歴史
久米田寺は、天平10年(738年)に行基によって創建されたと伝えられています。当時、行基が開削指導を行った久米田池の維持管理を目的として建立されました。その後、平安時代には奈良興福寺の一乗院の支配下に入り、鎌倉時代には承久の乱による荒廃の後、安東蓮聖によって再興されました。
南北朝時代の保護
南北朝時代には、天皇や皇族からの帰依を受け、楠木正成との深い関係もあって、厚い保護が与えられました。しかし、戦乱の影響を受け、寺領が脅かされることも多かったと伝えられています。室町時代には、足利尊氏・直義兄弟によって全国の安国寺の一つに指定されました。
戦国時代と再建
戦国時代、久米田の戦いや織田信長による高屋城の戦いにより寺院の大部分が焼失しました。しかし、江戸時代の延宝2年(1674年)に復興し、その後も修繕や再建が行われて現在に至っています。
寺院の境内と見どころ
金堂(本堂)
本堂である金堂は明和7年(1770年)に再建されました。扁額「隆池院」は松平定信の筆によるもので、歴史的な価値が高い建物です。
多宝塔
2003年に再建された多宝塔も見どころの一つです。優雅な外観で、多くの参拝者の目を楽しませています。
その他の建物
- 聖天堂:嘉永7年(1854年)に建立。
- 開山堂(行基堂):文政5年(1822年)に再建され、行基の精神を伝える重要な建物です。
- 大師堂:文政7年(1824年)に再建。
- 鐘楼:寺内の鐘楼は格式があり、参拝者に重厚な印象を与えます。
- 靖霊殿:八角堂で、1957年に法隆寺夢殿を模して建立されました。
久米田池とその周辺
久米田寺の南東には、大阪府最大の水面積を誇る久米田池があります。2010年には農林水産省の「ため池百選」に選定され、2015年には国際かんがい排水委員会のかんがい施設遺産にも登録されました。
岸和田十月祭礼と久米田寺
毎年の岸和田十月祭礼では、久米田池を開削した行基への感謝を込めて、八木地区と山直地区から計13台の地車が境内に乗り入れ、「行基参り」として賑わいます。
文化財
久米田寺には、数多くの貴重な文化財が残されています。中でも「絹本著色星曼荼羅」や「仁王経曼荼羅」など、京都国立博物館に寄託されている平安・鎌倉時代の曼荼羅が重要文化財として有名です。また、鎌倉時代の安東蓮聖像も同館に寄託されています。
重要文化財
- 絹本著色星曼荼羅:平安後期の作品で、縦165.2cm横133.0cmの曼荼羅です。
- 絹本著色仁王経曼荼羅:平安末から鎌倉初期の作品。
- 久米田寺文書:鎌倉から南北朝期の文書で、大阪歴史博物館に寄託されています。
アクセスと参拝情報
久米田寺へのアクセスはJR阪和線「久米田駅」から南東へ徒歩約1kmです。また、南海本線「岸和田駅」から南海ウイングバスに乗車し「池尻」バス停で下車し、徒歩約300mで到着します。参拝者用の無料駐車場も完備されており、車でのアクセスも可能です。
終わりに
久米田寺は、歴史的・文化的な価値が高い寺院であり、行基や楠木正成など、日本の歴史に名を残す人物との関わりも深い場所です。現在も多くの文化財や美しい建造物が残されており、訪れる人々に長い歴史を感じさせます。四季折々の自然美も楽しめるため、観光や参拝におすすめのスポットです。