉神社として官幣大社に列せられ、戦後には「住吉大社」に改称されました。現在でも、日本の歴史と文化を象徴する神社として多くの参拝者を迎えています。
境内の特徴
住吉大社は、大阪市住吉区に位置する壮大な神社で、その境内は約3万坪の広さを誇ります。上町台地の西端にあり、かつては海に面していたと伝えられます。明治期には、西方に位置する住吉高燈籠から先に海が広がっていました。
現在の境内は西側に正面参道、南側に東西楽所と石舞台、東側に高蔵や摂末社群、北側に旧神宮寺跡や摂社大海神社などが配置されています。また、国宝である本殿4棟をはじめ、貴重な石造物や池、神田、老樹なども数多く残されており、その歴史的価値が高く評価されています。境内全体が大阪市指定史跡に指定されています。
本宮
本殿の特徴
本殿(国宝)は、江戸時代後期の文化7年(1810年)に造営された4棟からなります。「住吉造」と呼ばれる古代日本独自の建築様式が採用されており、神明造、大社造、大鳥造と並んで飛鳥時代まで遡る最古の様式とされています。
各本殿は、西から東に第三本宮、第二本宮、第一本宮が縦一列に並び、第三本宮の南側には第四本宮が配されています。それぞれの本殿には主祭神が1柱ずつ祀られています。
建築の詳細
本殿の建物は桁行四間、梁間正面三間・背面二間で切妻造、妻入の構造を持ちます。屋根は檜皮葺で直線的な形状をしており、屋根上には千木と鰹木が乗っています。各本殿の鰹木は5本で、千木の削り方が第一本宮から第三本宮では外削ぎ、第四本宮では内削ぎとなっています。
内部は前後2室に分かれた設計で、古代の宮殿の間取りを想起させる様式です。建物全体が朱塗りと白塗りで装飾され、歴史的な風格を感じさせます。
幣殿と渡殿
各本殿の前面には幣殿と渡殿があり、いずれも江戸時代後期の造営です。幣殿は割拝殿形式で、第一本宮の幣殿は桁行五間、梁間二間と広く、中央の馬道を拭板敷としています。一方で、第二本宮以降の幣殿は桁行三間で、やや小ぶりな造りになっています。
渡殿は「間ノ廊下」とも称され、本殿と幣殿をつなぐ役割を果たしています。これらの建築群は、それぞれ国の重要文化財に指定されています。
本宮以外の社殿
高蔵
第一本宮の裏手には、北高蔵と南高蔵の2棟が建てられています。これらは桃山時代の慶長12年(1607年)の造営で、大阪府内の指定文化財の中で最古の高床倉庫です。釘を一切使用せずに建てられており、「釘無宝庫」とも称されています。
南門と楽所
境内南側には、南門と東西楽所があります。これらも慶長12年に豊臣秀頼によって再建されたもので、南門は四脚門形式で、桃山時代の建築様式が色濃く残っています。東西楽所は、神事に関連する施設として重要な役割を果たしています。
その他の見どころ
住吉文華館
本宮北方に位置する住吉文華館は、昭和52年(1977年)に建設され、神宝を収蔵する施設です。その東側には「大阪最古の図書館」と称される御文庫があります。享保8年(1723年)に建てられたこの建物には、約5万冊に及ぶ書籍が奉納されています。
神館
境内南寄りに建てられた神館は、大正4年(1915年)に大正天皇の即位を記念して建立されました。その優雅な外観は、訪れる人々を魅了します。
角鳥居
住吉大社の参道にある角鳥居は、独特の四角柱が特徴的で「住吉鳥居」とも称されます。有栖川宮幟仁親王による筆で書かれた扁額「住吉神社」が掲げられ、その格式高い雰囲気が印象的です。
反橋(太鼓橋)
池に架けられた反橋(そりはし)は、住吉大社の象徴ともいえる存在です。この橋は「太鼓橋」とも呼ばれ、高さ4.4メートルとアーチ状の優美な形が特徴です。現在の橋は昭和56年(1981年)に再建されたものですが、石造部分は慶長年間(1596年 - 1615年)に豊臣秀頼または淀殿によって造営されたものとされています。
石舞台
第一本宮の南側に位置する石舞台は、池に架かる石造桁橋の上に築かれた舞台です。この舞台は「日本三舞台」の一つに数えられ、国の重要文化財に指定されています。
旧跡
五所御前
五所御前は、住吉神の鎮座伝説に基づく重要な場所です。神功皇后が3羽の鷺が杉の木にとまるのを見て、この地を神の奉斎地に定めたと伝えられています。現在、この場所では「五・大・力」と書かれた石を拾い、御守にすると願い事が叶うとされています。
誕生石
角鳥居付近にある誕生石は、薩摩藩祖・島津忠久の誕生地とされています。この石は、源頼朝の寵愛を受けた丹後局が住吉社で忠久を出産した伝説に基づいています。
重要文化財と見どころ
御田と御田植神事
住吉大社の境内南側には御田(おんだ)と呼ばれる神田が広がっています。毎年6月14日に行われる御田植神事は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、伝統的な農耕儀式を体験する貴重な機会となっています。
石燈籠
参道には約600基もの石燈籠が並び、その壮観な景色が訪れる人々を魅了します。最も古いものは寛永21年(1644年)に遡り、江戸時代の廻船業者からの奉納が多いとされています。
その他の施設
住吉文華館
住吉文華館は、1977年に築かれた文化施設で、住吉大社に関する資料や美術品が展示されています。
庭園「卯の花苑」
住吉大社の庭園「卯の花苑」は、四季折々の美しい風景が楽しめる場所です。特に春には卯の花が見事に咲き誇り、多くの観光客が訪れます。
摂末社
住吉大社には、摂社4社と末社25社(うち境内社が21社、境外社が4社)があり、これらを総称して摂末社と呼びます。そのほか、いくつかの祠も点在しています。
摂社
大海神社
祭神: 豊玉彦命、豊玉姫命
社格: 式内社「大海神社二座」
例祭: 10月13日
「だいかいじんじゃ」と呼ばれるこの神社は、住吉大社の第一摂社として位置づけられています。境内の北側に西面して鎮座しており、住吉造の建築様式が特徴的です。本殿・幣殿・渡殿は重要文化財に指定されており、その造営は江戸時代中期の宝永5年(1708年)にさかのぼります。
志賀神社
祭神: 底津少童命、中津少童命、表津少童命
例祭: 9月9日
境内北寄りの大海神社近くに鎮座する「しがじんじゃ」。祭神である綿津見三神は、海の神として阿曇氏の祖神とされています。本殿は江戸時代中期に造営されたもので、国登録有形文化財に指定されています。
船玉神社
祭神: 天鳥船命、猿田彦神
社格: 式内社「船玉神社」
例祭: 10月21日
「ふねたまじんじゃ」と呼ばれるこの神社は、住吉大社本宮南西に鎮座しています。本殿は明治時代前期に造営され、現在もその歴史的価値を保持しています。
若宮八幡宮
祭神: 応神天皇、武内宿禰
例祭: 1月12日
本宮南側に鎮座する「わかみやはちまんぐう」。祭神である応神天皇は、神功皇后の子として知られています。1月12日の例祭では湯立神楽が奉納され、訪れる人々に特別な体験を提供します。
末社
住吉大社には多くの末社があり、それぞれが独自の歴史や神話を持っています。以下はその一部の紹介です。
種貸社
祭神: 倉稲魂命
例祭: 4月9日
元々は長居町に鎮座していた式内社「多米神社」で、多米氏の氏神とされています。明暦元年(1655年)に現在の場所に移転しました。
市戎・大国社
祭神: 事代主命、大国主命
例祭: 1月10日
商売繁盛の神として知られる市戎・大国社は、多くの参拝者が訪れる人気のある末社です。
楠珺社
祭神: 宇迦魂命
例祭: 5月辰日
本殿と拝殿はそれぞれ国登録有形文化財に指定されています。
境外社
住吉大社には境外にもいくつかの神社が存在し、それぞれが地域の信仰の中心となっています。
宿院頓宮
祭神: 住吉大神、神功皇后、大鳥大神
例祭: 特別な祭礼日
堺市に位置し、住吉祭の御旅所として重要な役割を果たしています。
住吉大社の祭事
年間を通じて、毎月および季節ごとに多彩な祭事が行われています。
毎月の祭事
- 朔日祭(毎月1日)
- 卯之日祭(毎月初卯日)
- 初辰祭(毎月初辰日)
- 十五日祭(毎月15日)
- 海上・交通安全祈願祭(毎月20日)
季節ごとの祭事
1月
- 元旦祭(1月1日)
- 元始祭(1月3日)
- 踏歌神事(1月4日)
- 白馬神事(1月7日)
- 御結鎮神事(1月13日)
2月
- 節分祭(2月節分日)
- 紀元祭(2月11日)
3月
- 祈年祭(3月17日)
4月
- 松苗神事(4月3日)
5月
- 卯之葉神事(5月初卯日)
6月
- 御田植神事(6月14日)
- 大祓式(6月30日)
7月
- 神輿洗神事(7月第3月曜日・火曜日)
- 宵宮祭(7月30日)
- 例大祭、夏越大祓神事(7月31日)
8月
- 渡御祭、荒和大祓神事(8月1日)
9月~10月
- 観月祭(中秋名月日)
10月
- 宝之市神事(10月17日)
11月
- 明治祭(11月3日)
- 新嘗祭(11月23日)
12月
- 天長祭(12月23日)
- 煤払式(12月26日)
- 大祓式、除夜祭(12月31日)
住吉祭
住吉大社の例祭である「住吉祭」は、1年で最も重要な祭りです。大阪を祓い清める「おはらい」とも呼ばれ、大阪三大夏祭りの一つにも数えられます。
住吉祭の日程
- 7月第3月曜日・火曜日 - 神輿洗神事
- 7月30日 - 住吉祭宵宮祭
- 7月31日 - 夏越祓神事、住吉祭例大祭
- 8月1日 - 渡御祭、頓宮祭、荒和大祓神事
神輿洗神事は、海水で神輿を祓い清める神事で、大阪湾沖合の海水を使用します。夏越祓神事では、茅の輪くぐりや伝統的な衣装をまとった行列が行われ、神楽や住吉踊が奉納されます。
渡御祭では、神輿が堺の宿院頓宮までの渡御を行います。この祭りでは、大和川を渡る行列が見どころで、かつての風景が甦るような光景が広がります。
特殊神事
踏歌神事
踏歌神事は1月4日に行われ、大地を踏みしめて五穀豊穣を祈る神事です。この神事は、住吉大社と熱田神宮のみで現在も行われています。
白馬神事
白馬神事は1月7日に行われ、白馬が本宮を巡拝して邪気を祓います。この神事は、賀茂別雷神社や鹿島神宮などでも行われています。
御田植神事
御田植神事は6月14日に行われ、田植えが催される祭事です。この神事は、「住吉の御田植」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
文化財
国宝
住吉大社本殿 4棟(附 瑞垣及び門)
住吉大社の本殿4棟は、文化7年(1810年)に造営されました。江戸時代後期に建てられたこれらの建造物は、明治35年(1902年)に特別保護建造物に指定され、 その後昭和28年(1953年)に国宝に指定されました。4棟の本殿は、日本古来の建築様式「住吉造」を代表する貴重な文化財です。
重要文化財(国指定)
住吉大社には、国指定の重要文化財が13棟存在します。その主なものを以下に紹介します。
南門・東楽所・西楽所・石舞台
これらの建造物は、桃山時代の慶長12年(1607年)に造営されました。昭和49年(1974年)に重要文化財に指定され、その歴史的価値が高く評価されています。
幣殿および渡殿(第一殿~第四殿)
4つの幣殿および渡殿は、江戸時代後期の文化7年(1810年)に造営されました。これらの建造物は、住吉造の構造美を象徴する建築物です。
その他の重要文化財
- 南高蔵・北高蔵(慶長12年造営)
- 摂社大海神社幣殿および渡殿(宝永5年造営)
- 末社招魂社本殿(元和5年造営)
登録有形文化財(国登録)
平成18年(2006年)および平成30年(2018年)に、住吉大社の多数の建造物が登録有形文化財に登録されました。その中でも、神館や摂社若宮八幡宮本殿などは訪れる価値があります。
重要無形民俗文化財
住吉の御田植
昭和54年(1979年)に国の重要無形民俗文化財に指定された「住吉の御田植」は、毎年6月に行われる伝統的な神事です。この行事では、田植えの所作が儀式として執り行われ、五穀豊穣を祈願します。
国の史跡
住吉行宮跡
昭和14年(1939年)に国の史跡に指定された住吉行宮跡は、古代日本の重要な政治・宗教的な場であったことを示しています。神社境内を散策する際に、その歴史を感じられるでしょう。
住吉大社の文学的登場
和歌
住吉大社は、『万葉集』に3首の和歌として登場します。これらの和歌は、航海の安全を祈る神としての住吉大神への信仰を示しています。
石上乙麻呂卿の和歌
「大君の 命(みこと)恐(かしこ)み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が背の君を…」
船旅の安全を願う心情が込められています。
多治比真人土作歌
「住吉(すみのえ)に 斎(いつ)く祝(はふり)が 神言(かむごと)と 行くとも来(く)とも 船は早けむ」
神への信仰が旅の成功を約束すると詠われています。
天平五年贈入唐使歌
「そらみつ 大和の国 あをによし 奈良の都ゆ…」
入唐使の安全な航海を願う一首です。
能
能『高砂』では、住吉への旅が詠われています。
「高砂や、この浦舟に帆を上げて…はや住吉に着きにけり」
平穏な旅路の象徴として描かれています。
俳句
元禄7年(1694年)、松尾芭蕉が住吉大社を訪れた際の句:
「升買うて 分別かはる 月見かな」
宝の市の賑わいが伝わる情景が詠まれています。
物語・随筆
『源氏物語』
紫式部の『源氏物語』では、主人公・光源氏が嵐に遭遇し、住吉の神に導かれる場面が描かれています。また、帰京後にはお礼参りをする場面もあり、住吉大社が重要な舞台となっています。
『枕草子』
清少納言の『枕草子』には、田植えの際に歌う風習が記録されており、住吉大社の御田植神事に通じるものがあります。
昔話『一寸法師』
『御伽草子』の「一寸法師」は住吉大社が舞台となっており、一寸法師の誕生と旅立ちの地として描かれています。現在、大社には一寸法師に関連する展示物が多くあります。
住吉大社と文化
錦絵
住吉大社は「浪花百景」にも多く描かれており、住吉反橋や住吉高燈籠など、象徴的な風景が錦絵として残されています。