猿田彦大神
猿田彦大神は、天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」として崇められています。
この神の神使は蛙であり、参拝者が神徳を受けた証として境内に蛙の塑像を献納する風習があります。
これは「無事に帰る」「貸した物が還る」「お金が返る」など、蛙の「カエル」に掛けた験担ぎです。境内には、無数の蛙像が並んでいます。
夫婦岩
夫婦岩(めおといわ)は、日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための鳥居の役割を果たしています。男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていましたが、いつの頃からか夫婦岩と呼ばれるようになりました。この名称がついた時期は定かではありませんが、江戸時代中期の『伊勢参宮名所図会』に大注連縄を張った夫婦岩の絵が描かれています。
夫婦岩の間から太陽が昇る写真が初日の出のイメージとしてよく使われますが、冬季にはこの光景は見られません。これは夏季に撮影されたものであり、夏至の前後約4か月間は夫婦岩の間から御来光を拝めます。特に夏至の前後2週間ほどは、富士山山頂付近からの御来光となり、多くの人が訪れます。また、冬至の頃には夫婦岩の間から昇る月を見られ、満月の日には大勢のカメラマンや参拝者が集まります。
男岩(高さ約4メートル、周囲約11メートル)
女岩(高さ約3メートル、周囲約9メートル)
歴史
二見興玉神社は、1910年(明治43年)に猿田彦大神を祀る興玉社と宇迦御魂大神を祀る三宮神社を合祀して誕生しました。
興玉社:夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石を遥拝するところとして始まりました。天平年間(729年~748年)に僧行基によって創建され、江寺(えでら)の境内に鎮守社として建てられました。後に現在の二見浦へと遷座しました。
三宮神社:元は現社境内の天の岩屋の中に祀られていましたが、文禄年間に岩屋の外に移されました。1910年(明治43年)に興玉社本殿に合祀されました。
1945年(昭和20年)には栄野神社も合祀されました。
浜参宮
古来、伊勢神宮に参拝する前や祭典に奉仕する前には、二見浦で禊(沐浴)を行う慣わしがありました。現代では、これに代わるものとして、二見興玉神社で霊草無垢塩草による祓い清めを受けます。この祓いに使用する幣は、興玉神石付近で採れる海草(アマモ)です。現在、神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持行事への参加者は浜参宮を行います。