日咩坂鐘乳穴神社は、岡山県新見市豊永赤馬に位置する歴史ある神社で、「大洞穴(おおほらあな)」と呼ばれる日咩坂鐘乳穴を御神体として祀っています。神社は古くからこの地域の霊地として崇められ、多くの信仰を集めています。
日咩坂鐘乳穴神社の起源は、727年に行基がこの地を訪れ、三尾寺を創建したことに始まります。その後、802年に弘法大師(空海)がこの神社を中興し、伊弉諾尊・伊弉冉尊を本宮山頂に祀り、山門の鎮守として「比賣坂鍾乳穴神社」として崇められるようになりました。この神社は長い歴史の中で、地域の人々に深く根付いた信仰の象徴となっています。
一説によれば、705年にはすでに「秘坂大明神」が大洞穴の頂上に祀られており、これが「比賣坂鍾乳穴神社」の前身であったとされています。行基がこれを合祀し、後にさらに55社の小社を合祀したことから、神社の規模と影響力が拡大しました。その後、神社は山頂から現在の社地へ遷座し、「ヒメミヤ」の名で親しまれるようになりました。
967年に施行された延喜式神名帳には、比賣坂鍾乳穴神社として備中の18社の中に記載されています。明治時代には、神仏分離が行われ、村社に列せられました。その後、村内の多くの小社を合祀し、昭和5年には県社に昇格しました。社殿の再建や拝殿の改築を通じて、神社はさらに隆盛を極めました。
本殿は1815年に建立されたもので、唐破風向拝付き入母屋造りの様式で建てられています。屋根は当初檜皮葺でしたが、近年銅板で葺き替えられました。また、拝殿は1986年に鉄筋コンクリート造りに改築され、現在の姿となっています。
境内には、1707年に建築された神楽殿や、1817年に建てられた随身門があります。また、参道の石造の鳥居は、1849年に再建されたものであり、境内の景観を引き立てています。
神社の創建当初から祀られている祭神は、伊弉諾尊・伊弉冉尊でしたが、昭和27年の神社明細書では、大己貴命や誉田別命、素戔嗚尊などの多くの神々が祀られていることが確認されています。これらの神々は、地域の信仰の象徴として崇められ、社殿の改築や祭神の変更とともに、神社の影響力は拡大していきました。
本宮山頂にある小祠は「奥宮」と呼ばれ、乳の神様として信仰されています。洞内にある石筍が乳房に似ていることから、乳の出ない女性が祈りを捧げる場として広く信仰を集めてきました。この信仰は地域に深く根付き、今日でも多くの参拝者が訪れます。
秋季例祭は11月11日に行われ、真庭市下呰部の八幡神社と共に、神輿を奉じて「アキノ宮」への御渡が行われます。この祭事は、日咩坂鐘乳穴が真庭市の諏訪洞と連結しているとの伝承に基づいており、地域の人々にとって重要な行事となっています。
お田植え祭は約600年の伝統を持つ祭りで、6月11日に行われます。この祭りでは、神田を模した境内で神事が行われ、杉の葉を使った田植えの所作が再現されます。氏子たちはこの杉の葉を持ち帰り、豊作を祈願します。昭和53年には、新見市の重要無形民俗文化財に指定されました。
お箆焼供進祭は、古くから伝わる祭りの形態を残しており、11月11日と1月11日に行われます。この祭りでは、米粉と干柿を使った餅が作られ、食べることで邪障退散や病気平癒のご利益があるとされています。地域の人々が協力して餅を作り、神社に供えてから氏子たちに配られます。
日咩坂鐘乳穴は、日咩坂鐘乳穴神社の御神体であり、岡山県新見市豊永赤馬に位置する鍾乳洞です。1957年には「阿哲台」として岡山県指定天然記念物に指定されました。この鍾乳洞は、神聖な霊地として信仰されるだけでなく、その壮大な自然美でも知られています。
日咩坂鐘乳穴は古くから「大洞穴」として神聖視されてきました。伝承によれば、弘法大師が伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀り、神社の創建を行ったとされています。また、この鍾乳洞は薬石としても珍重され、貴重な資源とされてきました。洞内の石鐘乳は、古代から神聖な力を持つものとして崇められてきました。
日咩坂鐘乳穴神社は、その長い歴史と深い信仰を背景に、地域の人々に愛され続けてきました。神社と鍾乳洞が一体となったこの場所は、自然と神秘が融合した特別な存在であり、訪れる者に深い感銘を与えます。