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洲原神社

(すはら じんじゃ)

歴史と自然に包まれた、白山信仰の聖地

洲原神社は養老元年(717年)に、元正天皇の勅命により白山修験の泰澄が霊感を祀るために創建されました。5年の歳月をかけ、721年に壮大な社殿が完成し、御祭神が祀られました。この神社は古来より「正一位洲原白山」と称される由緒ある大社です。

本山

全国に四十九社ある洲原神社(または須原神社)の本山であり、正一位洲原白山とも呼ばれます。白山登頂に至る美濃馬場からの前宮であり、長瀧白山神社・白山中居神社とともに白山信仰の対象です。豊作、厄除け、夫婦和合、子授けなどのご利益があり、田畑に蒔く御砂や田畑札を受けに遠方から代参者が訪れ、「お洲原さん」「洲原大神様」として親しまれています。

歴史

社伝によれば、養老5年(721年)に泰澄によって建立されました。以降、明治時代まで大家家、宮脇家、執行家の三神主家が神社を率いてきました。伝承によれば、洲原白山成立以前に当地にあった牛頭天王社の神主、宮元家が洲原社成立に伴い宮脇家に改名したとされています。大家家は泰澄禅師の弟の三神泰定を祖とし、執行家は元正天皇の病気平癒の祈願に派遣された伴安麿を祖とする伝説があります。

康正2年(1456年)には火災により宝蔵が焼失し古記録も失われました。天正17年から翌年にかけての太閤検地前には700貫の所領を有していましたが、検地後には大半を失い27石余りとなりました。また、上河和村、下河和村、新部村、曽代村、洲原村に神山を有していました。

戦国時代には観音院という別当寺が存在し、天正17年(1589年)には実融、正保4年(1647年)には空政、寛文9年(1669年)には範遍が住職でしたが、延享2年(1745年)には無住となり廃絶しました。享和元年(1801年)には元正帝との由縁から正一位の神階を宣下されました。明治6年に郷社、明治12年には県社に列しました。

文化財

天然記念物(国指定)
洲原神社ブッポウソウ繁殖地

岐阜県指定天然記念物
洲原神社社叢

岐阜県指定重要文化財
洲原神社本殿(中央本殿、東本殿、西本殿)
商船之図絵馬
能面(小べし見、大べし見、悪尉)
素地供物鉢
朱根来塗供物鉢
朱根来塗供物台
木製黒塗供物台

美濃市指定文化財
洲原神社拝殿
洲原神社舞殿
洲原神社楼門

祭神

伊邪那岐命 - 中央本殿
伊邪那美命 - 東本殿
大穴牟遅神 - 西本殿

Information

名称
洲原神社
(すはら じんじゃ)
Suhara Shrine
リンク
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