六義園は、東京都文京区本駒込六丁目に位置する都立庭園で、「回遊式築山泉水庭園」の代表的な日本庭園(大名庭園)です。国の特別名勝に指定されており、四季折々の美しい景観で多くの訪問者を魅了しています。
約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて、起伏のある景観をもつ、江戸時代初期に築かれた代表的な大名庭園の一つです。
元禄15年(1702年)に徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保によって造営されました。六義園は、和歌や漢詩を愛した吉保の趣味を反映し、庭園全体が詩的な風景を持つ「回遊式築山泉水庭園」として設計されています。
ツツジの花が特に有名で、象徴的な存在となっています。
庭園入口近くにある枝垂桜も、3月末に枝いっぱいの薄紅色の花を咲かせる名木として有名で、この枝垂桜の最盛期と紅葉の最盛期にはライトアップもされます。
六義園が造られた駒込地域は、当時は広大な原野が広がっていました。慶長(1596年)から元和(1624年)にかけて、江戸の中心は現在の外堀内を指す「御曲輪内(おくるわない)」とされており、文京区は「御曲輪外(おくるわがい)」と呼ばれていました。『文京区史』によれば、慶長年間には、千駄木二丁目の小笠原秀政、西片一丁目・二丁目の阿部正次、本駒込一丁目・二丁目の土井利勝といった主な武家屋敷が文京区に造られています。この時期、六義園の土地は武蔵野に繋がる広大な原野であり、樹林と豊富な水量に恵まれた、作庭には理想的な場所でした。
江戸が政治の中心となるにつれて、人口が増加し、街の発展が外周へと広がっていきました。特に明暦3年(1657年)の「振袖火事」や天和2年(1682年)の「お七火事」といった大火が発生するたびに、街の整理が進み、武家屋敷や神社仏閣も移転していきました。五代将軍徳川綱吉の時代には、江戸の街はさらに発展し、商人が台頭するようになりました。
五代将軍綱吉の家臣である柳沢出羽守保明(後の柳沢吉保)は、元禄8年(1695年)に幕府より染井村の約45,862坪の土地を拝領しました。吉保は、この土地に「別荘庭園」を作り上げることを計画し、平安時代の「寝殿造の庭」や室町時代の「書院造の庭」とは異なる、江戸時代の「回遊式築山泉水庭園」を築くことを目指しました。この庭園は、吉保の文芸趣向に基づき、紀州の和歌の浦の景勝を写し取るなど、『万葉集』や『古今和歌集』から名勝を選び出し、八十八境を再現したものです。庭園の名を「六義園」と名付け、「むくさのその」と呼び、館を「六義館」、「むくさのたち」と称しました。六義とは詩経に由来し、詩道の基本とされる六つの体「賦(ふ)」「比(ひ)」「興(こう)」「風(ふう)」「雅(が)」「頌(しょう)」を指します。
柳沢吉保が八十八に拘ったのは、「八」が「八雲」に通じ、八雲の道すなわち和歌の道を表すと同時に、八十八が未来永劫を意味するためです。この庭園は、江戸時代の風流を象徴する場所として、吉保の美学を反映した壮大な空間となりました。
六義園の作庭がいつ始まったかの正確な記録は残っていませんが、幕府から土地を拝領した頃とされています。完成したのは元禄15年(1702年)10月21日とされており、吉保は7年の歳月をかけて江戸屈指の大庭園を築き上げました。この間、江戸の世相は「元禄泰平」と言われながらも穏やかではなく、多くの事件が発生しました。吉保は政務多忙の中でも作庭工事を指示し、図面を広げて設計を監修し、造園の材料や奇岩、珍樹の寄付を受けて工事を進めました。
柳沢吉保の死後、息子の吉里が六義園の当主となりましたが、享保9年(1724年)に吉里が大和国郡山藩へ移封されたため、六義園の利用は減少しました。しかし、庭園の手入れは続けられ、3代目当主信鴻の代までは、少なくとも完成当時の姿を保っていました。しかし、寛政4年(1792年)に信鴻が亡くなった後、庭園は徐々に荒廃し、文化6年(1809年)までの約20年間で、その姿は大きく変わってしまいました。
明治時代になると、六義園は再び注目を浴び、庭園の復元が進められました。明治22年(1889年)、六義園は三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎により購入され、その後も手入れが行き届き、庭園は美しい姿を取り戻しました。昭和13年(1938年)には、岩崎家から東京都に譲渡され、以降は都立庭園として一般公開されています。
六義園は「回遊式築山泉水庭園」という形式で造られており、訪れる人々は園内を巡りながら四季折々の景色を楽しむことができます。庭園内には、大きな池や築山、石橋が点在しており、そのすべてが風光明媚な景観を形成しています。池の周囲を回遊することで、異なる角度から庭園の美しさを堪能できるのが特徴です。
六義園は、春には桜や梅、夏には青々と茂る木々、秋には紅葉、冬には雪景色と、四季折々の自然の美しさを楽しむことができます。特に、春の桜の季節には、多くの人々が訪れ、園内は華やかな雰囲気に包まれます。また、秋の紅葉も見事で、紅葉狩りの名所としても知られています。
六義園には、柳沢吉保が名付けた八十八境をはじめ、多くの名所があります。例えば、園内の高台「藤代峠」からは、庭園全体を見渡すことができ、その景観はまさに絶景です。また、庭園内にある「蓬莱島」は、不老不死の仙人が住むとされる伝説の島を模したもので、江戸時代の人々の理想郷への憧れを反映しています。
六義園は、東京都により大切に管理されており、その美しさを後世に伝えるための努力が続けられています。庭園内の植物や建物の手入れはもちろん、訪れる人々に庭園の歴史や魅力を伝えるためのガイドツアーも行われています。今後も六義園は、江戸時代の風流を感じることのできる貴重な文化財として、多くの人々に愛され続けることでしょう。
六義園へのアクセスは、公共交通機関が便利です。最寄り駅は、JR山手線と東京メトロ南北線の「駒込駅」で、徒歩約7分の距離にあります。また、東京メトロ南北線の「本駒込駅」からも徒歩10分でアクセスできます。
庭園の開園時間は、午前9時から午後5時まで(最終入園は午後4時30分)です。入園料は大人300円、小学生以下は無料となっています。また、年間パスもあり、何度でも訪れることができるので、季節ごとに異なる庭園の魅力を楽しむことができます。
六義園の周辺には、他にも多くの観光スポットがあります。例えば、旧古河庭園は、同じく東京都立の美しい庭園で、洋風建築と日本庭園が融合した魅力的な場所です。また、小石川植物園や上野公園など、自然を楽しむスポットも多く、六義園を訪れた際には周辺の観光も一緒に楽しむことができます。
六義園は、江戸時代から続く歴史的な庭園であり、その美しい景観と詩情豊かなデザインで多くの人々を魅了しています。四季折々の風景を楽しみながら、静かな時間を過ごせる六義園は、都会の喧騒を忘れさせてくれる癒しの場所です。訪れるたびに新しい発見があり、その魅力は尽きることがありません。
午前9時~午後5時
(入園は午後4時30分まで)
年末・年始
(12月29日~翌年1月1日まで)
一般 300円
65歳以上 150円
小学生以下 無料
JR山手線「駒込」(南口)下車 徒歩7分
東京メトロ南北線「駒込」(N14)下車 徒歩7分
都営地下鉄三田線「千石」(I14)下車 徒歩10分