舞台造りの本堂
本堂は五間四面の入母屋造りで檜皮葺、山頂の傾斜地に建てられ、前方は舞台造りで京都の清水寺に似ていることから「美濃清水」の異名を持ちます。鎌倉時代に尼将軍北条政子の寄進で建てられた本堂は応仁の乱で焼失し、現在の本堂は江戸時代の寛文十年(1670年)に再建されました。
鎌倉時代の多宝塔
境内には、鎌倉時代後期(1275年-1332年)に北条政子によって建立されたと伝えられる多宝塔があります。国の重要文化財に指定されており、当時の建築様式を今に残す貴重な建造物です。
鎌倉時代、全国で旱魃による飢饉が多発していた際、尼将軍北条政子は日龍峯寺の池に法華経を写経して供養するという夢のお告げを受けました。その通りに供養を行うと雨が降り、飢餓を免れました。これを喜んだ北条政子は、将軍家の謝礼として荒廃していた七堂伽藍を再興しました。この多宝塔は鎌倉時代を代表する建造物で、昭和25年には国の重要文化財に指定されています。
両面宿儺 伝承
寺伝によれば、日龍峯寺は5世紀前半に両面宿儺によって開創されたとされています。両面宿儺は、日本書紀にも登場する豪族で、高澤山の峰に登り、この地に被害を及ぼしていた龍神を退治して寺を開創したと伝えられています。岐阜県にはいくつかの両面宿儺の伝承がありますが、日龍峯寺のものが最も古いとされています。
伽藍
仁王門:享保3年(1718年)建造。
本堂:江戸時代前期の寛文10年(1670年)建立。岐阜県指定重要文化財。
多宝塔:鎌倉時代後期に建立。重要文化財。
宝篋印塔:源頼朝の分骨が納められています。
鐘楼、千本檜、薬師堂、金毘羅堂、庫裡、みたらしの霊水