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山形城跡・霞城公園

(やまがたじょうあと かじょう こうえん)

奥羽地方最大級の規模を誇る城

山形城跡・霞城公園は、山形県山形市の中心部に位置する歴史公園です。かつてこの地に築かれていた山形城は、堀を幾重にも巡らせた輪郭式の平城で、最上義光によって大きく発展しました。

山形城跡は国の史跡に指定されているほか、日本100名城にも選定されています。現在は本丸と二の丸を中心に霞城公園として整備され、城門や石垣、水堀などから往時の城郭の姿を感じることができます。

近年は発掘調査や復元整備が進められており、二の丸東大手門や本丸一文字門大手橋などが復元されました。歴史的景観を少しずつ取り戻しながら、山形を代表する観光スポットとして親しまれています。

歴史と文化に触れられる城跡公園

霞城公園の周辺には、山形市郷土館(旧済生館本館)、山形県立博物館、山形美術館、最上義光歴史館など、山形の歴史や文化を学べる施設が集まっています。

城跡の散策とあわせてこれらの文化施設を訪れることで、山形の歴史や地域文化をより深く知ることができます。

春を彩る約1,500本の桜

霞城公園は、山形市を代表する桜の名所としても知られています。園内には約1,500本の桜が植えられており、春になると城跡を華やかに彩ります。

桜の開花時期には、東から南側にかけての濠沿いの桜がライトアップされ、夜桜を楽しむことができます。また、桜の季節には「霞城観桜会」も開催され、多くの花見客で賑わいます。

山形市郷土館(旧済生館本館)

霞城公園内には、明治時代の貴重な洋風建築である山形市郷土館(旧済生館本館)があります。

この建物は1878年に山形県立病院として建設され、1969年に現在の場所へ移築・復原されました。明治初期の下見板張擬洋風建築を代表する建物として評価され、国の重要文化財に指定されています。

館内は無料で見学でき、当時使用されていた医療器具などが展示されています。独特の外観を持つ建物そのものも見どころの一つです。

「首洗い石鉢」に残る歴史の伝承

山形市郷土館の近くには、「首洗い石鉢」と呼ばれる史跡が残されています。最上義光が宿敵であった白鳥十郎長久を討った際、その首を置いたと伝えられている石鉢です。

現在も当時の歴史を伝える遺構として保存されており、山形城跡に残る歴史の一面を感じさせる場所となっています。

最上義光の勇姿を伝える銅像

公園内には、山形城を大きく発展させた最上義光の銅像が建てられています。

最上義光は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した出羽国の大名で、出羽山形藩の初代藩主です。山形城を拡張するとともに城下町の整備を進め、山形の発展に大きな役割を果たしました。

銅像では、義光が自ら先陣に立ち、馬を駆って合戦へ向かう勇壮な姿が表現されています。山形城の歴史を象徴する存在として、多くの人に親しまれています。

山形城の歴史

山形城築城のはじまり

山形城が築かれた地域は、山形盆地の南部、馬見ヶ崎川によって形成された扇状地に位置しています。古くから交通の要衝であり、羽州街道と笹谷峠方面へ向かう道が交わる場所として重要な役割を担ってきました。

南北朝時代の1356年、斯波兼頼が羽州探題として山形に入り、翌年に山形城を築いたとされています。その後、斯波氏は最上氏を名乗るようになり、山形城は代々最上氏の居城となりました。

最上義光による城郭と城下町の整備

戦国時代から江戸時代初期にかけて、最上義光は山形城の大規模な拡張を進めました。三の丸を整備し、家臣の屋敷を配置するとともに、城下町の整備にも力を注ぎました。

その後、慶長出羽合戦などを経て最上氏の領地が拡大すると、山形城は広大な領地を治める本城として重要性を増していきました。

江戸時代の山形城

1622年に最上氏が改易されると、鳥居忠政が山形城主となり、城の改修が行われました。その後も藩主はたびたび交代しましたが、藩の石高が減少したことなどから、次第に城の規模や格式は低下していきました。

江戸時代中期以降には城郭の維持も難しくなり、幕末頃には本丸が更地となり、御殿は二の丸に置かれていました。また、三の丸の西側には田畑が広がるなど、城郭としての姿は大きく変化していました。

明治時代から近代へ

明治時代になると山形城は大きく姿を変えました。1870年に山形藩が転封となった後、城郭は荒廃が進み、外壁や櫓なども傷みが目立つようになりました。

その後、山形市が城跡を購入し、陸軍の駐屯地として利用されました。1906年には、日露戦争からの凱旋を記念して歩兵第三十二連隊の帰還将兵が周辺にソメイヨシノを植樹しました。これが現在の桜の名所としての霞城公園につながっています。

史跡公園としての整備と復元

戦後、二の丸の内側は霞城公園として整備され、城跡の保存と活用が進められました。1986年には国の史跡に指定され、江戸時代末期の資料や発掘調査の成果をもとに、城門などの復元整備が進められています。

1991年には二の丸東大手門が復元されました。大規模な枡形門で、その規模は江戸城の城門にも匹敵するとされています。

さらに2006年には本丸一文字門に架かる大手橋が復元され、同年4月6日には日本100名城に選定されました。2013年には本丸大手門枡形内の高麗門と土塀も復元され、翌年から一般公開されています。

奥羽地方最大の城郭規模

山形城は、三の丸の内側だけでも約235ヘクタールという広大な規模を誇っていました。日本の城郭の中でも有数の広さを持ち、かつては奥羽地方最大の城とされていました。

江戸時代初期の最上氏時代には57万石の領地を治める本城として機能していましたが、藩主の交代などによって領地が縮小し、広大な城郭を維持することが次第に難しくなっていきました。

輪郭式平城の特徴

山形城は、本丸・二の丸・三の丸を同心円状に配置した輪郭式平城です。二の丸には5つ、三の丸には11の出入り口が設けられていました。

本丸には御殿が置かれていましたが、一般的な城に見られる天守は築かれませんでした。その一方で、二の丸には天守の代わりとなる三重櫓が設けられていたとされています。

現在も残る水堀

現在の霞城公園を囲む水堀は、山形城二の丸の堀にあたります。城跡の中でも保存状態が良く、当時の城郭の規模や構造を感じられる重要な遺構です。

一方、三の丸の水堀は江戸時代末期頃には埋没が進み、湿地となっていた場所も多くありました。現在では住宅地などの地下に埋もれていますが、発掘調査によって、その遺構が良好な状態で残されていることが確認されています。

城跡散策と桜、歴史文化を楽しめる公園

山形城跡・霞城公園は、山形城の歴史を感じながら、堀や石垣、復元された城門などを見学できる観光スポットです。春には約1,500本の桜が咲き誇り、歴史的な城跡と桜が織りなす美しい景観を楽しめます。

また、公園内外には歴史・美術・郷土文化に関する施設も集まっているため、城跡の散策とあわせて山形の文化をじっくり楽しむことができます。山形市街地を訪れた際には、歴史と自然の両方に触れられる霞城公園を散策してみてはいかがでしょうか。

霞城公園の桜

霞城公園は、山形市随一の桜の名所であり、約1,500本の桜が咲き誇ります。桜の季節には、東から南濠沿いの桜がライトアップされ、「霞城観桜会」が開催されます。

山形市郷土館(旧済生館本館)

霞城公園内には、1878年に山形県立病院として建設され、1969年に移築復原された「山形市郷土館(旧済生館本館)」もあります。明治初期の下見板張擬洋風建築の最高傑作と評価され、国の重要文化財に指定されています。無料で見学可能で、当時の医療器具などが展示されています。

建物のそばには、「首洗い石鉢」が現存し、最上義光公が最大のライバルだった白鳥十郎長久を殺害した際にその首を置いたという、血なまぐさい謂われのある史跡です。

最上義光の銅像

敷地内には、勇ましい最上義光の銅像があります。最上義光は戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名で、出羽山形藩の初代藩主です。山形城の城主は度々入れ替わったにもかかわらず、義光公が一代で大名にのしあがり、町の発展に貢献したため、その人気の高さから銅像が建てられました。最上義光が先陣を切って合戦に向かう雄姿が表現されています。

山形城

山形城(やまがたじょう)は山形県山形市霞城町にあった城で、別名は霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)、吉字城とも呼ばれています。国の史跡に指定され、日本100名城にも選定されています。

山形城の基礎は最上義光の時代に作られ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられました。江戸時代には山形藩の政庁が置かれ、現在では三の丸が市街地化していますが、本丸と二の丸跡が霞城公園として残されています。霞城公園は以前は運動公園として整備されていましたが、現在は史跡公園として整備が進められています。

山形城の大手南門は市内の万松寺山門として移築され、現存しています。また、市内八日町の宝光院の本堂は御殿の建物を移築したもので、県指定文化財となっています。

歴史と沿革

前史
山形城が立地するのは山形盆地南側、馬見ヶ崎川扇状地の中央やや北寄りで、羽州街道と笹谷峠の合流点に位置します。鎌倉時代までは最上郡の中心として栄えました。

最上氏による築城
南北朝時代の正平11年/延文元年(1356年)に斯波兼頼が羽州探題として山形に入部し、翌年に山形城を築城しました。以後、出羽斯波氏は最上氏を名乗り、最上氏の居城となりました。最上義光は慶長年間に城郭を拡大し、三の丸を構築、家臣団の屋敷を置きました。さらに城下町を整備し、慶長出羽合戦で得た出羽57万石の本城となりました。

江戸時代
元和8年(1622年)に最上氏が改易された後、鳥居忠政により改修がなされました。鳥居氏以後も藩主家は度々変わりましたが、次第に城の格式と規模は低下し、江戸中期以降は城の維持が困難になりました。幕末には御殿は二の丸に置かれ、本丸は更地となり、三の丸の西半分は田畑になっていました。

近代
明治3年(1870年)に山形藩が転封となり、城郭は大破して外壁や矢倉も風雪に耐えかねる状態でした。城が売りに出されると、山形市が購入し、陸軍の駐屯地となりました。日露戦争凱旋を記念して歩兵三十二連隊の帰還将兵が明治39年に周囲にソメイヨシノを植林し、桜の名所となりました。

現代
戦後、二の丸の内側は霞城公園となり、二の丸の外側は市街地化が進みました。昭和61年(1986年)には国の史跡に指定され、江戸末期の資料に基づいて東大手門や本丸の復元が行われました。平成3年(1991年)には二の丸東大手門が修復および復元され、この門の規模は江戸城の城門に匹敵します。

平成18年(2006年)には本丸の正門にあたる一文字門に架かる大手橋が復元され、同年4月6日には日本100名城に選定されました。平成25年(2013年)には本丸大手門枡形内の高麗門および土塀が復元され、翌年8月から公開が始まりました。

規模と構造

山形城の三の丸の内側の面積は235haもあり、日本国内では5番目の広さで、奥羽地方では最大の城でした。江戸時代初期の最上氏時代には57万石ありましたが、度重なる藩主交代に伴い石高が削減され、維持が困難な状態になりました。

城は本丸、二の丸、三の丸が同心円状に配置された輪郭式平城で、二の丸には5つ、三の丸には11の出入り門が作られました。城郭は中世の居館を拡張して構築され、本丸には御殿があり、天守は造られませんでしたが、二の丸に代用の三重櫓が建てられていました。

霞城公園を取り囲む水堀は二の丸の濠であり、良く保存されています。三の丸の水堀は江戸期の終わりごろには埋没し、湿地化していたところが多く、現在は住宅地などの地下に埋没していますが、発掘調査の結果、良く保存されていることが確かめられました。

Information

名称
山形城跡・霞城公園
(やまがたじょうあと かじょう こうえん)
Yamagata Castle Ruins and Kajō Park
リンク
公式サイト
住所
山形県山形市霞城町3
電話番号
023-641-1212
営業時間

4月~10月 5:00~22:00
11月~3月 5:30~22:00

定休日

年中無休

料金

無料(ただし園内施設で料金が必要な場合あり)

駐車場
無料 230台
アクセス

山形駅東口から東大手門まで15分
山形駅西口から南門まで10分

エリア
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カテゴリ
城 公園・緑地・多目的施設 桜・春の花

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