特徴的な三層楼の建築
山形市郷土館を象徴するのが、正面にそびえる三層楼です。外観は三層に見えますが、内部には複雑な構造が施されており、日本古来の木造建築技術を生かした高度な職人技を見ることができます。
1階部分には八角形の玄関ポーチと石敷きのベランダがあり、2階には正十六角形の大広間が設けられています。その上にはドーム状の緑色の屋根を持つ特徴的な塔屋が載せられています。
一般公開されている部分からは、和風の木造建築を基礎としながら西洋的なデザインを取り入れた、明治初期ならではの建築表現を感じることができます。
中庭を囲む独創的な回廊
三層楼の背面には、中央の中庭を取り囲む十四角形の回廊があります。回廊に沿って病室が配置され、当時の病院として機能的な構成が考えられていました。
この独創的な平面構成は、当時横浜にあったイギリス海軍病院を参考にしたものと伝えられています。洋風の病院建築を取り入れながら、日本の大工が独自の技術で造り上げた点が大きな特徴です。
和と洋が融合した美しい装飾
建物の魅力は外観だけではありません。館内の細部にも、明治初期の和洋折衷のデザインが随所に施されています。
色とりどりのガラスを組み合わせたアーチ型のガラス装飾や、ケヤキを使った螺旋階段など、当時の職人による繊細な仕事を見ることができます。
螺旋階段の側面には唐草模様の装飾が施されており、西洋建築を思わせる空間の中に、日本の伝統的な意匠が巧みに取り入れられています。
わずか7か月で完成した旧済生館本館
旧済生館本館は、山形県令を務めた三島通庸が進めた山形の近代化政策の一環として、1878年(明治11年)に山形県立病院として建設されました。
建物の設計・施工には原口祐之を棟梁とする山形の宮大工や職人たちが携わり、約300人の職人の手によって、わずか7か月で完成したとされています。
ドアの蝶番や屋根に使われた亜鉛板など、一部にはドイツから輸入された部材も使用されました。一方で、建物の基本的な構造や施工には日本の木造建築技術が生かされています。
近代医学を取り入れた「済生館」
「済生館」という名称は、当時の太政大臣三条実美によって名付けられたとされています。
済生館は診療を行う病院であると同時に医学校も併設され、東北地方における西洋医学の導入と普及に重要な役割を果たしました。ドイツ医学を学んだオーストリア人医師アルブレヒト・フォン・ローレツも招かれ、医学教育に携わりました。
その後、経営上の事情などから1888年(明治21年)に民営化され、1904年(明治37年)4月には山形市立病院済生館となりました。
旧済生館本館「三層楼」の歴史
当時の人々から親しみを込めて「三層楼」と呼ばれた旧済生館本館は、病院として独特の建築構成を備えていました。
正面玄関から入ると、八角形のポーチ、正十六角形の2階大広間、さらに螺旋階段でつながる3階の八角形の小部屋へと続きます。それぞれの階にはベランダが設けられ、外観にも個性的な美しさを与えています。
背面には十四角形の回廊があり、その周囲には8室の病室が配置されていました。中庭を中心とした特徴的な構造は、当時の西洋式病院建築を日本の木造技術で表現したものです。
老朽化を乗り越え、霞城公園へ移築復元
建設から約90年が経過した昭和30年代後半になると、建物の老朽化が進み、病院施設の近代化も求められるようになりました。そのため旧済生館本館は解体されることになりましたが、建物の歴史的・文化的価値を保存するための調査が行われました。
その結果、建物は霞城公園内に移築・復元されることとなり、1969年(昭和44年)に移築復元工事が完了しました。
1966年(昭和41年)12月には、明治初期の東北地方における洋風化の歴史を示す貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています。
館内で見学できる歴史資料
現在の山形市郷土館では、旧済生館本館の建物そのものに加えて、山形の郷土史や医学の歴史に関する資料を見ることができます。
済生館の歴史
館内では、初代山形県令・三島通庸の功績や、病院と医学校の両方の役割を担った済生館の歩みを紹介する資料が展示されています。
明治期の山形で近代化がどのように進められたのかを知るうえでも興味深い展示です。
ローレツ先生の部屋
ローレツに関する資料を展示するコーナーでは、済生館の医学校で教鞭を執ったローレツの活動や、当時の医学教育について紹介しています。
済生館が東北地方における西洋医学、特にドイツ医学の導入に果たした役割を知ることができます。
薬剤関係資料
江戸時代から明治時代にかけて使われていた薬の容器など、薬に関する資料も展示されています。
漢方医が薬の材料を保管するために使用した「百味箪笥」も見ることができ、近代医学が広がる以前の薬文化にも触れられます。
医学機器と病院資料
済生館で実際に使用されていたドイツ製の顕微鏡をはじめ、さまざまな医学機器や病院関係資料が展示されています。
当時の医療現場でどのような器具が使われていたのかを知ることができ、済生館が担った近代医学の役割を具体的に感じられる展示です。
2階講堂と郷土資料
2階にある講堂は、かつて授業や式典などに使用されていた場所です。現在も当時の雰囲気を感じさせる空間が残されています。
講堂には、済生館の名称を記した三条実美の「済生館」の扁額も展示されており、建物と済生館の歴史を象徴する資料となっています。
山形の近代化を伝える貴重な文化財
山形市郷土館は、明治初期の建築技術と西洋文化の受容、そして山形における近代医学の歩みを一度に知ることができる歴史資料館です。
八角形や十六角形を組み合わせた独特の建築構造、和洋の意匠が融合した美しい装飾、そして済生館に関する医学資料など、見どころは多岐にわたります。
霞城公園を訪れた際には、ぜひ建物そのものの美しさにも注目しながら館内を見学し、明治時代の山形が近代化へ歩み始めた時代の空気を感じてみたいスポットです。