和布刈神社は、福岡県北九州市門司区門司にある神社です。所在地は和布刈地区の門司3492番地で、別名「隼人社」とも呼ばれています。旧社格は県社に格付けされ、古くから地域の人々に親しまれています。
和布刈神社の創建は、仲哀天皇9年(西暦200年)に遡るとされています。社伝によれば、神功皇后が三韓征伐の帰還後に創建されたと伝えられています。御祭神は、天照大神の荒魂である「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)」で、別称を「瀬織津姫」ともいいます。瀬織津姫は、潮の満ち引きを司る神とされ、海峡の守護神として広く崇敬を集めてきました。
和布刈神社は古くからさまざまな修築が行われてきました。建武3年(1336年)には足利尊氏が、応永年間(1394年 - 1428年)には大内義弘が、また天正3年(1575年)には仁保常陸介がそれぞれ社殿の修築や造営を行いました。現在の社殿は、明和4年(1767年)に小倉藩主小笠原忠総によって再建されたものです。
和布刈神事は、神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝して、自ら神主となり、早鞆の瀬戸のワカメを神前にささげたという古事に由来します。710年(和銅3年)には、和布刈神事のワカメが朝廷に献上されたという記録も残っています。この神事はかつて「神事を見ると目がつぶれる」と言われていましたが、戦後からは一般にも自由に拝観できるようになりました。
和布刈神事は毎年旧暦元日の早朝に行われ、まず「横代湯立神楽」が奉納されます。その後、3人の神職が干潮の海に降りてワカメを刈り取り、それを神前に供え、航海の安全と豊漁を祈願します。この神事は、1958年4月3日に福岡県指定無形民俗文化財に認定されています。
和布刈神社には、多くの文学碑や供養塚が点在しています。供養塚は、日本の民間信仰である古神道に基づき、祈願や感謝、慰霊を目的として建てられたもので、自然の岩や祠、石塔などが用いられています。古神道では、万物に神や命が宿るとされ、これらの供養塚は荒ぶる神を鎮めるために祀られました。
文学碑としては、室町時代の連歌師である飯尾宗祇の句碑や、松本清張の文学碑、さらには俳人・高浜虚子の句碑が境内に建てられています。飯尾宗祇は、1480年(文明12年)9月に滞在中の周防(山口県)から太宰府天満宮への参詣の途上でこの地を訪れ、その際に詠んだ句が句碑として残されています。松本清張の文学碑には、小説「時間の習俗」の一節が刻まれています。「神官の着ている白い装束だけが火を受けて、こよなく清浄に見えた。この瞬間、時間も、空間も、古代に帰ったように思われた。」という一節は、和布刈神事を題材にして描かれています。
和布刈神社は、さまざまな文学や芸術の作品にも登場します。代表的なものに謡曲『和布刈』があります。さらに、松本清張の小説『時間の習俗』では、和布刈神事がアリバイ工作の場面に用いられています。その他、赤瀬川隼の小説『ほとほと……』にも和布刈神社が描かれています。
和布刈神社へは、JR門司港駅から西鉄バス「和布刈」行きに乗車し、約14分で「和布刈神社前」バス停に到着します。バス停からは徒歩すぐの場所にあります。また、関門国道トンネルの門司側人道口そばに位置し、車でのアクセスも便利です。関門橋門司港インターチェンジからは約2.1㎞、九州自動車道門司インターチェンジからは約5㎞です。さらに、北九州高速4号線春日出入口からも約3.8㎞の距離にあります。