参拝ルート
山寺は奇岩怪石からなる山全体が修行と信仰の場となっており、登山口から杉木立を縫うように1015段もの長い石段を登って大仏殿のある奥之院まで1時間ほどの道のりです。
この石段は、登ることで煩悩が消滅すると言われる修行の石段です。途中には句碑や史跡、石仏、絶景スポットなどが点在し、知的にも感覚的にも楽しみながら登ることができます。普段の服装や靴で問題なく登ることができます。
1. 登山口
山寺の入口には「登山口」と書かれています。ここからは「拝観」というよりも「登る」という言葉がふさわしいです。
2. 根本中堂
入母屋造りで5間4面の建物で銅板葺の内陣には、平安時代の一木造り秘仏本尊、薬師如来座像が安置されています。延文元年(1356年)に初代山形城主・斯波兼頼が再建し、ブナの建造物としては日本最古を誇ります。国指定の重要文化財です。
3. 芭蕉像
俳人・松尾芭蕉の像があり、元禄2年(1689年)に山寺を訪れた際に詠んだ句「閑さや 巌にしみ入る 蝉の声」の句碑と、弟子の曾良の像も立っています。句碑は嘉永6年(1853年)に門人たちが建立しました。
4. 宝物殿
天養元年如法経所碑(1144年、国重文)、木造の大日如来坐像・阿弥如来立像、釈迦如来立像、伝教大師座像など、多くの宝物が収められています。
5. 山門
鎌倉時代の作といわれる山門で、奥の院への登山口となっています。
6. せみ塚
山門から仁王門への途中に立つ記念碑で、芭蕉の句をしたためた短冊が納められています。
7. 仁王門
嘉永元年(1848年)に再建されたケヤキ材の優美な門で、左右に安置された仁王尊像は運慶の弟子たちの作といわれます。
8. 奥之院
開山・慈覚大師円仁が中国で修業中に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来をご本尊としています。
9. 三重の小塔
内部には三重塔の本尊である大日如来像が安置されています。日本最小規模の三重の塔で、国指定の重要文化財です。
10. 開山堂、納経堂
立石寺を開いた慈覚大師円仁を祀るお堂で、大師の木造の尊像が安置され、朝夕に食事と香を供えています。左の岩の上の赤い小さな堂は納経堂で、山内で最も古い建物です。
11. 五大堂
開山30年後に建立された五大明王を祀る道場です。断崖に突き出すように立ち、山寺を一望できる絶景スポットです。
山寺(宝珠山立石寺)の歴史
創建
山寺は、貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したと伝えられています。平安時代初期に遡る創建と円仁との関係は確かですが、創建の正確な時期や事情には諸説あります。草創の時期は貞観2年よりもさらに遡ると推定されています。
『立石寺記録』によれば、円仁が「開山」、安慧(あんね)が「開祖」とされています。円仁の弟子である心能と実玄も寺の創建に関わり、それぞれが安養院、千手院、山王院を開きました。安慧は円仁の後を継いで天台座主となり、立石寺の実質的な創立者とされています。
円仁の東国巡錫は天長6年(829年)から9年(832年)に行われ、この際に弟子の心能と実玄をこの地に残して立石寺の開創にあたらせたとされています。
円仁の入定窟
立石寺には、円仁の遺骸を安置すると伝える入定窟があります。史実としては、円仁は貞観6年(864年)に比叡山で没していますが、入定窟には天養元年(1144年)の『如法経所碑』があり、「大師の護持を仰いで法華経を埋納する」という内容が記されています。昭和23年(1948年)から翌年にかけての学術調査で、金箔押しの木棺と人骨5体分、円仁像と思われる頭部のみの木彫像が発見されました。この木彫像は9世紀頃の制作とされ、円仁像であると認められています。
中世以降の山寺
鎌倉時代には幕府の保護と統制を受け、関東御祈祷所となり栄えました。本尊薬師如来坐像は元久2年(1205年)に修理され、この時に本堂の修造が完了し十二神将像が造立されました。その後、兵火により伽藍を焼失し、13世紀中頃には禅宗に改宗しました。延文元年(1356年)には、源氏の斯波兼頼によって再建され天台宗に戻りました。
文明14年(1482年)には雪舟等楊が訪れ写生しています。大永元年(1521年)には天童頼長の兵火を受けて一山が焼失しましたが、その後、比叡山延暦寺から分燈された法燈を再度受け、再建が進められました。
最上家との関係
山形城主であった最上家(斯波兼頼を祖とする)との関係が深く、同家の庇護を受けていました。最上義守の母・春還芳公尼は荒廃した堂宇の再興に努め、その孫である最上義光も立石寺を保護しました。義光の時代の分限帳によれば、寺領1,300石が与えられていました。最上氏が改易される元和2年(1622年)まで、最上氏は山寺を崇敬し保護し続けました。
江戸時代の繁栄
最上家改易後も信者を募り、広域的な信仰の広がりを見せました。江戸時代初期には2800石の朱印地、僧房100寺、僧侶300余人を有するまでに繁栄しました。元禄2年(1689年)には松尾芭蕉が訪れ、『おくのほそ道』にその時のことが書かれています。芭蕉は名句「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」を詠み、参道には句碑と「せみ塚」があります。
文化財
重要文化財
立石寺中堂(根本中堂)
指定日: 明治41年(1908年)4月23日
概要: 正平年間(1346年~1370年)の再建と伝えられています。慶長13年(1608年)の大修理を含め数度の修理を受けていますが、現在の姿は慶長13年のものです。公開されています。
天養元年如法経所碑
指定日: 大正4年(1915年)3月26日
概要: 天養元年(1144年)8月18日に真語僧入阿らが妙法蓮華経1部8巻を書写し、霊崛のほとりに納めたことが記されています。非公開です。
立石寺三重小塔
指定日: 昭和27年(1952年)7月19日
概要: 塔頭華蔵院境内の右側の岩壁に南面して掘られた岩屋の内にある、高さ2.5mの木造小塔です。相輪に永正16年(1519年)の銘があり、その頃に造立されたものと思われます。公開されています。
木造薬師如来坐像
指定日: 昭和44年(1966年)6月11日
概要: 膝部裏から元久2年(1205年)の修理銘が発見され、平安時代の作とされています。桂の一木造。秘仏であり、非公開です。
木造慈覚大師頭部 1箇・木棺 1合(附:木造五輪塔、元和四年木札、貞享四年木札)
指定日: 平成18年(2006年)6月9日
概要: 平安時代前期の製作と推定されています。非公開です。
国の名勝・史跡
山寺
指定日: 昭和7年(1932年)3月25日
概要: 国の史跡・名勝に指定されています。
納経堂と開山堂
納経堂
山寺の断崖絶壁の上に建つ小さな赤い建物、納経堂の下には、山寺の創建者である慈覚大師円仁(794~864年)の遺骸がかつて黄金に包まれていた棺に納められていると言われています。山寺では、僧侶が経典を書き写す修行が行われ、この写経の工程は最長で4年を要します。写経が完成すると、円仁への奉納品として納経堂に納められます。1987年に修理されたこの建物は、県指定重要文化財に指定され、山寺の最も象徴的な建築物の1つです。
開山堂
開山堂は納経堂の隣にあり、慈覚大師円仁の木造尊像が安置されています。毎日、食べ物と香が供えられており、慈覚大師円仁の命日にあたる1月14日には、慰霊祭が行われます。開山堂は1800年代中期に建てられたものです。
根本中堂
根本中堂は山寺の総本堂であり、不滅の法灯が何世紀にもわたって内陣を優しく照らしてきました。宝珠山の麓に位置し、山寺に登る際に最初に目にする建物です。根本中堂は、山寺の中でも最も古い建物の1つで、重要文化財に指定されています。860年に慈覚大師円仁(794~864年)によって創建され、1356年に初代山形城主・斯波兼頼(1329~1379年)により再建されました。そのため、日本最古のブナの建造物とされています。
本堂の内陣は一般に公開されており、木造薬師如来立像が中央の厨子に安置されています。この薬師如来立像は円仁自らが彫ったとされ、50年に1度しか一般公開されません。日光菩薩と月光菩薩が厨子の脇に立ち、十二神将が薬師如来を護っています。
不滅の法灯は、慈覚大師円仁が延暦寺から持ち運び、山寺の創建を記念して灯された聖なる炎です。数世紀にわたり、山寺と延暦寺の炎はそれぞれ異なる時期に燃え尽きてきましたが、一方の炎が消える度にもう一方の炎で再び灯が灯されてきました。以来、1200年以上にわたり両寺の炎は絶えず燃え続けています。
内陣の右隅には知恵の文殊菩薩立像が安置されており、かつては文殊堂にあったものが火事の後に根本中堂に移設されました。左隅には四天王の一尊である武神・毘沙門天立像が立っています。
日枝神社
日枝神社は、山寺の境内のふもとに位置しています。山寺が建立された際、比叡山の天台宗総本山である比叡山に敬意を表して建てられました。日枝神社は、山寺の守護神である山王権現を祀っています。権現とは、神道神の姿で表される仏教神(仏陀や菩薩)の顕現を意味し、この神社は、明治時代以前に存在していた神道と仏教の融合を象徴しています。神社の前には、山寺を建立した円仁(794年~864年)が植えたとされる樹齢1000年の巨大な銀杏の木がそびえ立ち、天然記念物に指定されています。
日枝神社は毎年5月17日に開催される山王祭で有名です。山王祭では、3基の神輿が伝統的な音楽に合わせて日枝神社から寺下の道路へ運ばれ、神輿の担ぎ手が日枝神社に戻る前に通りを素早く走り抜け、祭りはクライマックスを迎えます。この祭りでは雨が吉兆とされ、たった3滴でも雨が神輿に当たれば、翌年は豊作になると言われています。
大仏殿(奥の院)
山寺の境内の頂上までの1,015段の道のりは、奥の院で終わります。奥の院にたどり着いた者は、世俗的欲望を克服できると言われています。奥の院は右側の如法堂と左側の大仏殿の2つの建物で構成されています。大仏殿には、金箔に包まれた4.8メートルの阿弥陀如来の座像が安置されています。
五大堂
五大堂は山寺の上層部の断崖に立ち、仏教信仰の守護神である五大明王が祀られています。この堂からは山寺全体を見渡せ、ふもとの山寺駅からもその姿を確認できます。五大堂は支柱の上に建ち、断崖に突き出しています。山寺の創設者に捧げて建てられた開山堂から、目立たない石造りの狭い階段を上ると、五大堂にたどり着きます。ここからは立石寺と眼下の渓谷を遮ることなく眺めることができます。