小麦粉を水で溶いた生地にすりおろした長いもを加え、キャベツ、お好みの肉類や魚介類を入れ、鉄板で焼き、上にドロっとした甘口のソースを塗り、お好みで鰹節、青のり、マヨネーズをかけて食べる料理。起源はよく伝わっていないが、戦前から屋台で「洋食焼き」と呼ばれて親しまれており、当時1枚1銭で食べられたため、「一銭洋食」とも呼ばれていた。以来、戦後には肉類が高かったため、キャベツや魚介類に具材が変わっていったが、現在まで愛されている大阪を代表する味である。
だしで溶いた小麦粉の生地に、細かく切ったキャベツ、肉、イカなどを混ぜて、鉄板で両面を焼いた料理があります。それが「お好み焼き」で、たこ焼きと並んで、大阪のコナモン(粉食)文化を代表する一品です。
お好み焼きのルーツは、安土桃山時代に千利休が催した茶会で提供された「フノヤキ(麩の焼き)」という茶菓子にさかのぼります。フノヤキは、水で溶いた小麦粉を薄く伸ばして銅板で焼き、味噌を塗ったり、クレープのようにたたんだりしたものでした。江戸時代末期には、小麦粉を鉄板で焼いて食べる習慣が一般庶民の間でも広まりました。明治時代後期には、メリケン粉、キャベツ、ソースを使った「洋食焼」が登場しました。最初は手軽な駄菓子のような存在でしたが、後に豚肉や多種多様な野菜を具材として使い、お好み焼きとして進化していきました。初期のスタイルは焼いた生地の上に具材をのせる「重ね焼き」でしたが、生地に具材を混ぜて焼く「混ぜ焼き」も広まりました。
お好み焼きが全国的に知られるようになったのは、昭和30年代末から40年代にかけてのことです。お好み焼き店がチェーン展開し、「大阪名物」として宣伝されたことが大きな要因とされています。