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了仙寺

(りょうせんじ)

了仙寺は、静岡県下田市にある日蓮宗の寺院で、山号は「法順山」です。徳川家康が目の病を治したことに縁があり、歴史的にも重要な役割を果たしてきたこの寺院は、日米和親条約締結の地としても知られています。

寺院の歴史と由来

創建の背景

了仙寺は寛永12年(1635年)に創建され、開山は行学院日朝、開基は下田奉行の今村正長です。創建のきっかけは、徳川家康が大坂夏の陣の際に目の病を患い、家臣の勧めで「目の神様」として知られる日朝に平癒を祈願したことにあります。病が治癒した家康は、これを感謝して寺院創建を約束したのです。そのため、了仙寺の寺紋は徳川家の三つ葉葵紋となっています。

日米和親条約と下田条約の締結地

1854年、了仙寺は日米和親条約に関連する追加条約である「下田条約」の締結地として歴史に名を残しました。日本とアメリカの最初の通貨交換比率も、この寺院での交渉を経て決定されています。この条約締結により、下田が開港され、了仙寺は一時期アメリカ人の休憩所としても使用されるようになりました。

境内と見どころ

「ジャスミン寺」の別名

了仙寺の境内から参道にかけては無数のアメリカジャスミン(ニオイバンマツリ)が植えられており、その香りから「ジャスミン寺」という愛称でも知られています。このアメリカジャスミンはナス科の植物で、一般的なジャスミンとは異なる種ですが、その花の美しさと香りで訪れる人々を魅了します。

MoBS黒船ミュージアム

了仙寺の境内には「MoBS黒船ミュージアム」が併設されています。このミュージアムは、2016年にリニューアルされ、「日本人から見た外国・外国人から見た日本」をテーマにした展示が行われています。16世紀から19世紀にかけての黒船や開国、異文化交流に関する原本資料が約3000点収蔵され、日米交流の歴史を学べる貴重な資料が展示されています。

文化財と重要遺跡

下田奉行墓所

了仙寺の境内には、江戸時代初期の下田奉行今村正長やその子孫たちの墓があります。境内の墓地入口には今村正長の他、二代目奉行の正成、三代目奉行の正信の墓が並び、各々の墓石には歴史の重みを感じさせます。

了仙寺洞窟遺跡

了仙寺には「了仙寺洞窟遺跡」という自然洞窟を利用した古墳時代後期の埋葬施設があります。この洞窟からは、有鉤銅釧や耳環、玉類(勾玉・管玉・丸玉・水晶製切子玉・臼玉・ガラス製小玉)、須恵器、土師器などの副葬品が出土しており、6世紀から8世紀にかけての埋葬が行われていたと推定されています。この貴重な出土品の一部は、道の駅「開国下田みなと」にある「ハーバーミュージアム」で展示されています。

了仙寺の収蔵資料と展示品

了仙寺関連文書

了仙寺には徳川家の将軍が発給した朱印状や、武田信玄の家督譲状など、貴重な古文書が保管されています。これらの資料は、了仙寺の歴史と徳川家や日本の重要人物との関係を物語るもので、歴史的にも非常に価値があります。

黒船・異文化交流関連資料

ミュージアムには、黒船やペリー、ハリスに関連する絵巻や図画、書籍が展示されています。さらに、吉田松陰やジョン万次郎といった歴史的人物に関する書物、16世紀から19世紀にかけて外国で描かれた日本地図、日本で描かれた世界地図、異文化交流をテーマにした書籍や図画が収蔵されています。

エピソード

ペリー来航後の了仙寺とアメリカ人

黒船来航の後、了仙寺は一時期アメリカ人の休息場所として使用されることとなりました。日米和親条約の附録には「徘徊の者休息所」として了仙寺と柿崎の玉泉寺が指定されており、外国人の受け入れ体制が整えられていました。

参考条約の一文

「第四ヶ条 一 徘徊の者休息所は、追て其為旅店設るまて、下田了仙寺、柿崎玉泉寺二ヶ寺を定置くへし。」 - 日米和親条約

交通アクセス

了仙寺へのアクセスは、下田駅から徒歩約15分です。美しい境内と歴史的建物、貴重な文化財に囲まれた了仙寺は、下田の歴史と文化を知るには欠かせない観光スポットです。

Information

名称
了仙寺
(りょうせんじ)
Ryosenji Temple
エリア
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