明治維新の原動力となった吉田松陰を祀る神社で、1907年に門人である内閣総理大臣(初代、5代・7代、10代)を務めた伊藤博文らによって建立された。
1890年に松陰の実家・杉家の邸内に松陰の実兄が土蔵造りの小祠を建て祀った。松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって、萩城内にあった鎮守・宮崎八幡の拝殿を移築して神社を創建。
現在の社殿は1955年に新しく建てられたもので、創建当時の土蔵造りの旧社殿は松下村塾での門人を祭る末社・松門神社となっている。
境内には松下村塾が現存している。
この松下村塾において松陰は久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、渡辺蒿蔵、河北義次郎などの面々を教育した(山縣有朋、桂小五郎は松陰が明倫館時代の弟子であり、松下村塾には入塾していない)。
松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳などもおこなうという「生きた学問」だったといわれる。
東京都世田谷区にも松陰神社がある。
高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。
1882年(明治15年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。
境内には萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模して松下村塾が復元建造されている。
境内自由
年中無休
JR山陰本線東萩駅から徒歩で10分