歴史と起源
青森県下北地方では、江戸時代後期からくじらもちと呼ばれる餅菓子がハレの日の食べ物として親しまれていました。米が貴重だったこの地域では、もち米を使った菓子は特別な意味を持ち、子どもや家族の節目に供されることが多かったのです。しかし、時代の移り変わりとともに食生活が変化し、くじらもちを食べる習慣は次第に薄れていきました。
その後、1978年に大間町奥戸地区の農業改良普及員や「みどり生活改善グループ」によって、名称と作り方を工夫した新しい形の菓子「べこもち」として復活しました。かつてのくじらもちが黒砂糖と白い生地の2色だったのに対し、べこもちは赤や黄、緑などカラフルな色合いを持ち、さらに花やキャラクターなど多彩な模様が描かれるようになりました。
名前の由来
べこもちという名前の由来には諸説あります。一つは「作る過程で牛の背中のようにまとめる」から来ているという説。もう一つは「黒砂糖と白砂糖のまだら模様が牛(べこ)の柄に似ている」ことから名付けられたとする説です。いずれにしても、素朴な山里の知恵と遊び心が込められた名称だといえるでしょう。
特徴と進化
くじらもちの時代には、黒砂糖入りの生地と白い生地の2色が基本で、模様も渦巻きや草を束ねた「たばね模様」といった素朴なものでした。しかし1980年代以降、甘みが強い黒砂糖の代わりにコーヒーやココアが用いられるようになり、さらに白生地には白砂糖を加えて甘みを増す工夫が施されました。また、食品用の色素を用いて華やかな色彩を加えることで、見た目も楽しめる芸術的な菓子へと発展しました。
現代では、花模様や動物、さらにはアニメキャラクターを描いたものまであり、子どもから大人まで楽しめる菓子として進化を遂げています。
端午の節句とべこもち
6月5日の月遅れの端午の節句には、笹に包んだべこもちを神棚に供え、その後家族や子どもたちに振る舞う習慣があります。原型のくじらもちには「くじらのように大きく育ってほしい」という願いが込められており、その思いはべこもちにも受け継がれています。
柄も昔ながらのシンプルなものから、現在では自然由来の色を使って花や動物の模様を表現するなど、芸術性が一段と高まっています。これにより、単なるお菓子という枠を超え、地域の文化を象徴する工芸品のような存在になっているのです。
べこもちの作り方
基本の材料
材料は、もち米粉、うるち米粉、白玉粉や上新粉、片栗粉、砂糖、黒砂糖、水などです。最近ではインスタントコーヒーやココア、食紅を使って色や風味を加えることもあります。
作り方の手順
まず黒砂糖を水に溶かし、上新粉を加えてまとめた黒生地を作ります。同様に白砂糖を使った白生地も作り、これらを蒸し器で蒸します。蒸し上がった生地はこねて柔らかくし、白玉粉を溶いた水を少し加えてまとめます。
白と黒の生地を重ね合わせ、棒状や板状に整えて模様を組み合わせ、べこもち独特の形に仕上げます。その後再び蒸し上げることで完成します。出来上がったべこもちは、金太郎飴のようにどこを切っても美しい模様が現れるのが特徴です。
食べ方と楽しみ方
一般的には薄くスライスして蒸して食べますが、軽く焼いて香ばしさを加えて楽しむのもおすすめです。もっちりとした食感とやさしい甘みがあり、子どもから大人まで幅広い世代に好まれています。端午の節句以外にも、日常のおやつや手土産としても人気があります。
主な伝承地域と文化的価値
べこもちは、主に下北地方を中心に受け継がれており、北海道など北国の広い範囲でも見られます。稲作が十分に発達しなかった地域において、米粉を使った餅菓子は特別な存在であり、地域の食文化や歴史を語る貴重な証ともなっています。
かつての素朴なくじらもちから、彩り豊かなべこもちへと進化した背景には、地域の人々が工夫と創意を重ね、伝統を守りながら新しい価値を生み出してきた努力があります。そのため、べこもちは単なる郷土菓子にとどまらず、地域のアイデンティティを象徴する文化遺産としても位置づけられているのです。
まとめ
べこもちは、江戸時代から伝わるくじらもちを原型とし、地域の人々の工夫によって生まれ変わった色彩豊かな祝い菓子です。端午の節句の縁起菓子としてだけでなく、日常のおやつとしても愛され、今なお進化を続けています。下北地方を訪れる際には、この美しいべこもちを手に取り、その味わいとともに込められた歴史や文化に触れてみるのもおすすめです。