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平塩熊野神社

(ひらしお くまの じんじゃ)

1000年以上の伝統を受け継ぐ「平塩舞楽」と歴史ある神社

平塩熊野神社は、山形県寒河江市に鎮座する歴史ある神社です。伊弉冉尊命、櫛気野命、速玉男命、事解男命の4神を主祭神として祀り、ほかにも10の祭神が合祀されています。

創建については、養老5年(721年)に行基が熊野三社を勧請したことが始まりと伝えられています。境内には長い歴史を物語る文化財や出土品が残されており、古くから地域の信仰を集めてきました。

平塩舞楽

天平時代から受け継がれる農民舞楽

平塩舞楽は、奈良時代の天平年間に始まったと伝えられる伝統芸能です。京都の舞楽の影響を受けながら地域で発展し、現在まで1000年以上にわたって受け継がれてきた農民舞楽として知られています。

例祭では、色鮮やかな装束を身にまとった舞人が、笛や太鼓の音色に合わせて優雅な舞を奉納します。十番の舞が披露され、五穀豊穣や村の安全などを願う地域の大切な伝統行事となっています。太平楽は旧暦の閏年のみ披露されます。

創建から現在まで続く長い歴史

行基による開山と古代からの信仰

平塩熊野神社は、養老5年(721年)に行基が熊野三社を勧請して開山し、高弟の勝覚が別当として補佐したと伝えられています。前九年の役では、源頼義・義家が戦勝を祈願し、康平5年(1061年)には田畑や山林、鏡二面を寄進したとされています。さらに、応徳3年(1086年)には再建された記録が残っています。

平安時代から中世へ

平安時代には境内に経塚が築かれ、出土した石製八角柱形石鐘から、康治年間(1142~1143年)のものと考えられています。

文治5年(1189年)に寒河江荘の地頭となった大江氏(寒河江氏)から社領を与えられ、その後も寒河江大江氏の家臣であった長崎中山氏の保護を受けました。中山氏は平塩熊野神社を祈願所と定め、各地に分社を置いたと伝えられています。明応年間(1492~1501年)には、現在地に合祀されました。

江戸時代から近代へ

江戸時代には、幕府から149石余の御朱印地を与えられました。明治時代の神仏分離令によって神社となり、地域の葬礼を担う平塩寺が設けられました。

廃仏毀釈の際には、貴重な十王像を守るため裏山に埋めて隠したと伝えられています。その後、像は掘り起こされて再び祀られ、平成18年(2006年)から3年間をかけて京都国立博物館文化財保存修理所で修復され、平成20年(2008年)に戻されました。

平塩寺と本堂・本尊

平塩寺は、明暦元年(1655年)に如法堂を改め、熊建山平塩寺と称した寺院です。寒河江氏の時代には日野式部が別当を務め、その後、伊達氏の宥実が別当となり、真言宗宝幢寺の末寺となりました。

明治時代の神仏分離によって平塩寺是観が神主となり、村民の要望を受けて弟子の円明が平塩寺を継いだとされています。

寛政年間に再建された本堂

本堂は寛政8年(1796年)に再建されたもので、向拝や木鼻には精巧な彫刻が施されています。宗派は真言宗智山派で、本尊には阿弥陀如来坐像を祀り、脇侍として観音菩薩立像と勢至菩薩立像が安置されています。

鎌倉時代後期から室町時代にかけて制作されたとされる阿弥陀三尊像は山形県指定文化財となっています。

貴重な文化財

木造伝十王坐像

平塩熊野神社には、木造伝十王坐像2躯が伝わっています。12世紀半ばの作とされ、日本における十王信仰の初期の作例として貴重な文化財です。

閻魔王像は坐高133.5cm・全高166.3cm、太山府君または五道大神とされる像は坐高121.8cm・全高154.0cmあります。

経塚からの出土品

1号経塚からは、八角柱形石鐘、大刀子3振、石製儀鏡、珠洲焼経筒外容器、縄文時代の石皿などが出土しています。これらの出土品からも、境内が長い年月にわたって信仰の場となってきたことがうかがえます。

大般若経

伝来する大般若経の奥書には、平塩や伏熊の人々をはじめ、宮城県牡鹿郡の漁村の人々、石巻の梅渓寺の僧、最上郡金山の人名などが記されています。広い地域との交流をうかがわせる貴重な資料です。

御塞神祭

子孫繁栄と悪霊退散を願う伝統行事

御塞神祭は、2月下旬、旧暦1月15日に行われる除災招福の行事です。村の安全を守る神様として祀られてきた御塞神様は、道祖神の一種と考えられています。

祭りでは、松の木を使って男根をかたどった御神体を作り、入魂した後、塞の神に供えます。その後、参拝者に向けて御神体が撒かれ、拾った人には福が訪れると伝えられています。子孫繁栄や縁結び、子宝などを願う行事として受け継がれています。

祭りの一日の流れ

朝:一山の男衆が経塚山から松の木を伐り、御神体を作ります。

夕刻:白装束の男衆が御神体を平塩熊野神社へ運び、祈祷を行います。

夜:神主が掛け声とともに御神体を参道へ投げ、集まった参拝者が御神体を奪い合います。

数百人の参拝者が集まり、御神体をめぐって繰り広げられる熱気あふれる争奪戦は、御塞神祭の大きな見どころです。

平塩熊野神社に残る逸話

夜道を照らした常夜燈

参詣者の便を図るため、境内には一晩中灯火をともす常夜燈が設けられていました。点火は平塩一山の衆徒たちにとって重要な役割で、1年交代で務めていたとされています。

現在の常夜燈は文化元年(1804年)に建立されたもので、最後の点火役を務めたのは昭和16年(1941年)の梅本坊でした。現在は電灯に変わり、長く続いた衆徒による点火の役割は終わっています。

雨乞いが行われた沼と参道

参道脇にある沼では、かつて竜神への雨乞いの儀式が行われていました。また、木造伝十王坐像2躯は、かつて境内にあったご神木から掘り出された像ではないかとも推測されています。

御塞神から鳥居を経て社殿へ続く約600mの参道はほぼ一直線になっており、計画的に設計されたものと考えられています。

歴史と伝統文化を今に伝える神社

平塩熊野神社は、古代から続く信仰の歴史と、平塩舞楽や御塞神祭といった特色ある伝統行事を現在に伝える神社です。境内に残る文化財や出土品、平塩寺との関わりなどからも、地域の信仰と文化が長い年月をかけて受け継がれてきたことが感じられます。

寒河江市を訪れた際には、社殿だけでなく、長い歴史を持つ平塩舞楽や御塞神祭、文化財、境内の景観にも注目したい歴史文化スポットです。

歴史

創建と伝承
養老5年(721年)に行基が熊野三社を勧請して開山し、行基の高弟である勝覚が別当として補佐したと伝えられています。前九年の役では、源頼義・義家が戦勝を祈願し、康平5年(1061年)には田畑や山林、鏡二面を寄進しました。応徳3年(1086年)には再建された記録があります。

平安時代から中世
平安時代には境内に経塚が築かれ、出土した石製八角柱形石鐘から康治年間(1142年~1143年)のものと判明しています。文治5年(1189年)に寒河江荘の地頭となった大江氏(寒河江氏)から社領を与えられ、以後も寒河江大江氏の家臣であった長崎中山氏の保護を受けました。中山氏は平塩熊野神社を祈願所として定め、いくつかの分社を置きました。明応年間(1492年~1501年)には現在地に合祀されました。

近世から現代
江戸時代には幕府から149石余の御朱印地を与えられ、明治時代には神仏分離令により神社となり、村人の葬礼を担当する平塩寺が設立されました。廃仏毀釈の際には十王像を隠匿するために裏山へ埋め、後に掘り起こされ祀られました。平成18年(2006年)から三か年をかけて京都国立博物館文化財保存修理所で修復され、平成20年(2008年)に帰還しました。

平塩寺

平塩寺は、江戸時代の明暦元年(1655年)に如法堂を改めて熊建山(ゆうごんざん)平塩寺と称しました。寒河江氏のもとでは日野式部が別当を務めていましたが、寒河江氏の滅亡により伊達氏の宥実が別当となり、真言宗宝幢寺の末寺となりました。明治時代には神仏分離により平塩寺是観が神主となり、村民の要望により弟子の円明が平塩寺を継ぎました。

本堂と本尊

本堂は、寛政8年(1796年)に再建され、向拝や木鼻の彫刻は精巧に仕上げられています。宗派は真言宗智山派で、本尊は阿弥陀如来坐像(脇侍:観音菩薩立像・勢至菩薩立像)です。鎌倉時代後期から室町時代にかけて作られた「阿弥陀三尊像」は山形県指定文化財です。

大般若経
奥書には平塩や伏熊の民衆、宮城県牡鹿郡の漁村の人々、宮城県石巻の梅渓寺の僧、最上郡金山の人名が見られます。

文化財

県指定文化財
木造伝十王坐像(2躯)は12世紀半ばの作とされ、日本における十王信仰の最初期の作例です。閻魔王像は坐高133.5cm、全高166.3cm、太山府君もしくは五道大神は坐高121.8cm、全高154.0cmです。

県指定無形民俗文化財
平塩舞楽は元々立石寺、慈恩寺、谷地八幡宮と同じく林家が舞を披露していましたが、天正年間に社人が伝承するようになりました。

出土品
1号経塚からは八角柱形石鐘(1基)、大刀子(3振)、石製儀鏡(1面)、珠洲焼経筒外容器(1点)、石皿(縄文時代・2片)が出土しています。

御塞神祭

2月下旬(旧暦1月15日)に行われる除災招福の行事で、子孫繁栄と悪霊退散を願う、奇祭です。御塞神様は、村の安全を守るために祀られた神様で、道祖神の一種と考えられています。松の木で男根を型どった御神体を彫り、入魂後に塞の神に供え、集まった人々に撒かれます。拾った人には福が訪れると伝えられています。縁結びや子宝のご利益があるとされています。

祭りの様子
朝:一山の男衆が経塚山から松の木を伐り、ご神体を作ります。
夕刻:白装束姿の男衆がご神体を熊野神社に運び、祈祷を行います。
夜:神主が「まくぞー」と掛け声と共にご神体を参道に投げます。
参拝者たちは、ご神体を奪い合い、拾うと子孫繁栄や悪霊退散のご利益があるとされています。

見どころ
激しいご神体争奪戦:数百人の参拝者がご神体を奪い合い、熱気あふれる様子は圧巻です。
珍しい伝統行事:他ではなかなか見ることができない、貴重な祭りを体験することができます。
五穀豊穣や子孫繁栄、悪霊退散への願い:人々の信仰心を感じることができる、神聖な雰囲気です。

平塩舞楽

4月第1土曜日に行われる舞楽で、天平時代に奈良時代から続く京都舞楽の影響を受けながら発展した農民舞楽です。十番の舞が披露されます。ただし、太平楽は旧暦の閏年のみ披露されます。五穀豊穣や村の安全を祈願して奉納されます。舞人たちは色鮮やかな衣装を身にまとい、笛や太鼓の音に合わせて優雅な舞を披露します。

逸話

参詣者の便を図るために建立された常夜燈には、一晩中燈火がつけられていました。この点火役は平塩一山の衆徒たちの大事な役で、一年交代で勤めていました。現在の常夜燈の建立は文化元年(1804年)で、最後の点火役は昭和16年(1941年)の梅本坊でした。常夜燈は現在は電燈に代わり、何百年と続いた衆徒の役割を終えました。

参道脇にある沼では、かつて竜神への雨乞いの儀式が行われました。また、木造伝十王坐像(2躯)は、かつて境内にあったご神木から掘り出した像であろうと推測されています。御塞神から鳥居を経て社殿までの約600mはほぼ直線となっており、計画的に設計されたものだと考えられています。

Information

名称
平塩熊野神社
(ひらしお くまの じんじゃ)
Hirashio Kumano Shrine
住所
山形県寒河江市平塩
駐車場
有
アクセス

寒河江駅より、車で10分
寒河江I.C.より車で15分

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