冬の高原地帯の寒気を利用した天然角寒天づくりは、長野県を代表とする地場産業であり「信州寒天」づくりは冬の風物詩。 諏訪地方で寒天の製造が始まったのは1658年(万治1)の冬、参勤交代途上の島津侯が京都伏見(ふしみ)の旅宿美濃屋(みのや)太郎左衛門方で、食べ残しのところてんを戸外へ捨てたところ、寒夜のもとで凍結し、日中になると解けて乾燥し、鬆(す)の入った乾物になった。これをヒントに宿の主人が創製して売り出したのが寒天の始まりという。
諏訪地域の寒天製造業は、低温な気候と安定した天気に恵まれ、他の地域よりも長く製造できることと、明治末期の鉄道開通によって発展した。寒天産業が始まったのは江戸時代。寒天作りの出稼ぎに出ていた小林粂左衛門が、故郷へ製法を持ち帰ったのが始まりだといわれている。寒天は、海藻のテングサとオゴノリなど紅藻類を煮て固めたものを、凍結・乾燥を繰り返してつくられる。