歴史を感じる遺構と展示施設
園内には、石垣や堀跡、土塁、枡形など、戦国時代の城郭構造を物語る数多くの遺構が残されています。これらは往時の姿をしのばせ、訪れる人々に歴史の奥深さを伝えています。また、三戸城温故館や歴史民俗資料館といった施設も整備されており、南部藩主や家臣が用いた武具・装束・古文書、さらには縄文時代から近代に至るまでの三戸町の資料を数多く展示しています。これにより、歴史ファンはもちろん、幅広い年代の来園者が地域の文化と歴史に触れることができます。
綱門の存在
園内にある綱門(つなもん)は、三戸城において最も重要な門のひとつとして知られています。その堂々とした姿は、戦国時代の城郭の威厳を今に伝える貴重な遺構であり、城を訪れる人々に強い印象を与えています。
自然と触れ合えるスポット
三戸城跡城山公園は、歴史的価値だけでなく自然環境にも恵まれています。園内には子どもたちに人気の鹿園があり、可愛らしい鹿とのふれあいを楽しめます。また、イベントひろばには遊具が設置されており、家族連れにも親しまれる憩いの場となっています。歴史を学ぶだけでなく、自然や動物との触れ合いを通してリフレッシュできる空間としても人気を集めています。
四季折々の花々
春には、園内28ヘクタールに及ぶ広大な敷地が桜で彩られ、県内有数の花見スポットとして賑わいます。ソメイヨシノやヤエザクラ、ヤエベニシダレに加え、黄色の花が特徴的なギョイコウも咲き誇り、多彩な表情を楽しむことができます。この時期には春まつりも開催され、多くの露店が並び華やかな雰囲気に包まれます。さらに、夏にはツツジやアジサイ、秋には紅葉、冬には雪景色と、四季折々の自然美を満喫することができます。
三戸城の歴史
築城と南部氏の居城
三戸城(通称・留ヶ崎城)は、16世紀中期に三戸南部氏によって築かれました。天文8年(1539年)、それまでの拠点であった聖寿寺館が焼失した後に新たな居城として建設されたと伝えられています。南部氏はこの地を拠点に勢力を拡大し、戦国大名としての地位を確立していきました。
南部信直と豊臣秀吉の関係
天正10年(1582年)、田子信直(南部信直)が家督を継ぎ、三戸城に入城します。その後、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣した信直は、朱印状を交付され、南部氏の所領が安堵されました。このとき、領内の城館は破棄され、家臣の妻子は三戸城下に集められたことから、三戸城が南部氏の本拠地であったことがうかがえます。
近世への移行と城の変遷
天正19年(1591年)の九戸一揆平定後、三戸城は蒲生氏郷らによって近世的な石垣を持つ城へと改修され、本丸には三層三階の御三階櫓が築かれたと考えられています。しかし、寛永10年(1634年)に盛岡城が南部氏の新たな居城となると、三戸城は「御古城」と呼ばれるようになり、城代や代官によって管理される体制へと移行しました。
文化財としての価値
現在、旧城門のうち表門・搦手門・代官所門は三戸町の指定有形文化財となっています。表門は町内の龍川寺に、搦手門は法泉寺に移築され、今も歴史を伝える存在です。また、公園内にある三戸城温故館は昭和42年(1967年)に建設された天守風の建物で、歴史資料館として親しまれています。ただし文化庁からは、史実に基づかない建造物であるとして将来的な撤去が求められています。
まとめ
三戸城跡城山公園は、戦国時代から現代に至るまでの長い歴史と、四季折々の美しい自然を体感できる場所です。南部氏の居城としての歴史的価値、豊富な展示資料、そして桜をはじめとする花々や動物とのふれあいが一度に楽しめるため、観光や散策に訪れる人々に多彩な魅力を提供しています。歴史好きの方はもちろん、家族連れや自然を楽しみたい方にとってもおすすめできる公園です。