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山寺(立石寺)根本中堂

(やまでら りっしゃくじ こんぽん ちゅうどう)

不滅の法灯が静かに灯る、山寺を代表する歴史あるお堂

根本中堂は、山形県山形市の山寺にある「宝珠山 立石寺」の総本堂です。宝珠山のふもとに建ち、山寺を訪れた参拝者が最初に出会う重要な御堂として、長い歴史と信仰を今に伝えています。

現在の建物は、延文元年(1356年)に初代山形城主・斯波兼頼によって再建されたものです。入母屋造りの五間四面の建物で、天台宗の仏教道場としての古い建築様式をよく残しています。建物にはブナ材が多く使われており、その割合は全体のおよそ6割に及ぶとされ、日本最古のブナ材建築の一つとしても知られています。

また、根本中堂は国の重要文化財に指定されており、山寺の長い歴史を象徴する建築物の一つです。堂内には本尊の薬師如来をはじめとする仏像が安置され、さらに1200年以上にわたって受け継がれてきた「不滅の法灯」が灯されています。

慈覚大師円仁によって開かれた山寺

山寺の正式名称は宝珠山 立石寺といい、貞観2年(860年)に清和天皇の勅願を受け、慈覚大師円仁(794~864年)によって開かれた天台宗の寺院です。

円仁は、比叡山延暦寺で学び、中国へ渡って天台教学を修めた僧侶で、日本では第3代天台座主を務めました。帰国後は天台宗の教えを広めるため各地を巡り、北日本にも仏教文化を伝えた人物として知られています。

山寺は、京都と滋賀にまたがる比叡山延暦寺と深い関わりを持つ寺院として発展しました。自然豊かな宝珠山そのものが修行と信仰の場とされ、山中には多くの御堂や仏塔が点在しています。

ブナ材を多用した貴重な建築

根本中堂の現在の建物は、延文元年(1356年)に斯波兼頼によって再建されました。入母屋造り・五間四面の格式ある建築で、天台宗の仏教道場としての姿を現在まで伝えています。

特に注目したいのが、建築材料として使われているブナ材です。建物全体のおよそ6割にブナ材が用いられているとされ、長い年月を経た現在もその姿を保っています。ブナ材を主体とした建築物として非常に貴重で、山寺の歴史的価値を物語る存在です。

長い石段を登っていく山寺の参拝では、根本中堂は本格的な山道へ入る前の重要な場所でもあります。静かな境内に立つ堂の姿を眺めながら、これから始まる山寺巡りへの気持ちを整えることができます。

堂内に安置される薬師如来と諸仏

根本中堂の内陣には、山寺の本尊である薬師如来坐像が安置されています。この像は、山寺を開いた慈覚大師円仁が自ら彫ったものと伝えられており、古くから信仰を集めてきました。

薬師如来は、病や苦しみから人々を救い、健康や安寧をもたらす仏として信仰されています。本尊の左右には日光菩薩と月光菩薩が配され、その周囲には薬師如来を守護する十二神将が安置されています。

堂内にはこのほか、知恵をつかさどる文殊菩薩立像や、四天王の一尊である毘沙門天立像も祀られています。文殊菩薩像は、かつて文殊堂に安置されていましたが、火災後に根本中堂へ移されたと伝えられています。

本尊の薬師如来坐像は秘仏とされ、一般には50年に一度の御開帳と伝えられています。普段は直接その姿を見ることができないからこそ、堂内に漂う厳かな雰囲気とともに、その存在の大きさを感じることができます。

1200年以上受け継がれる「不滅の法灯」

根本中堂を訪れた際に、ぜひ注目したいのが「不滅の法灯」です。堂内の厨子の前で静かに燃え続けるこの灯は、山寺の信仰を象徴する存在です。

この法灯は、慈覚大師円仁が比叡山延暦寺から分けて持ち帰った灯火に由来すると伝えられています。以来、山寺と延暦寺の間で法灯が受け継がれ、長い年月にわたって灯し続けられてきました。

歴史の中で比叡山延暦寺が織田信長による焼討ちを受けた際には、再建された延暦寺へ山寺から法灯を分けたとも伝えられています。こうして両寺は互いに灯を分け合いながら、1200年以上にわたって法灯を守り続けてきたとされています。

静かな堂内に揺れる小さな炎は、山寺と比叡山延暦寺との深い結びつき、そして長い信仰の歴史を象徴しています。

松尾芭蕉ゆかりの山寺

根本中堂から山道を進むと、俳聖松尾芭蕉(1644~1694年)の像や、芭蕉が山寺で詠んだ有名な句にまつわる碑を見ることができます。

芭蕉は元禄2年(1689年)、弟子の河合曽良とともに東北・北陸を巡る旅の途中で山寺を訪れました。その際、山寺の静寂な風景に心を動かされ、次の句を詠んだとされています。

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」

この句は紀行文『おくのほそ道』にも収められ、山寺を象徴する文学作品として広く知られています。境内の静かな空気や、岩山に響く蝉の声を感じながら歩くと、芭蕉がこの地で受けた印象を想像することができます。

1015段の石段へ続く山寺参拝

根本中堂を過ぎると、いよいよ宝珠山を登る本格的な参拝道へと入ります。山寺では、登山口から奥之院まで1015段の石段が続きます。

この石段は単なる山道ではなく、登ることによって煩悩を一つずつ消していく「修行の石段」とされています。参拝者は山を登りながら、日常の煩わしさや心の迷いを少しずつ手放し、山中に点在する御堂や岩場を巡っていきます。

途中には宝物殿や日枝神社、姥堂、せみ塚、弥陀洞、仁王門など、さまざまな見どころがあります。さらに上へ進むと、開山堂や納経堂、五大堂、そして奥之院へと続きます。

山寺全体が自然と信仰、歴史が一体となった場所であり、根本中堂はその参拝の入口に位置する重要な御堂です。

自然と信仰が調和する山寺の入口

根本中堂は、山寺駅から歩いて訪れることができる山寺境内の入口近くにあります。周囲には杉木立や岩山が広がり、ふもとにありながら、山寺ならではの静寂と神聖な空気を感じられます。

堂内の仏像や不滅の法灯を拝した後、芭蕉ゆかりの場所を巡り、さらに石段を登っていくことで、山寺の歴史と信仰をより深く体感できます。

歴史ある木造建築、秘仏の薬師如来、1200年以上受け継がれる不滅の法灯。根本中堂は、山寺の長い歴史を一つの場所で感じることができる、立石寺参拝の出発点ともいえる重要な御堂です。

根本中堂

根本中堂は山寺の総本堂であり、不滅の法灯が何世紀にもわたって内陣を優しく照らしてきました。宝珠山の麓に位置し、山寺に登る際に最初に目にする建物です。根本中堂は、山寺の中でも最も古い建物の1つで、重要文化財に指定されています。

860年に慈覚大師円仁(794~864年)によって創建され、1356年に初代山形城主・斯波兼頼(1329~1379年)により再建されました。そのため、日本最古のブナの建造物とされています。

堂内の本尊と仏像

根本中堂の内陣は一般に公開されており、中央の厨子には本尊として慈覚大師 円仁自らが彫ったと伝えられる木造薬師如来坐像が安置されています。この像は50年に1度しか一般公開されません。また、脇侍として日光・月光両菩薩が薬師如来を護り、その周りを十二神将が囲んでいます。

その左右に知恵の文殊菩薩立像と、四天王の一尊である武神・毘沙門天立像が祀られています。知恵の文殊菩薩立像はかつて文殊堂に祀られていましたが、火事の後に根本中堂に移設されました。

不滅の法灯

堂内の厨子の前で燃えている不滅の法灯は、延暦寺から運ばれた聖なる炎です。この灯は伝教大師が比叡山に灯した灯を立石寺に分けたものです。織田信長の焼討ちで延暦寺が再建された際には、逆に立石寺から灯を分けたと伝えられています。この法灯は1,200年以上にわたって山寺と延暦寺の間で灯を分け合いながら燃え続け、根本中堂の内陣を照らし続けています。

山寺の歴史

山寺の正式名称は宝珠山 立石寺で、貞観2年(860年)に清和天皇の勅願により慈覚大師 円仁が開いた天台宗の寺院です。山寺は、京都と滋賀にまたがる比叡山延暦寺の分院として位置づけられています。円仁は、中国から日本へ天台宗を伝えた第3代天台座主で、天皇の命により仏教を広めるため、北部日本の辺境を旅しました。

俳聖・松尾芭蕉が名句を詠んだことで有名な天空の古刹です。山全体が修行と信仰の場であり、神聖な宝珠山の森の傾斜部に建立されています。登山口から杉木立を縫うように大仏殿のある奥之院まで1015段もの石段の道のりには、奇岩怪石や歴史あるお堂、絶佳の景観が広がります。

この石段は、登ることで煩悩が消滅すると言われる修行の石段です。山寺は、複数の御堂が集まる集合体で、ここまでの道のりはサムサラ(永遠の再生;輪廻)を追体験するものとされています。寺の境内正門に位置する山門で、訪れた人々は徐々に「来世」に入ります。山を登りながら、参拝者は清められていきます。上で瞑想と祈願を終えると、参拝者は下山を始め、仏陀の教えと共に新たに生まれます。

奥之院まで1時間ほどの道のりで、普段の服装や靴で問題なく登ることができます。芭蕉は「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句を『おくのほそ道』に残しています。

宝珠山麓

立石寺の入り口は山寺駅から少し歩いたところにあります。最初に到着するのが山寺の総本堂である根本中堂です。根本中堂を過ぎると、俳諧師・松尾芭蕉(1644~1694年)の像と彼の有名な蝉の俳句が刻まれた俳句碑があります。芭蕉は立石寺の閑静さに触発され、蝉の俳句を詠みました。この俳句は『おくのほそ道』に含まれています。

閑さや(なんという閑さか)
岩にしみ入る(蝉の声が)
蝉の声(岩にしみ入っていく)

宝珠山を登る

山道は提灯が並ぶ道を進み、各種像やそびえ立つ木々を過ぎ、宝物殿、念仏堂、日枝神社を通り過ぎた後、姥堂に到達します。そこから上の極楽とそこから下の地獄の境にある象徴的な門です。姥堂には、生前の世界と死後の世界を隔てる三途の川の河原で死人の服をはぎ取る怖い老婆・奪衣婆の色鮮やかな像が納められています。姥堂ではかつて、参拝者たちが心身を清め、奪衣婆に自らの着物を奉納し、登山を続ける前に新しい着物に着替えていました。これは、参拝者の世俗的欲望や汚れを流すという象徴的な習慣でした。参拝者はここで心身を清め、登山を続けます。

さらに登ると、せみ塚の石碑の近くに弥陀洞があります。この岩は風雨によって自然に削られ、阿弥陀如来を彷彿させる形状となりました。阿弥陀如来の姿に見える人には、ご利益があると言われています。山の中間地点に仁王門があり、悪いものが入らないように両脇に金剛力士像が立っています。その先には、性相院、金乗院、中性院、華蔵院の4つの寺があります。

極楽の象徴

立石寺の最上部は、極楽を表しています。教えの実践者が転生に備えて仏教の教えについて瞑想します。この遊歩道は分岐していて、うち1つは、最も奥にある奥の院(納経堂と大仏殿)につながっています。納経堂には歴史的な仏である釈迦牟尼と、豊富な宝の仏である多宝如来の像が祀られています。これらの像は、僧侶円仁が中国で仏教を学んだ後に、中国から持ち帰ったと言われています。隣の大仏殿の中には高さ4.8メートルの金仏像、阿弥陀如来像が納められています。

もう一方の遊歩道は、慈覚大師円仁を祀る開山堂につながっています。その中には、創建者の木造の像が安置されており、僧侶が、朝晩、食べ物を供えています。断崖絶壁に露出している赤い小さな建物が、納経堂です。納経堂は、修行中の僧侶が書き写した経典を納めるための場所です。狭い階段は、開山堂の上の絶壁に建てられた五大堂に続いています。五大堂からは、立石寺と眼下の渓谷を、一望することができます。

Information

名称
山寺(立石寺)根本中堂
(やまでら りっしゃくじ こんぽん ちゅうどう)
Konpon Chudo at Yamadera (Risshakuji Temple)
リンク
公式サイト
住所
山形県山形市山寺4456-1
電話番号
023-695-2002
営業時間

8:00~17:00

料金

入山料(山門 奥之院)
大人 300円
中人(中学生)200円
小人(四歳児以上)100円

宝物殿
大人(高校生以上)200円
小人(四歳児以上)100円

根本中堂内陣参拝
200円

駐車場
周辺有料駐車場を利用
アクセス

JR山寺駅より登山口まで徒歩5分

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