歴史と背景
田名部まつりの起源は江戸時代に遡ります。紀行家菅江真澄が寛政5年(1793)に記した『牧の朝露』には、当時すでに現在に近い形態で行われていたことが記録されています。田名部はかつて南部藩の代官所が置かれた地域で、下北半島の産業・経済・文化の中心地でした。
当時、田名部は直接海に面していなかったものの、陸奥湾に停泊する北前船の荷を田名部川を通じて運び入れ、物流の拠点として栄えました。下北からはヒバや海産物が上方に送られ、代わりに全国から珍しい品や文化が流入しました。特に京都祇園祭の囃子や山車の形式が伝わり、「北のみやび」と称されるほどの洗練を誇る祭りが生まれたのです。
山車(ヤマ)の特徴
田名部まつりの中心となるのは、田名部5町(横迎町、小川町、柳町、本町、新町)に伝わる5台の山車です。これらは「ヤマ」と呼ばれ、2階建ての木製黒漆塗りの構造を持ちます。下の階には囃子方である「乗子」が座し、上階には各町ごとの御神体が安置されます。
昼間は京都から取り寄せた刺繍幕や、中国や西域の技術を取り入れた豪華な調度品で飾られ、夜には地元の絵師による絵灯籠「額」が取り付けられ、幻想的な光を放ちます。この昼夜の装飾の切り替えは祭りの大きな見どころであり、観客を楽しませてやみません。
5台の山車と御神体
- 先山 稲荷山(横迎町豪川組):御神体は稲荷神と白狐。
- 二番山 猩猩山(小川町義勇組):御神体は猩猩神。
- 三番山 大黒山(柳町共進組):御神体は大黒天。
- 四番山 蛭子山(本町・田名部町明盛組):御神体は蛭子様。
- 後山 香爐峯(新町新盛組):御神体は清少納言。
それぞれの山車には異なる見送り幕や装飾が施され、町ごとの個性が色濃く反映されています。
囃子と掛け声
囃子は横笛、鼓、手平鉦、大太鼓、小太鼓から成り、昼間の「祇園囃子」と夜の「ヤマヤレ」が演奏されます。祇園囃子は静かで哀調を帯びた旋律で、祇園祭の伝統を感じさせます。一方、「ヤマヤレ」は軽快で迫力あるメロディが特徴で、夜の祭りを大いに盛り上げます。
辻回し(山車を曲がらせる際)の掛け声は町ごとに異なり、「トドコートーノー」「ヤデコラーセーノー」などの独特な掛け声が響き渡ります。夜には「ヤマヤレ ヤマヤレ」の声が響き、観客を熱気に包み込みます。
行事日程
田名部まつりは毎年8月18日から20日の3日間行われます。
8月18日
大神楽や山車参社、能舞奉納が行われ、夜には「おしまこ流し踊り」で祭りが開幕します。
8月19日
招魂祭や前夜祭が行われ、夜にはみこし祭りも開催されます。
8月20日
祭りの最終日。御神輿渡御や山車の点燈運行が行われ、深夜には5台の山車が集まる「五車別れ」で幕を閉じます。この瞬間は、東北の夏祭りを締めくくる壮大なクライマックスとして知られています。
観光の魅力
田名部まつりは、歴史と格式を感じさせる荘厳さと、庶民の熱気が融合した祭りです。京都祇園祭の雅やかさと、下北の人々の力強い心意気が一体となり、都会では味わえない「非日常の体験」を楽しむことができます。
短い下北の夏を燃え尽くすように繰り広げられるこの祭りは、観光で訪れる人々にとっても忘れられない思い出となるでしょう。本州最果ての地で繰り広げられる、この熱い夏の祭典をぜひ体感してみてください。