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明治神宮

(めいじ じんぐう)

緑豊かな木々に包まれる心静かな杜

明治神宮は、東京都渋谷区に位置する日本の著名な神社です。祭神として祀られているのは明治天皇と昭憲皇太后で、1920年(大正9年)11月1日に創建されました。旧社格は官幣大社で、勅祭社としての格式を持っています。

広大な神域とその構成

明治神宮は約73ヘクタール(約22万坪)に及ぶ広大な神域を持ち、内苑と外苑に分かれています。内苑には本殿があり、厄除けや七五三などの祈願が行われる神楽殿明治時代の宮廷文化を偲ぶ御物を展示する「明治神宮ミュージアム」、そして御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する「武道場至誠館」などがあります。

神道文化の発信拠点

また、神道文化の国際的な発信を行う「明治神宮国際神道文化研究所」も内苑に設置されており、日本文化と神道の魅力を国内外に広める役割を担っています。

初詣と参拝者数

明治神宮は毎年新年に国内外から多くの観光客が訪れる場所でもあります。特に初詣には例年数百万人が参拝し、その数は全国1位を誇ります。

明治神宮の社名について

「神宮」の称号

明治神宮の称号は、「神宮」とされています。これは、天皇を祀る神社であることを示す格式の高い名称です。当初は新たな称号を創設することも検討されましたが、結局「神宮」に決まりました。

「東京神宮」案

また、社名の検討過程では、天皇を祀る神社として、所在地である東京の名を冠した「東京神宮」という案もありました。しかし最終的には、「明治」という元号と時代の意義を考慮し、「明治神宮」という社名が選ばれました。

「宮」の表記について

明治神宮が授与する神札では、「宮」の字が特別な形で表記されています。具体的には、「呂」の中間に「ノ」を入れない「宫」の字が用いられています。これは、神宮創建時に造営局副総裁の床次竹二郎が書いた書体に基づくもので、現在もその伝統を守っています。しかし、正式な神社名については大正11年(1922年)の『明治神宮明細帳』において「ノ」が入った「宮」が使用されており、公式には「宮」と表記するのが正しいとされています。

明治神宮の祭神

祭神としての明治天皇と昭憲皇太后

明治神宮の祭神として祀られているのは、第122代天皇である明治天皇とその皇后である昭憲皇太后です。当初、神社創建時には明治天皇のみが祀られる予定でしたが、昭憲皇太后も崩御されたため、二柱の神々が共に祀られることになりました。

明治神宮の歴史

創建の経緯

明治神宮が建てられた場所は、江戸時代初期には肥後藩主・加藤家の別邸があり、寛永17年(1640年)からは彦根藩主・井伊家の下屋敷となっていました。1874年(明治7年)、井伊家から明治政府に買い上げられ、南豊島御料地として利用されていました。

明治天皇崩御後の議論と決定

1912年(明治45年)に明治天皇が崩御した際、天皇の死に関する法的整備は整っていませんでした。明治天皇が定めた首都である東京では、彼の即位50年記念行事の準備が進行していました。そのため、天皇の崩御後、これらの施設を明治天皇、あるいは明治という時代を記念するものとして東京に建設する計画が浮上しました。

明治天皇の遺志により、天皇陵は京都(伏見桃山陵)に建設されることが決まりましたが、東京に記念施設を建設する運動も盛り上がり、その中には「明治天皇を祀る神社」を創設する案も含まれていました。

神社創建の動きと渋沢栄一の役割

明治天皇の崩御後すぐに、実業家の渋沢栄一や東京市長の阪谷芳郎を中心に有志委員会が組織され、神宮創設の具体案をまとめた『覚書』が公表されました。その中には以下のような骨子が含まれており、実際に実現した神宮の構成に非常に近いものでした。

これらの構想に基づき、現在の明治神宮外苑が具現化されました。また、代々木御料地と青山練兵場は、元々日本大博覧会が開催される予定地であり、その中止を受けて神宮建設に利用されることになったとも考えられています。

神社創設に対する全国的な動き

この『覚書』が公表された直後、関東一円の各自治体から神社創設を求める請願が多数寄せられました。これにより、東は国見山から西は富士山まで、最終的には20以上の候補地が提案されました。これらの提案は、それぞれの土地の由緒や風致を理由に、明治天皇を祀る神社の創設に適していると主張しました。

しかし、天皇を祀る神社は一社に限られる慣例があったため、最終的に東京府内に神社が創設されることが決まりました。

明治神宮創建の正式決定

請願書の提出と閣議決定

渋沢栄一や阪谷芳郎らは、覚書が完成した後すぐに、西園寺公望内閣総理大臣や原敬内務大臣、渡辺千秋宮内大臣らに対して陳情を行いました。そして1912年9月27日、正式に帝国議会へ請願書が提出されました。東京以外の地域からも請願書が提出されていましたが、東京が「由緒」を理由に受け入れられ、1913年2月27日に貴族院本会議で採択され、その後内閣へ送付されました。

1913年3月26日には衆議院でも神社創設を求める建議が可決され、8月15日、内務省神社局は天皇を祀る神社の創設を決定しました。そして翌1914年、神社創設を支援するための「明治神宮奉賛会」が設立され、寄付活動が全国的に展開されました。

こうして、明治神宮は1915年に内苑が着工され、翌年には外苑の建設も開始されました。1919年に内苑が完成し、1920年11月1日に明治神宮は正式に鎮座祭が行われました。

本殿と社殿の歴史

明治神宮の本殿や社殿は、創建当初から重要な役割を果たしてきました。1920年の創建以来、36棟の社殿があり、これらの建造物は2020年(令和2年)12月23日に国の重要文化財に指定されました。

社殿の様式は、伊東忠太と関野貞の2人の教授によって選定されました。彼らは、社殿の様式を先例に基づくか、新たに創設するかを議論しましたが、最終的には先例に倣うことが選ばれました。具体的な様式については、多くの類型を比較検討し、最終的にオーソドックスな流造が選定されました。この選定過程自体が革新的であり、社殿のデザインにおいて重要な位置を占めています。

第二次世界大戦中、1945年(昭和20年)4月に空襲で本殿や拝殿などの中心部分が焼失しましたが、南神門や東神門、西神門などの建物は創建当初のものが現存しています。その後、再建された社殿は1958年(昭和33年)に完成しました。再建の際には、設計者の角南隆が中門を廃し、拝殿を外拝殿と内拝殿の2棟に分けるプランを採用しました。屋根は檜皮葺から銅板葺に変更され、創建時のデザインとの違いが見られます。

重要文化財に指定された建造物

外拝殿以北の内院には、本殿や内拝殿、祝詞殿をはじめとする重要な建物が配置されています。外院には南神門や東神門、西神門があり、これらの建物も国の重要文化財に指定されています。これらの建物は、いずれも木造で銅板葺きであり、日本建築の伝統を引き継いでいます。

内苑 - 鎮守の杜

内苑は明治神宮の全敷地の大半を占めており、東京都心部の貴重な緑地として多くの人々に親しまれています。さらに、この内苑は人工林が意図的に自然林化されたものであり、特に動物学や昆虫学の観点から非常に貴重な生態系を維持しています。

明治神宮が鎮座する以前、この地域は「代々木の原」と呼ばれる原野でした。神社を設営するために、人工林の計画が立てられ、林学や農学の専門家たちが集まりました。彼らは「明治神宮御境内 林苑計画」を作成し、植生遷移の概念を取り入れた計画を立案しました。この計画に基づき、広葉樹を中心とした極相林を目指すことが提言されました。

広葉樹林と植栽計画

計画では、成長の早い針葉樹と広葉樹を組み合わせて植林し、最終的に広葉樹を主体とした森林を形成することが目指されました。この計画は、日本における近代造園学の創始とされており、科学的なアプローチに基づいて実行されました。

当初、一部では「神聖な神宮の杜にやぶはよろしくない」という反対意見がありましたが、設計チームが大隈重信首相に直談判し、最終的に同意を得ました。植林事業は1915年(大正4年)に開始され、戦後も引き続き計画的に進められました。

現在の内苑の状況

現在、内苑には約3万6000本の樹木が生息しています。参道を掃き清める際に集めた落ち葉を森に戻す以外は、人為的な手を加えず、自然の力に任せて森林が育まれています。このようにして、明治神宮の鎮守の杜は100年の歳月をかけて、広葉樹林へと変遷しています。

神宮御苑

正式名称は「明治神宮御苑」であり、江戸時代から大名の下屋敷の庭園として利用されていました。明治時代には宮内省の所轄となり、「南豊島御料地」と呼ばれるようになりました。この場所は明治天皇と昭憲皇太后にとって特別な意味を持つ場所であり、現在も多くの人々に愛され続けています。

神宮御苑の特徴

神宮御苑は、美しい自然が広がる静かな場所で、四季折々の風景が楽しめます。特に有名なのは「御苑の花菖蒲」で、毎年6月には多くの観光客が訪れます。また、御苑内には「清正井」という名水があり、これはパワースポットとしても知られています。

神宮御苑は、現代の都市生活においても、自然との調和を大切にし、訪れる人々に安らぎと癒しを提供する場所となっています。

明治神宮の意義と影響

明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社として、日本の近代史において重要な役割を果たしてきました。その広大な神域と独自の鎮守の杜は、都市化が進む東京においても、自然との共生を象徴する場所です。

さらに、神道文化の発信地として、国内外から多くの参拝者を集め、神道の伝統と精神を広めています。特に、初詣に訪れる参拝者数は全国でもトップクラスであり、明治神宮は日本人にとって特別な存在であり続けています。

現代における明治神宮

明治神宮は、伝統を守りながらも、現代のニーズに応じた新しい取り組みを行っています。例えば、明治神宮ミュージアムや国際神道文化研究所などの施設は、神道文化の理解を深めるために重要な役割を果たしています。また、内苑の自然保護活動も積極的に行われており、次世代に豊かな自然環境を引き継ぐための取り組みが進められています。

Information

名称
明治神宮
(めいじ じんぐう)
Meiji Jingu Shrine
リンク
公式サイト
住所
東京都渋谷区代々木神園町1-1
電話番号
03-3379-5511
アクセス

JR原宿駅から徒歩で10分
JR代々木駅から徒歩で10分
明治神宮前駅から徒歩で10分 *東京メトロ千代田線
参宮橋駅から徒歩で10分 *小田急線

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