概要
奈良時代(養老年間)に建てられた高賀神社が山頂の2.5キロメートル南南東の麓の洞戸地区にあり、古くから山岳信仰(高賀山信仰)の山として知られています。山名は、藤原高光が隣の瓢ヶ岳に出没して里人を苦しめた魔物を退治した伝説に由来しています。
江戸時代には高賀神社に円空が登拝し、多くの円空仏を残しました。そのため、円空ゆかりの地として「関市洞戸円空記念館」が併設されています。麓の高賀神社の大鳥居からは高賀山を望むことができます。高賀神社から高賀川上流側の宮下林道沿いには「高賀の森公園」が整備されています。山体は流紋岩類で構成されています。
『新撰美濃志』では「遠くこれを望めば矢筈の如く見ゆ、故に近国皆箭筈山といふ、最も秀抜なり」と記され、濃尾平野から特徴ある山容を望むことができます。高賀山は「ぎふ百山」のひとつに選定されており、岐阜県により「奥長良川県立自然公園」の区域内に指定されています。
伝承と歴史
高賀山は洞戸と板取・郡上市八幡境にそびえ、標高1,224.2メートルの高さがあります。「濃陽志略」に「高賀嶽、此山最秀抜、与二板取白谷嶽一相対、遠望之形如二節筈一、近国階名曰二節筈山一是也」と記されており、南東には瓢ヶ岳(1,162.6メートル)、南には今淵ヶ岳(1,048.4メートル)がそびえています。これら三山の東側を長良川が南流し、北をその支流那比川、西側から南側へと長良川の支流の板取川が流れています。この三川に囲まれた一帯は古くから山岳霊場として開かれており、高賀山はその主峰でした。
山岳霊場としての開闢伝承によれば、霊亀年間(715年~717年)に福部岳(瓢ヶ岳)に容姿・啼声が牛に似た妖魔が住み村人に危害を加えたため、養老元年(717年)に勅命を受けた藤原高光が高賀山の麓に国常立尊・国狭槌尊等の諸神を祀り、その加護を受けて妖魔を退治しました。その後も妖魔の亡霊が出現したため、虚空蔵菩薩を祀り、その加護で退治に成功しました。高光は退魔随縁の6ヵ所に神社を建立しました。この六社は現在、高賀神社、郡上市八幡の本宮神社、新宮神社、美並の星宮神社、美濃市の瀧神社、金峰神社とされています。
中世から近世へ
中世末期には長良川流域に浄土真宗が、板取川流域には禅宗が広がり、高賀山信仰は衰退しましたが、近世になって全6社を巡る信仰が成立し、庶民の信仰を受けるようになりました。山頂には天保12年(1841年)銘の石碑があり、「虚空蔵菩薩」と刻まれています。円空も高賀山麓で多くの修行をし、高賀神社や星宮神社などにその遺墨や遺像を残しています。
高賀街道
高賀街道は、長良川を利用した舟運の湊があった上有知村(現美濃市)で郡上街道より分岐し、ほぼ板取川に沿ってさかのぼり、阿部村から板取川支流の高賀川に沿って高賀山中に入り、高賀神社を経て高賀山頂および瓢ヶ岳に至ります。正保国絵図には上有知村から長良川左岸をさかのぼって曾代村を通り、板取川と合流する上手で長良川対岸の立花村に渡り、長瀬村・片知村・蕨生村・上野村の板取川左岸諸村を経て、乙狩村に至る道が描かれています。これらの道は板取川上流諸村の物産を運び出す道として利用されましたが、上有知湊の発展に伴って両道が街道として結ばれ、さらに高賀山六社巡りの高賀山参詣道として利用されました。
洞戸から板取川の支流高賀川に沿って高賀山に至る道は、高賀村の交易路であると同時に行者道として開かれたものでしょう。高賀神社より山中に入ると、小石を乗せると体が丈夫になり無事に登山できるという「力石」があり、行者が身を清めたとされる垢離取場と称する小さな滝を経て、明治初年まで不動明王が祀られていた窟に達し、八百比丘尼の伝承も残ります。さらに登ると道は二手に分かれ、一方は高賀山頂へ、他方は峰稚児神社を経て瓢ヶ岳に至ります。高賀街道に沿った現美濃市域の安毛・蕨生や現洞戸域の小坂・大野・市場・通元寺などには馬頭観音石像や道祖神が祀られ、山間の街道を通る人々の安全を祈る風景が見られます。
文化財
高賀山には多くの文化財が残されています。高賀神社には天治元年(1124年)銘の菩薩像や大日如来像、新宮神社には十一面観音像や地蔵菩薩像など、一木造りの彫刻が保存されています。また、平安末期には山岳宗教者の霊場として成立していたとされています。
高賀の森公園
高賀神社から高賀山の麓に広がる森林が公園として整備されています。登山口としても利用されており、春には桜が咲き、四季折々の花々で彩られます。ピクニックにも最適な場所です。
高賀三山
高賀山、瓢ヶ岳、今淵ヶ岳の三山が高賀三山と呼ばれています。これらの山々は高賀山信仰の対象であり、特に高賀山はその主峰として知られています。
登山道
高賀山は福井県と岐阜県境の越美山地の主稜線の東側に位置し、長良川と板取川に囲まれています。鞍部には御坂峠があり、京の都から妖魔にさらわれた稚児の霊を慰めたと伝えられる「峰稚児神社」があります。
高賀神社から御坂峠を経て山頂に至る登山道がよく利用されています。新緑は5月中旬頃、紅葉は11月中旬頃に見られます。瓢ヶ岳方面から中美濃林道を利用して登頂することもあります。山頂には一等三角点と「天保十二年」と刻まれた法華塚が設置されており、能郷白山、白山、乗鞍岳、御嶽山などの山々を望むことができます。
高賀神社からのルート
高賀神社から宮下林道を経て高賀の森公園から登山道が整備されています。このルートは、技術的難易度が低く、体力度も低いとされています。御坂峠から稜線に沿って登ると山頂に至ります。毎年4月29日に「高賀登山大会」が開催されています。
高畑温泉からのルート
高畑温泉方面からのルートは、踏み跡が少なく道が途切れる箇所もありあまり利用されていません。
高賀山六社
高賀山六社は、藤原高光が創建と伝えられる6つの神社で、いずれも高賀山を囲んでいます。かつては六社めぐりとして、尾根伝いに一日で巡る苦行が存在しました。
高賀神社(岐阜県関市)
那比新宮神社(岐阜県郡上市)
本宮神社(岐阜県郡上市)
星宮神社(岐阜県郡上市)
瀧神社(岐阜県美濃市)
金峰神社(岐阜県美濃市)