天孫神社は、滋賀県大津市京町に位置する由緒ある神社です。神社の旧社格は「県社」に分類され、地域の信仰の中心としての役割を果たしています。この神社は、平安時代から続く長い歴史を持ち、その存在は地域の歴史や文化に深く根ざしています。神社には複数の祭神が祀られており、また、地域の伝統的な祭りである「大津祭」の舞台ともなっていることから、観光客にとっても人気のスポットです。
天孫神社の主祭神は以下の四柱です:
また、主神の他に、塩土翁(しおつちのおきな)も祀られているとされています。
天孫神社の創建は延暦年間(782年 - 806年)に遡り、当初は伊勢屋町北方の地(現・大津市中庄)に建立されたと伝えられています。大同3年(806年)には、平城天皇が近江国に行幸した際に、この神社を行在所として使用し、禊祓いを行った記録が残されています。
『日本三代実録』には、元慶6年(882年)に「近江国海南神」として記されており、当時は「海南神」として知られていました。海南神は国史見在社の論社であり、現在の天孫神社の前身にあたると考えられています。
建久元年(1190年)には、近江守護の佐々木定綱によって社殿が造営され、神供田も寄進されました。さらに、弘長2年(1262年)には奈良から鎌倉への旅路にあった叡尊が、当社近くで宿泊したことが『関東住還記』に記されています。当時、神社の社地は琵琶湖近くにあり、「四ノ宮神社」と呼ばれるようになったのはこの頃からです。
文明年間(1469年 - 1487年)の洪水により、社殿が被害を受けると神社は琵琶湖の湖岸に移転し「武蔵野関の神社」と称しましたが、その後も天文年間(1532年 - 1555年)の洪水で大きな被害を受け、社地を再度移転することになりました。さらに元亀年間(1570年 - 1573年)には火災により社殿が焼失しましたが、栗太郡の青地城主の支援により再建され、現在の場所に移されました。
天孫神社は、明治時代には「天孫四宮大明神」や「四宮神社」と呼ばれていましたが、明治初年に現在の「天孫神社」に改称され、県社に列せられました。社殿は歴史的建造物としての価値も高く、多くの参拝者を惹きつけています。
天孫神社の境内には、さまざまな建造物があります。特に見どころとして以下の建物があります:
天孫神社には、以下のような摂末社もあります。これらの神社も、地域の人々にとって重要な存在です:
天孫神社は、滋賀県大津市で行われる「大津祭」の中心的な神社でもあります。この祭りは毎年10月に行われ、神社の例祭にあたる曳山巡行が見どころです。祭りの始まりは、慶長年間(1596年 - 1615年)に、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸の面をつけて踊ったことが起源とされています。この踊りが進化し、現在ではからくり人形を載せた曳山が巡行する形式になっています。
大津祭の曳山巡行では、13基の曳山(山車)が市内を巡り、各曳山の上から厄除けのちまきや手拭いが撒かれます。また、各曳山にはからくり人形が設置され、所望(しょうもん)と呼ばれるパフォーマンスが各所で披露されます。この祭りは、地域住民にとっても観光客にとっても非常に魅力的なイベントとなっています。
大津祭は、2016年に国の重要無形民俗文化財に指定され、その歴史的・文化的価値が認められました。曳山のデザインやからくり人形の技術は、江戸時代からの伝統を引き継いでおり、訪れる人々に感動を与えています。
天孫神社は、滋賀県大津市の歴史と文化を象徴する神社です。長い歴史の中で幾度も自然災害や火災に見舞われましたが、その都度地域の人々の支援を受けて再建されてきました。また、大津祭という伝統的な祭りが行われる場所として、多くの観光客を集めています。神社を訪れることで、歴史的な遺産に触れるとともに、地域の文化や伝統に触れる貴重な体験ができるでしょう。