盛田牧場の創業と発展
盛田牧場の正確な創業年は定かではなく、1884年あるいは1887年とされています。一説には江戸時代の慶応3年(1867年)にまで遡るとも言われています。創業者は第十代盛田喜平治であり、盛田家は酒造や呉服を本業とする商家で、南部地方における有数の大地主でもありました。 牧場が置かれた膝森地区は、かつて官営地だった土地を払い下げられたもので、果樹栽培や養蚕が試みられた後、馬の生産拠点として整備されていきました。
馬産業への取り組み
1884年、喜平治が厩舎を建設し、アメリカからアングロアラブの牝馬を輸入したことが牧場の本格的な始まりとされています。当初は馬の貸付が中心でしたが、1907年には繁殖牝馬を用いた競走馬生産が始まりました。大正から昭和にかけての競馬人気の高まりとともに、盛田牧場も急速に発展していきます。
名馬の誕生と青森県馬産の黄金期
盛田牧場からは数多くの名馬が誕生しました。特に1949年に皐月賞と菊花賞を制したトサミドリは、JRA顕彰馬として今も高く評価されています。さらに、ヒカルメイジ(1957年日本ダービー優勝)、コマツヒカリ(1959年日本ダービー優勝)と、兄弟馬によるダービー制覇という快挙も成し遂げました。 そのほか、菊花賞優勝馬グレートヨルカや、天皇賞・春を制したアサホコなど、数々の強豪馬がこの地から巣立ち、全国の競馬ファンを熱狂させました。
青森馬産の全盛期
1950年代から1960年代にかけて、盛田牧場をはじめとする青森県内の牧場は全国に名を馳せ、まさに青森県馬産の黄金時代を迎えました。サラブレッドの育成拠点としての役割を果たしつつ、地域の誇りとしても存在感を放っていました。
戦後の転換と衰退
第二次世界大戦後、軍馬や農耕馬の需要が激減し、馬産業全体が転換期を迎えます。盛田牧場でも牛や豚などの畜産業への切り替えが模索されましたが、地元有志や競馬関係者の尽力により存続が図られ、競走馬生産を継続することができました。 しかし、昭和40年代以降になると、競走馬生産の中心地は北海道へと移り、青森県の牧場は次第に衰退していきました。盛田牧場も例外ではなく、2006年をもって競走馬生産を終了し、長い歴史に幕を下ろしました。
保存された文化財と観光資源
盛田牧場には、旧盛岡藩領特有の建築様式である南部曲屋を用いた施設が多く存在していました。これらは大変貴重で、現在は登録有形文化財として保存されています。特に「盛田牧場一号厩舎(南部曲屋育成厩舎)」は牧場の象徴的存在であり、往時の姿を今に伝えています。 これらの施設は修築され、一般公開されており、訪れる人々は青森県の馬産の歴史と文化を間近に感じることができます。
観光スポットとしての盛田牧場
現在の盛田牧場跡地は、観光客が訪れる歴史的スポットとして注目を集めています。往時の建物を巡りながら、青森県が誇った競走馬生産の歴史を学ぶことができるほか、実際に活躍した名馬たちの足跡を辿ることもできます。競馬ファンはもちろん、歴史や建築に興味を持つ方にもおすすめの場所です。
まとめ
盛田牧場は、青森県七戸町における馬産業の象徴であり、数多くの名馬を世に送り出した歴史的な牧場です。その歩みは地域の誇りであり、日本競馬史においても重要な役割を果たしました。現在は文化財として保存され、観光資源として多くの人々に親しまれています。 七戸町を訪れた際には、ぜひ盛田牧場跡地を訪ね、往時の馬産文化に触れてみてはいかがでしょうか。