三尾神社は、滋賀県大津市園城寺町に位置する神社です。園城寺(三井寺)の南院の鎮守社であり、かつては「三尾社」または「上三尾社」とも呼ばれていました。この神社は、琵琶湖疏水が長等山に入るあたりに鎮座しており、その歴史は応永33年(1426年)に遡ります。当時、足利将軍が社殿を再興し、後に明治9年(1876年)に現在の地に移されました。また、この神社の特徴的な点は、珍しい「兎の神紋」があることです。
古代、長等山の山頂に腰に赤・白・黒の三つの帯を巻いた伊弉諾尊が降臨したと伝えられています。その姿を目撃した里人たちは、伊弉諾尊を長等山の鎮守神として祀りました。また、伊弉諾尊が巻いた三つの帯が尾のように見えたことから、この神は「三尾明神」と呼ばれるようになりました。
ある時、その三つの帯が「赤尾神」「白尾神」「黒尾神」として姿を変えました。特に、赤尾神は本神とされ、卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方角から長等山の琴尾谷(琴緒谷)に現れました。白尾神は大宝年間(701年 - 704年)の夏に現在の三尾神社の地に、黒尾神は神護景雲3年(769年)3月14日(第2の卯の日)に鹿関(現・長等小学校の東側)に出現したと伝えられています。
三尾明神は、貞観元年(859年)の卯の年に園城寺初代長吏である円珍によって、赤尾神が現れた琴尾谷(現・園城寺境内の西方)に園城寺の鎮守として祀られました。その際、社殿が建立されました。園城寺の境内が整備されるにつれ、北院の鎮守は新羅社(現・新羅善神堂)、南院の鎮守は三尾社となりました。
三尾社の隣には、三尾明神の本地仏である普賢菩薩を本尊とする「普賢堂」が建てられました。この堂は三尾社の神事を執り行う預坊でもありました。また、白尾神と黒尾神が出現した地は、それぞれ三尾社の御旅所として使われています。
現在の三尾神社の本殿は、応永33年(1426年)に室町幕府の前将軍である足利義持によって再建されたものです。文禄4年(1595年)には、豊臣秀吉が園城寺を破壊しようとした際、三尾社本殿は被害を免れました。その後、慶長年間(1596年 - 1615年)には、秀吉によって社殿が修復されました。
明治時代に入ると、神仏分離の政策により、三尾社は1876年(明治9年)5月12日に園城寺の境内から現在の地に移されました。その後、社名も「三尾神社」と改められました。1881年(明治14年)には郷社に、1910年(明治43年)には県社に昇格しました。この間、1890年(明治23年)には境内のすぐ南側に琵琶湖疏水が作られました。
三尾神社では、創建時の伝説からウサギが三尾明神の使いとされています。そのため、境内の至る所にウサギの石像や彫刻が存在しています。このウサギの象徴は、三尾神社を訪れる際の特徴的な景観の一つです。
主祭神: 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
本殿: 応永33年(1426年)に再建されたもので、棟札や古材、三尾神社造営注文といった貴重な文書も附属しています。
三尾神社は、歴史的な背景や美しい神社建築、そして珍しいウサギの象徴を持つ神社です。園城寺との深い関係や、赤尾神・白尾神・黒尾神の伝説も、この神社の訪れる価値を高めています。特に5月の古例大祭や渡御の時期には、多くの参拝者が訪れ、古来からの伝統を感じることができます。アクセスも便利で、琵琶湖観光と合わせて訪れるのに最適な場所です。