弁天島は、静岡県下田港(下田市)内に位置する美しい島です。下田市柿崎地区の沖合にあり、「柿崎弁天島」とも呼ばれています。自然の豊かさや歴史的な背景から、静岡県の天然記念物および下田市の史跡に指定されています。
かつて弁天島は下田湾内に浮かぶ島でしたが、防波堤が建設され道路で陸続きとなり、アクセスがより便利になりました。
弁天島が位置する伊豆半島は、日本列島の中でも特異な地質を持っています。フィリピン海プレート上に位置し、数千万年をかけて北へ移動してきました。もともと海底火山の噴出物が海底で堆積し、長い年月をかけて隆起や侵食が繰り返され形成された場所です。
弁天島の地層は、白浜層群と呼ばれ、数百万年前に海底で火山灰や軽石が堆積してできたものです。伊豆半島が本州に衝突して隆起した際、弁天島も山として形成され、その後の侵食で独立した島となりました。
弁天島の外縁部には、火山噴出物が堆積する際に形成された特徴的な筋状の縞模様が見られます。この縞模様は本来の層理と交差する「斜交層理」と呼ばれるもので、かつての海流の方向や海深を推定する手がかりになります。また、島の地層には生物が海底を這った痕跡が化石として残っており、静岡県の天然記念物として価値を認められています。
1854年(嘉永7年)、日米和親条約締結のために再来日したペリー提督が下田港に入港しました。当時、幕末の志士である吉田松陰は、密航してアメリカに渡ることを目指して弁天島に向かいました。彼は金子重之輔を伴い、弁天島の祠に身を潜めて機会を待ちました。
夜が訪れると彼らは小舟で黒船へ向かいましたが、天候の悪化で一度断念し、2回目の挑戦でペリーのポーハタン号に接触しました。しかし、ペリーは彼らとの面会を拒否し、松陰たちは追い返されてしまいました。その後、密航の試みが露見し、吉田松陰と金子重之輔は江戸で投獄されました。
この出来事は弁天島に「吉田松陰 踏海の企跡」として刻まれており、1976年(昭和51年)5月27日に下田市の史跡に指定されています。島には吉田松陰と金子重之輔が隠れていたとされる社や、彼らの足跡を記念する石碑があります。弁天島公園には「踏海の像」が設置され、彼らの志を今に伝えています。
弁天島へは、静岡県下田市にある下田港の柿崎地区から簡単にアクセスできます。道路が整備され、徒歩や車での訪問が可能です。周辺には歴史的な観光スポットも多く、弁天島は下田市を訪れる際の見どころの一つです。