湘南海岸から相模湾へと突き出ている周囲4km、標高60mほどの風光明媚な陸繋島。
「東洋のマイアミビーチ」とも呼ばれる美しい海岸線で、
古くから景勝地として、現在では国内でも有数の人気観光エリアとなっている。
島内には江島神社や海蝕洞窟の江の島岩屋、和洋折衷の植物園の江の島サムエル・コッキング苑、展望灯台の江の島シーキャンドル、ヨットハーバーがある。
頂上までは数百段の階段を登る代わりに野外エスカレータの江の島エスカーを使えば、高低差46メートルを4分でらくらくアクセス。全長106メートル、上りのみで4連で結ぶ。
島までは歩行者用の「江の島弁天橋」、自動車専用橋「江の島大橋」が架けられていて、
対岸は新江ノ島水族館のある湘南海岸公園や、片瀬東浜海水浴場となっている。
年間を通じて季節感溢れるイベントや伝統行事などを数多く行っている。
古来は引き潮の時のみ地続きとなって歩いて渡ることができたが、関東地震で島全体が隆起して以降はほぼ地続きになった。
古くから参詣・遊山の地として賑わってきた。
四囲を海蝕崖に囲まれた険しい地形や海蝕洞「岩屋」の存在は、古来宗教的な修行の場として江の島を特色づけてきた。
奈良時代には役小角が、平安時代には空海・円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参篭して修行に励んだと伝えられている。
寿永元年(1182年)に源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝したといわれる。
鎌倉時代以後も、その時々の為政者から聖域として保護され、参詣されてきた。弁才天は水の神という性格を有し、歌舞音曲の守護神とされたため、歌舞伎役者や音楽家なども数多く参拝した。
明治初期以来多くの外国人が訪れるようになり、アイルランド人貿易商サムエル・コッキングは、東山頂上部に別荘と庭園の造営した。
江戸時代後期には江戸庶民の行楽地として賑わい、観光地として発展した。
小田急片瀬江ノ島駅から徒歩で10分
江ノ島電鉄江ノ島駅から徒歩で15分
湘南モノレール湘南江の島駅から徒歩で16分