比叡山延暦寺は、京都府と滋賀県の県境にまたがる比叡山全体を境内とする寺院で、平安京(現在の京都市)の北に位置するため、「北嶺」とも呼ばれています。
延暦寺は、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三つの地域から成り立っています。
東塔には根本中堂、法華総持院東塔、大講堂、阿弥陀堂、文殊楼、延暦寺会館などがあります。
西塔には釈迦堂、にない堂があり、横川には横川中堂、根本如法塔、元三大師堂など、数多くの見どころがあります。
また、東には「天台薬師の池」と歌われる日本一の琵琶湖があり、西には京都の町並みを一望できる美しい自然環境に囲まれた景勝地でもあります。延暦寺は「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町に位置し、標高848メートルの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山です。山号は比叡山で、本尊は薬師如来です。正式には比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と呼ばれます。
平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)によって開かれた日本天台宗の本山寺院で、住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括します。横川中堂は新西国三十三箇所第18番札所で、本尊は聖観音です。1994年(平成6年)には「古都京都の文化財」として、1,200年の歴史と伝統が高く評価され、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。寺紋は天台宗菊輪宝です。
比叡山、または叡山(えいざん)とも呼ばれます。さらに、興福寺を指す南都に対して「北嶺(ほくれい)」、園城寺を指す「山門」と呼ばれることもあります。
延暦寺は最澄の開創以来、高野山金剛峯寺と並び平安仏教の中心寺院として栄えました。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行われ、仏教の総合大学のような役割を果たしました。平安時代には皇室や貴族の尊崇を集め、大きな力を持ちました。特に密教による加持祈祷は平安貴族に支持され、真言宗の東寺の密教(東密)に対抗して「台密」と呼ばれました。
「延暦寺」は単独の堂宇の名称ではなく、比叡山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域(総称して「三塔十六谷」と呼ばれる)に所在する150ほどの堂塔の総称です。『日本仏教の礎』(佼成出版社)によれば、最盛期には三千を超える寺社が存在したとされています。
延暦7年(788年)、最澄は薬師如来を本尊とする一乗止観院を東塔北谷に設立しました。これが比叡山延暦寺の起源です。最澄は大和国三輪山より大物主神の分霊を比叡山に勧請し、これを「大比叡」とし、従来の地主神である大山咋神を「小比叡」としました。これにより、一乗止観院を創設しました。
一乗止観院の設立後、延暦寺は桓武天皇の勅願所とされ、国家鎮護を祈る密教の道場として繁栄しました。最澄は弘仁3年(812年)に『山家学生式』(さんけがくしょうしき)を記し、入唐留学中の弘仁5年(814年)には一乗止観院の名称を「長等山園城寺」と改名する許可を得ました。帰国後、弘仁8年(817年)には天台法華宗の法門を弘通する許可を得ました。これにより、延暦寺は比叡山を中心とする日本天台宗の根本道場となり、多くの名僧を輩出しました。
根本中堂(こんぽんちゅうどう)は、延暦寺の総本堂であり、比叡山の中心的な建物です。最初に建立された一乗止観院は火災で焼失しましたが、現存する建物は江戸時代に再建されたものです。
根本中堂の本尊は薬師如来で、最澄が彫刻したと伝えられています。この薬師如来像は「秘仏」とされ、一般公開はされていません。
根本中堂は国宝に指定されており、その歴史的価値から重要な文化財とされています。
比叡山は天台宗の修行の場として知られており、多くの修行僧が厳しい修行に励んでいます。
また、延暦寺は学問の中心地としても広く認識され、多くの学僧が仏教の教えを学んでいます。
毎年6月4日には、延暦寺の開祖である最澄を偲ぶ「比叡山開祖大師祭」が行われます。この祭りでは、多くの僧侶や信徒が参加し、最澄の教えを再確認します。
また、延暦寺では「千日回峰行」という厳しい修行が行われています。これは、比叡山中を千日間歩くもので、7年かけて修行を行うという厳格な行程です。この修行は比叡山の僧侶にとって最高の修行とされています。
諸堂巡拝時間
東塔地区:
3月~11月 8時30分~16時30分
12月 9時~16時
1月~2月 9時~16時30分
西塔・横川地区:
3月~11月 9時~16時
12月 9時30分~15時30分
1月~2月 9時30分~16時
年中無休
延暦寺諸堂巡拝料
東塔・西塔・横川共通券
大人 1,000円
中高生 600円
小学生 300円
国宝殿(宝物館)拝観料
大人 500円
中高生 300円
小学生 100円
京都駅から京都バス、京阪バスのドライブバス「比叡山頂」下車