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韮山反射炉

(にらやま はんしゃろ)

大砲を鋳造するための炉

幕末に韮山代官江川坦庵の提案によって建設された、金属を溶かし大砲の鋳造を行うための耐火煉瓦製の炉です。

この反射炉は伊豆の国市のシンボル的存在であり、現存する唯一の稼働した反射炉で、今でも築造当時の原形の姿をほぼとどめています。

1857年に建設が完了、高さ15.6メートルの連双2基に合計4つの炉から成っています。幕府直営の反射炉として大砲が鋳造されました。

付属機械は明治期に陸軍に引き渡されたため、反射炉本体のみ現存しています。

日本にはこの韮山反射炉と山口県萩市にある萩反射炉の2つしか近世の反射炉が現存していません。

世界的にも、実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉として唯一の遺構とされています。

敷地内は自然に囲まれ、緑に包まれた心地よい空間で、川のせせらぎも心癒されます。

隣接する茶園では、訪れた人が茶摘み娘になってお茶を摘む体験ができます。

また、隣接の「蔵屋鳴沢」では地ビールレストラン、やぶきた茶の製造直売、お土産品の販売も行われています。

伊豆観光の際には、ぜひ韮山反射炉も訪れてみてください。

反射炉

幕末に造られた大砲鋳造施設で、炉の内部は耐火レンガでアーチ状になっており、この湾曲が熱と炎を反射して鉄を溶かす役割を果たしていました。

耐火レンガは高温の千数百度にも耐える特性を持っています。

この韮山反射炉は、近代鉄鋼業の発祥の象徴と言え、国の史跡に指定されており、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産にも登録されています。

韮山反射炉は、幕末期に韮山代官 江川英龍(坦庵)が着手し、その後を継いだ息子の英敏が完成させたものです。

反射炉とは、金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉のことです。韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として日本国内で唯一現存しています。

この反射炉の内部では、銑鉄を溶かして優良な鉄を生産するための仕組みがあります。銑鉄を溶かすためには高温が必要であり、反射炉内部の溶解室の天井は浅いドーム形となっています。

この構造により、炎や熱を反射させて銑鉄に集中させ、高温を実現しています。その仕組みから反射炉と呼ばれるようになりました。

韮山反射炉の高さは約15.7メートルであり、実際に稼働した反射炉は日本でここだけが残っています。

かつての稼働時には、反射炉の周囲には作業小屋や倉庫などが建ち並び、多くの職人たちが働いていました。

また、韮山反射炉は、幕末の日本が外国の脅威に直面した際、江戸湾海防を担当した江川英龍(坦庵)が命じられた建設プロジェクトの一環として始まりました。

当初は下田港近くに建設予定でしたが、ペリー艦隊の進入により急遽移転し、韮山代官所に近い中村(現伊豆の国市中)に建造されました。そして、英敏の尽力により、安政4年(1857年)にようやく完成したのです。

韮山反射炉では、幕府直営の反射炉として機能し、鉄製18ポンドカノン砲や青銅製野戦砲などの西洋式大砲が鋳造されました。

この反射炉は築造当時の姿をほぼそのまま残しており、世界的にも、実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉として唯一の遺構とされています。

歴史

韮山反射炉は、1840年(天保11年)のアヘン戦争に対する危機感から、韮山代官の江川英龍が海防政策の一環として提案しました。鉄砲を鋳造するために必要な反射炉を築くことを目指したのです。

そして、1853年(嘉永6年)に黒船来航を受けて、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定されました。

1853年に伊豆下田で築造が始まり、翌1854年(安政元年)にアメリカ合衆国のマシュー・ペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入したことから、築造場所が田方郡中村字鳴滝に変更されました。

そのため建造当時は中村反射炉と呼ばれていましたが、明治以降に韮山反射炉と称されるようになりました。

江川英龍が1855年(安政2年)に亡くなると、息子の江川英敏が築造を引き継ぎ、1857年(安政4年)に完成しました。

江川英敏は、韮山反射炉の築造にあたって、1857年には北炉の完成を目指し、佐賀藩で築地反射炉・多布施反射炉の築造に携わった技師田代孫三郎・杉谷雍助など11人を招いて技術協力を得ました。

反射炉本体での鋳造は1857年から1864年まで行われ、その後1868年に幕府直営から江川家私営となりました。

その後は風化が進んでいましたが、1908年(明治41年)に韮山村有志が反射炉敷地を購入し、陸軍省に献納したことで陸軍省所管となり、再工事されました。それ以降、韮山反射炉保勝会が維持・管理を行っています。

特徴

韮山反射炉は、連双2基4炉を備える反射炉であり、大砲を自力で製造したことが特徴です。反射炉の設計は、ヒュゲェニン(Ulrich Huguenin)著の蘭書『ロイク王立製鉄大砲鋳造所における鋳造法』が参考とされています。

炉体は、外側が伊豆石(緑色凝灰岩質石材)の組積造、内部が耐火煉瓦(伊豆天城山産出の土で焼かれた)のアーチ積となっています。

また、煙突も耐火煉瓦の組積で、高さは約15.7メートルです。当初は煙突部分の表面は漆喰で仕上げられていたとの記録もあります。

韮山反射炉では、鋳鉄製と青銅製の大砲を製造しましたが、具体的な製造内容は確定していません。

鋳鉄製18ポンド砲4門が製造され、そのうち2門が試打(試射)されたとされています。青銅製の大砲についても複数の種類が製造された模様です。

韮山古川

韮山反射炉では、砲身に砲穴を刳り貫く鑽開(さっかい)作業に水車動力を使いました。そのため、反射炉敷地脇を流れる古川を改修し、反射炉側へ水流を供給するために流れを蛇行させました。この改修した区間は世界遺産に含まれる一部で、約144メートルに及びます。

しかし、時間の経過とともに流下開削によって河床が下がり、護岸が石垣で補強されるようになりました。また、上流からの流石や川岸の土砂崩れによって、取水口部分が埋もれてしまいました。

古川は一級河川に指定されていますが、その起点は水車から排水された水流が再び川へ戻された合流点からとなっており、改修された箇所(世界遺産登録範囲)やそれより上流の水源域は準用河川扱いです。しかし、世界遺産に対する法的保護根拠としては河川法が適用されています。

韮山反射炉ガイダンスセンター

韮山反射炉の歴史や大砲製造工場として稼働していた当時の様子が大画面のシアターで学べる韮山反射炉に隣接する案内施設です。

明治日本の産業遺産が世界遺産に登録されたことを受け、韮山反射炉を含むこの遺産のガイダンス施設の設置が検討されました。

しかし、UNESCOの世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県に点在しており、主たる構成資産が九州にあります。

そこで、伊豆の国市は独自に韮山反射炉ガイダンスセンターを2016年に反射炉脇に整備しました。

韮山反射炉ガイダンスセンターでは写真、資料、映像などを通じて反射炉の仕組みや操業当時の様子を学ぶことができます。

映像ホールには、立体映像を楽しめる大型スクリーンが設置され、操業当時の大砲鋳造工程などが臨場感あふれる映像で展示されます。

展示ルームでは、モルチール(臼砲)や銃剣柵などの遺物とともに、耐火れんがや砲弾などが展示されています。また、古文書や写真を通じて韮山反射炉の変遷を紹介しています。

なお、世界遺産全体としては構成資産がない東京新宿には、産業遺産情報センターが2020年に設置されています。

Information

名称
韮山反射炉
(にらやま はんしゃろ)
Nirayama Reverberatory Furnace
リンク
公式サイト
住所
静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268-1
電話番号
055-949-3450
営業時間

3月~9月 9:00〜17:00
10月~2月 9:00〜16:30

定休日

毎月第3水曜日(臨時休館あり)

料金

一般 500円
小中学生 50円

駐車場
無料 150台
アクセス

伊豆箱根鉄道 韮山駅からバスで10分

東名高速道路 沼津IC より車で約30分
新東名高速道路 長泉沼津IC より車で約30分

エリア
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史跡・文化財・建造物・世界遺産

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