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櫛引八幡宮

(くしひき はちまんぐう)

櫛引八幡宮は、青森県八戸市に位置する歴史ある神社で、八幡大神(誉田別命)を祀っています。境内には国宝や重要文化財に指定された社殿や甲冑が数多く存在し、歴史と文化の重みを肌で感じられる貴重な場所です。荘厳な雰囲気を持つ境内は「八幡山」と呼ばれ、樹齢100年を超える杉が立ち並び、訪れる人々に神聖で静謐な空気を与えてくれます。

八戸に息づく信仰と「南部総鎮守」としての役割

櫛引八幡宮は「南部総鎮守」として長く信仰を集めてきましたが、しばしば「一ノ宮」と誤解されることがあります。本来「一ノ宮」とは国司が最初に参拝する神社を意味しますが、櫛引八幡宮の場合は、盛岡藩を治めた南部家が特に篤く崇敬したことから「南部にとっての一ノ宮」として語られてきた経緯があります。この背景は観光のキャッチフレーズとしても利用され、神社の復興に大きく寄与しました。

盛岡藩と櫛引八幡宮の関わり

八戸藩が成立した後も櫛引八幡宮は盛岡藩の管理下にあり、八戸の神社ではなく盛岡南部家の祈願所として厚く保護されました。藩制解体までその位置付けは変わらず、南部家の歴史と共に歩んできた神社であることが分かります。

櫛引八幡宮の歴史

創建と遷座の歴史

櫛引八幡宮の起源は仁安元年(1166年)にさかのぼります。加賀美遠光が甲州南部庄(現在の山梨県南部町)に八幡神を勧請したことに始まり、その後、南部光行が糠部五郡の地を治める際にこの神を遷座し、最初は六戸瀧ノ沢村に社殿を建て、さらに貞応元年(1222年)に現在の櫛引村に移されたと伝えられています。以降、南部氏の総鎮守として厚く崇敬を受けてきました。

南部氏と祈願所としての役割

建武年間、三戸南部家が衰退すると、根城を拠点とした南部師行が神社を再興し、一族の祈願所としました。以来、南部家の武運長久や領内安泰を祈願する重要な場となり、その伝統は祭祀や神事に今も受け継がれています。

祭祀と伝統行事

秋季大祭と流鏑馬神事

秋季大祭は旧暦の8月14日から16日にかけて行われ、最も重要な祭儀として知られています。特に有名なのが流鏑馬(やぶさめ)神事で、南部師行が領内の安全や子孫繁栄を祈願して奉納したのが始まりと伝わります。以後、代々の南部家が参加し、武家の繁栄を象徴する神事として受け継がれました。昭和59年(1984年)に復活したこの行事は、現在も多くの参拝客や観光客を魅了しています。

お浜入り神事

5月14日に行われるお浜入り神事では、神輿が小中野の御前神社へ渡御します。この神事は神威の再生や更新を目的とし、地域の人々にとって大切な行事となっています。

社殿と境内の見どころ

本殿・正門・長所

本殿は桃山時代の意匠を色濃く残す三間社流造の建物で、極彩色の装飾や彫刻が特徴です。正門(南門)は切妻造の四脚門で、力強い構造が荘厳さを感じさせます。また旧拝殿である「長所」は、かつての拝殿を移築したもので、歴史的価値の高い建物です。これら3棟は江戸時代前期に造営され、現在は国の重要文化財に指定されています。

境内社と周辺の建物

境内には神明宮や春日社といった末社があり、いずれも18世紀に創祀されたと伝えられています。特に春日造の春日社は東北地方では珍しく、貴重な遺構とされています。その他にも合祀殿や稲荷神社などがあり、境内全体が信仰と歴史を今に伝える空間となっています。

文化財と国宝

国宝の甲冑

櫛引八幡宮には、鎌倉時代や南北朝時代の甲冑が数多く残されています。中でも有名なのが赤糸威鎧白糸威褄取鎧の2領で、いずれも国宝に指定されています。精緻な金工や装飾性の高さから、日本甲冑史の頂点を示す作品と評価されています。

重要文化財と青森県重宝

社殿群のほか、紫糸威肩白浅黄鎧や白糸威肩赤胴丸など、数々の甲冑が重要文化財に指定されています。また、旧八戸小学校講堂(明治記念館)は青森県の重宝に指定されており、近代の歴史を伝える貴重な建築物です。

まとめ

櫛引八幡宮は、八戸市を代表する歴史的・文化的な神社であり、南部氏の信仰と繁栄を伝える場です。境内には重厚な社殿や国宝級の文化財が並び、四季折々に行われる祭祀は地域の人々にとって大切な伝統となっています。八戸を訪れる際には、ぜひ足を運び、長い歴史と深い信仰の世界に触れてみてください。

Information

名称
櫛引八幡宮
(くしひき はちまんぐう)
Kushihiki Hachiman Shrine
エリア
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