小椋神社は、滋賀県大津市に位置する歴史ある神社です。式内社であり、旧社格は県社です。また、境内には大宮神社、若宮神社、今宮神社、新宮神社の4つの社が祀られています。神社は、天智天皇の時代に創建され、長い歴史の中で地域の信仰を集めてきました。
社伝によると、天智天皇6年(667年)に天智天皇が大津京に遷都した際、同行していた加太夫(賀太夫、嘉太夫)仙人という行者が大和国の丹生川上神社から分霊を仰木の地に勧請したことが、小椋神社の創祀とされています。
その後、貞観元年(859年)に源融が現在の社地に遷したとされ、現社地には文徳天皇の皇子、惟喬親王によって創建された大宮神社も鎮座しています。また、旧社地には滝壺神社が祀られ、これは現在の奥宮となっています。
貞観元年の遷座から後、延喜2年(902年)には若宮神社が祀られ、延喜8年(908年)には延喜式内社として登録されました。さらに、貞元2年(977年)には源満仲がこの地に住み、10年間滞在しました。その後、建久元年(1190年)には今宮神社、新宮神社が境内に祀られ、中世には五社大権現(大明神)として広く信仰を集めました。
明治時代になると、1876年(明治9年)に小椋神社は村社に列し、1908年(明治41年)には神饌幣帛料供進社に指定されました。その後、一時的に「田所神社」と改称されましたが、1945年(昭和20年)に再び小椋神社の名に戻り、県社に昇格しました。
小椋神社の境内には、以下のような建物が点在しています:
また、境内には多数の摂社・末社があり、それぞれ異なる神が祀られています。主な社を以下に示します:
小椋神社には歴史的価値の高い文化財も保存されています。中でも注目すべきは以下のものです:
5月3日には、小椋神社の例祭として仰木祭りが開催されます。この祭りは、「泥田祭」とも呼ばれ、平安時代後期に仰木に移り住んだ清和源氏の2代目、源満仲公を偲ぶ古式行事が行われます。例祭の中では、5基の神輿が巡幸し、神輿が通った後の道が泥田のようにぬかるむことから、その名がつきました。
泥田祭は、5月2日から始まります。宵宮では神輿出しや子供神輿の巡幸、流鏑馬の足慣らしが行われます。そして、5月3日には例祭が早朝に行われ、午後からは仰木太鼓の響きとともに、各部落から氏子が参集し、5基の神輿を担いで御旅所までの渡御が行われます。
御旅所では、源満仲公の別れを惜しんだ郷人との故事に倣い、酒宴や芝座敷、千野座敷が行われ、その後、流鏑馬や馬止めの神事が続きます。この祭りは、旧暦の閏年には特別な閏祭典も行われます。
小椋神社は、地域に深く根付いた神社であり、氏子や崇敬者によって大切に守られています。神社の例祭や泥田祭は、地域全体が一体となって行われ、地元の文化や歴史を次世代に伝える大切な行事となっています。境内には400年以上の大杉をはじめとした立派な木々が立ち並び、自然豊かな神域が広がっています。
小椋神社は、古くから地域の守護神として崇められ、多くの歴史的出来事や人物と深い関わりを持ってきました。現在もその伝統を守り続け、地域住民や参拝者の心の拠り所として重要な役割を果たしています。歴史的な社殿や文化財、美しい自然に囲まれた境内は、訪れる人々に神秘的な雰囲気を感じさせます。滋賀県大津市を訪れた際には、ぜひ小椋神社を参拝し、その歴史と文化を感じてください。