高島城はかつて「諏訪の浮城」と呼ばれ、その堅固さから難攻不落の城として知られていました。諏訪湖に突き出た水城で、その独特な立地から日本三大湖城の一つに数えられており、城の歴史的価値は非常に高いです。
この城は1592年から1598年にかけて、諏訪湖畔に築かれました。総石垣造りで、8棟の櫓、6棟の門、3重の天守などが整然と配置され、近世城郭としての体裁が整えられました。当時の最新技術が駆使され、軟弱な地盤に適応するために木材を筏状に組み、その上に石を積むという工夫が施されました。天守は独立式望楼型の3重5階で、各所に華頭窓が使用され、屋根には瓦ではなく、檜の薄い板を使った柿葺が採用されていました。
高島城は、1590年に諏訪湖畔に新しく築城されたもので、日根野高吉がその建設を主導しました。それ以前は、茶臼山に築かれた茶臼山城が諏訪氏の拠点となっていましたが、武田氏の滅亡後、諏訪頼忠が金子城を築きました。しかし、より防御力の高い新たな城として、高島城が築かれることになりました。
1601年に日根野氏に代わり諏訪頼水が諏訪藩主となり、高島城は再び諏訪氏の支配下に入りました。城は諏訪藩の政庁として重要な役割を果たし、江戸時代を通じて数々の補修や拡張が行われました。1626年には徳川家康の六男、松平忠輝がこの城に監禁されるなど、歴史の舞台としての役割を果たし続けました。
明治時代に入り、1871年の廃藩置県により高島城は高島県の県庁舎として使用されましたが、1875年には天守閣を含む多くの建物が取り壊され、一時は石垣と堀だけが残されました。その後、城の跡地は公園として整備され、1970年には天守・櫓・門・塀が復元され、高島公園として再びその姿を取り戻しました。
現在の高島城の天守は、1970年に鉄筋コンクリート造りで復元されたものです。かつての天守とは異なり、窓の大きさや位置が若干異なり、屋根には檜の柿葺ではなく銅板が使用されています。内部は資料館として一般公開されており、歴史的な展示物が多数展示されています。
高島城には、現在も本丸の石垣や北側と東側の堀が残っています。三の丸にあった城門は本丸に移築され、温泉寺および浄光寺の山門として現存しています。また、能舞台も温泉寺本堂の一部として移築されており、城の歴史を感じさせる遺構が今もなお残っています。
2017年4月6日には「続日本100名城」に選定され、高島城はその歴史的価値が再認識されました。観光地としても多くの人々に親しまれており、過去と現在が交差する場所として、訪れる人々に深い感動を与え続けています。
9:00~17:30
12/26~12/31
大人 310円
小人 150円
諏訪ICから車で8分[3km]
JR中央本線上諏訪駅から徒歩10分