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大阪城

(おおさかじょう)

大阪のシンボル天守閣で時空を超える旅

大阪城は、大阪府大阪市中央区に位置する歴史的な名城であり、安土桃山時代から江戸時代にかけて築かれました。別称として「錦城(きんじょう)」や「金城」とも呼ばれ、現在は国の特別史跡に指定されています。この城址は大阪城公園として整備されており、観光地としても多くの人々に親しまれています。

復興天守とその役割

現在の大阪城の天守は1931年(昭和6年)に鉄骨鉄筋コンクリート構造で再建され、博物館「大阪城天守閣」として公開されています。復興天守は、徳川時代の天守台石垣の上に建てられ、豊臣時代の天守を想像して復元されたものです。1997年(平成9年)には国の登録有形文化財に指定され、歴史を学ぶ場として多くの訪問者を迎えています。

日本三名城の一つ

大阪城は、名古屋城や姫路城、熊本城と並び「日本三名城」の一つに数えられることがあります。その壮大な構造と歴史的価値から、日本国内外の観光客にとって重要な観光スポットとなっています。

歴史・沿革

前史

大阪城が建つ上町台地は、淀川の本流が近くを流れる天然の要害であり、古くから交通の要衝として知られていました。この地には古墳時代の遺跡や多くの神社仏閣が存在しており、歴史的にも重要な場所でした。

石山本願寺とその跡地

戦国時代末期から安土桃山時代初期には、この地に石山本願寺がありましたが、1580年(天正8年)の石山合戦の講和後に焼失しました。その後、豊臣秀吉がこの地に目を付け、大坂城の築城を開始しました。

安土桃山時代の築城

1583年(天正11年)に豊臣秀吉によって築城が開始され、以降、大坂城は豊臣政権の本拠地として機能しました。城の建設は四期に分けて進められ、本丸、二の丸、三の丸、大名屋敷などが次々と整備されました。

特徴的な建築

豊臣期には「千畳敷」と呼ばれる大規模な殿舎や長廊下が建てられ、壮麗な城郭を形成していました。この時期、大坂城は政権の象徴としての役割を果たしました。

江戸時代の再築

大坂城は1615年(元和元年)の大坂夏の陣で落城しましたが、徳川幕府によって再築されました。1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)にかけて行われた修築では、大規模な石垣や櫓が建設され、城郭の防御力が強化されました。

現存する遺構

江戸時代に建てられた建物のうち、櫓や門、石垣などが現存しています。これらの遺構は、1959年(昭和34年)の大阪城総合学術調査において、すべて徳川氏によるものであることが確認されています。

近代以降の復興

太平洋戦争中の空襲や戊辰戦争による火災で多くの建物が失われましたが、昭和初期に復興が行われました。現在の天守は、観光や学術的な活動の拠点として活用されています。

大阪城の立地と構造

大阪城は台地の北端に位置し、北・東・西の三方を低地に囲まれています。北側の台地下には淀川とその支流が流れ、 天然の堀としての機能を果たすだけでなく、城内の堀への水の供給にも利用されました。

大阪城は豊臣氏による築城当初の構造と、徳川氏による修築後の構造が異なります。 現在地表から見られる構造は、全て江戸時代に形成されたものですが、堀や門の配置は秀吉時代と大きく変わっていないと言われています。

豊臣大坂城

豊臣秀吉が築いた大阪城は、黒田孝高による縄張りの設計で輪郭式平城として建てられました。本丸を中心に同心円状に郭が配置され、 内堀と外堀によって守られていました。秀吉は城内の天守が市街からよく見えるよう工夫を凝らし、大坂の都市設計に大きな影響を与えました。

本丸の構造

本丸は山里曲輪、本丸奥の段、本丸表の段、西側の出丸状の曲輪で構成されていました。建築技術がまだ発展途上だったため、 高石垣ではなく段構造が採用されました。

二の丸の特徴

二の丸は堀幅や深さを除けば、徳川時代と大差ありませんでした。発掘調査により、各虎口前には土塁と障子堀で構成された大型の馬出が存在していたことが確認されています。

防衛の工夫

大阪城の南側は台地続きで防衛上の弱点でした。そのため、土塁を利用した惣堀や、真田信繁が築いた真田丸が防衛に用いられました。 冬の陣では、この地域が激戦地となりました。

徳川大坂城

徳川氏の大坂城は、豊臣氏の城を破却した後、藤堂高虎を総責任者として築かれました。石垣や堀を再構築し、天守などの建物も新たに設計されました。 江戸時代の技術を活かした新しい城郭が求められたため、豊臣大坂城は地中に埋もれる形となりました。

天下普請による再建

約9年にわたる天下普請により、大坂城の規模は縮小されたものの、外堀は幅約90メートルに達し、 本丸東面の石垣の高さは堀底から約32メートルと日本一の高さを誇りました。

三重櫓と多聞櫓

徳川大坂城には12基の三重櫓と15基の二重櫓があり、城郭の防御力が大幅に強化されました。 本丸と山里曲輪の周囲には多聞櫓が張り巡らされていました。

天守の歴史

大坂城の天守は天正、寛永、昭和の3回にわたり造営されています。それぞれの時代で外観は異なりますが、 現在の復興天守は徳川大坂城の天守台を利用しています。

1585年に竣工した豊臣大坂城の天守は、黒漆塗りの外観と金箔瓦が特徴でした。最上階には黄金の茶室が設けられており、 外観の華やかさとともにその豪華さが際立っていました。しかし1615年の大坂夏の陣で焼失しました。

徳川大坂城天守

1626年に完成した徳川大坂城の天守は、5重6階建てで、江戸城を模した配置が採用されました。しかし1665年に落雷により焼失し、 その後再建されることはありませんでした。

昭和の復興天守

現在の天守は昭和6年(1931年)に鉄筋コンクリートで再建されました。復興天守は観光名所として多くの人々に親しまれており、 城内には豊臣秀吉や大坂城の歴史に関する展示が行われています。

遺構の見どころ

歴史的建造物と遺構

大坂城内には、以下のような歴史的建造物や遺構が現存しています:

これらの建造物は国の重要文化財に指定されており、その歴史的価値を物語っています。また、桜門の高麗門は、1887年(明治20年)に再建されたものですが、こちらも重要文化財として保護されています。

石垣の秘密

大坂城の石垣には、日本各地から運ばれた花崗岩が使用されています。瀬戸内海の島々や六甲山系、さらには遠く福岡県からも石材が採石されました。また、石垣には各大名が所有権や作業のために刻んだ印があり、それぞれの石に歴史の痕跡を見ることができます。

城内最大の巨石は「蛸石」で、重さが推定130トンにもなります。この巨石は、備前国岡山藩藩主・池田忠雄によって運ばれたもので、その迫力は一見の価値があります。

文化財

重要文化財

大坂城の13棟の建物が重要文化財として指定されています。その中には以下の建物が含まれます:

これらの建物は江戸時代の大坂城の建築様式を知る貴重な手がかりとなっています。

登録有形文化財

1931年に再建された「大阪城天守閣」も登録有形文化財として保護されています。現在の天守閣は、外観は昔の姿を模していますが、内部は博物館として公開されています。

特別史跡

大坂城跡は、1955年に特別史跡に指定されました。この指定により、大坂城は歴史的な遺産として保護されています。

大阪城天守閣

大阪城天守閣は、大阪市中央区の大阪城公園内に位置し、大阪城の象徴的な天守内部を活用した博物館です。現在の天守は、国の登録有形文化財に指定されています。天守閣内には歴史資料や展示物が豊富に揃っており、大坂城の歴史や日本の城郭文化について学ぶことができます。展望台からは大阪市街を一望でき、絶景が楽しめます。

天守閣の歴史

戦前の再建と市民の協力

1925年(大正15年)の「大大阪記念博覧会」では、大阪城本丸の天守台上に建てられた豊公館が大人気を博し、約70万人が訪れました。この成功を受けて、大阪市長の關一は天守再建を決意します。天守の再建は昭和天皇即位の大礼記念事業として議会で承認され、市民からの寄付により実現しました。

再建された天守は鉄骨鉄筋コンクリート構造で、当時最新のエレベーターも設置されました。設計は大阪市土木局建築課の古川重春が担当し、その外観は大坂夏の陣図屏風を元に豊臣秀吉の時代を再現しています。1931年(昭和6年)10月に完成した天守は、大阪城の象徴として新たな役割を担いました。

天守閣郷土歴史館の開館

再建された天守は、豊臣秀吉と大阪市の歴史を中心とした博物館として開館しました。この際、天王寺公園内にあった大阪市立市民博物館の資料が移され、より充実した展示内容を提供することができました。また、展望台からは大阪平野を一望できる景観が大きな魅力となり、多くの人々が訪れました。

戦中の制限と被害

1937年(昭和12年)以降、支那事変や軍機保護法の影響で天守からの写真撮影が禁止され、太平洋戦争中には博物館が休館となりました。1945年(昭和20年)の大阪大空襲では天守の石垣が被害を受けたものの、本体は大きな損傷を免れました。

戦後の復興と改修

戦後の再開と大阪市への返還

敗戦後の1945年、進駐軍による占領期間を経て1948年(昭和23年)に大阪城が返還されました。これに伴い、大阪城公園の拡張や博物館の再開が進められ、市民と観光客に再び公開されるようになりました。

平成の大改修

1995年(平成7年)から1997年(平成9年)にかけて行われた「平成の大改修」では、建物全体の耐震補強や外観の修復が行われました。これにより、現代の観光スポットとしての安全性と魅力が大幅に向上しました。

現在の天守閣

現在の大阪城天守閣は、大阪の歴史や文化を伝える博物館として、多くの来館者を迎えています。内部の展示は豊臣秀吉の生涯や大阪城の歴史を詳細に解説し、展望台からは大阪市街の美しい景色を楽しむことができます。また、大阪城公園内には歴史的建造物や庭園が点在し、観光や散策に最適なスポットとして広く知られています。

天守閣内部の構造と展示内容

天守閣内では、通常は階段を使用して1階から8階まで移動します。ただし、身体障害者や高齢者向けに、小天守台と各階を結ぶエレベーターも設置されています。階段は二重らせん構造となっており、昇りと下りが交わらない設計です。手すりは加工しやすい人造石が使用され、アールデコ調の流線形デザインが特徴的です。

8階 - 展望台

8階は展望台として利用され、外に出て大阪城や大阪市内の景色を一望できます。車椅子でも通行可能な設計で、ミュージアムショップも併設されています。また、展望台の壁には8羽の鶴が金の蒔絵で描かれ、建設当時の最新技術「蝋色仕上げ」が施されています。

7階 - 豊臣秀吉の生涯

豊臣秀吉の生涯をテーマにした展示が行われています。天下統一を成し遂げた秀吉の功績を、わかりやすく紹介しています。

6階 - 回廊(立ち入り不可)

6階は回廊となっており、通常は立ち入りできません。

5階 - 大坂夏の陣図屏風の世界

大坂夏の陣をテーマにした展示が行われています。屏風絵や映像、ミニチュア模型を使い、その世界をわかりやすく紹介しています。

4階 - 豊臣秀吉とその時代

特別展・企画展の会場として利用されています。豊臣秀吉や戦国時代、大阪城に関する貴重な資料が展示されています。

3階 - 豊臣秀吉とその時代

3階も特別展・企画展の会場で、豊臣大坂城や徳川大坂城の復元模型、黄金の茶室の原寸大復元などが展示されています。

2階 - お城の情報コーナー

大阪城や日本の城に関する基礎知識がパネルやレプリカで紹介されています。また、兜や陣羽織を試着できる体験コーナーもあります。

1階 - 天守閣の入口

インフォメーションカウンター、ミュージアムショップ、シアタールームが設置されています。大阪城に関する案内や映像を楽しむことができます。

Information

名称
大阪城
(おおさかじょう)
Osaka Castle
リンク
公式サイト
住所
大阪府大阪市中央区大阪城1-1
電話番号
06-6941-3044
営業時間

9:00~17:00

定休日

12月28日~1月1日

料金

大人 600円
中学生以下 無料

駐車場
有料
アクセス
鉄道
  • 谷町四丁目駅(Osaka Metro谷町線・中央線)
  • 天満橋駅(京阪本線・中之島線、Osaka Metro谷町線)
  • 大阪ビジネスパーク駅(Osaka Metro長堀鶴見緑地線)
  • 大阪城公園駅(大阪環状線)
  • 森ノ宮駅(大阪環状線、Osaka Metro中央線・長堀鶴見緑地線)
路線バス
  • 大手前停留所(大阪シティバス62号系統)
  • 馬場町停留所(大阪シティバス62号系統)
水上バス

大阪城港からはアクアライナーに乗ることができます。水上から城を眺める特別な体験が楽しめます。

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