静岡県熱海市水口町に位置する双柿舎は、日本文学の巨匠・坪内逍遥が晩年を過ごした建築物です。その名は、敷地内にあった2本の柿の木に由来し、早稲田大学での同僚であった会津八一によって命名されました。
双柿舎は1920年(大正9年)に坪内逍遥が移り住んだ場所であり、彼が1935年(昭和10年)に亡くなるまでの15年間を過ごした特別な場所です。その後、逍遥の遺志を継いで双柿舎は早稲田大学に寄贈され、現在も大学の管理下に置かれています。
敷地内に植えられていた2本の柿の木が、双柿舎という名称の由来です。この名前は、早稲田大学の同僚であった会津八一が命名し、入り口には彼の手による「雙柿舎(旧字体)」の扁額が掲げられています。
双柿舎は坪内逍遥自身が設計した建物であり、木造2階建ての建物が2棟と、鉄筋コンクリート造りの書屋(書庫)で構成されています。この書屋は仏塔を模した独特のデザインで、文学や芸術への深い情熱を感じさせます。
坪内逍遥が住んでいた当時の柿の木は枯れてしまいましたが、現在では岐阜県美濃加茂市から移植された蜂屋柿の木が2本植えられています。この蜂屋柿の木は逍遥が少年時代を過ごした地を象徴するものとして、双柿舎の歴史を物語っています。
双柿舎での生活の中で、坪内逍遥は短歌や俳句を積極的に創作しました。その作品は、1988年に逍遥協会から出版された『柿紅葉』にまとめられています。これらの作品は彼の文学的才能と双柿舎の静謐な環境を反映したものといえるでしょう。
逍遥の墓所は、双柿舎と同じ水口町にある海蔵寺(かいぞうじ)に設けられています。文学的な遺産だけでなく、彼の人生そのものが熱海の地に深く根付いていることを感じさせます。
双柿舎はその建築美だけでなく、坪内逍遥が遺した文学的遺産の一部としても訪れる価値があります。木造建築と鉄筋コンクリートが調和するデザイン、書屋の独特な形状、そして蜂屋柿の木が醸し出す歴史の趣が、訪れる人々を魅了します。
双柿舎は、坪内逍遥ファンや日本文学を愛する人々にとって必見のスポットです。彼の作品や生涯を深く知ることができるだけでなく、彼が晩年を過ごした環境を実際に体感することができます。
双柿舎へのアクセスには、JR来宮駅が便利です。駅から徒歩圏内に位置しており、熱海市内を観光する際にも立ち寄りやすい場所にあります。
双柿舎の近隣には、熱海市立図書館や熱海市の観光名所が点在しており、文学と観光を組み合わせた充実した時間を過ごすことができます。
双柿舎は、坪内逍遥の晩年の生活を知る上で貴重な場所であり、その建築美と文学的遺産が訪れる人々を魅了します。静かな環境と歴史ある建物の中で、逍遥が生きた時代の空気を感じてみてはいかがでしょうか。