天正17年(1589年)、毛利輝元築城の城。“鯉城”と呼ばれる優美な城で、1945年まで天守を始めとする城郭建築が現存していたが、原爆により天守閣が全壊した。
城内の天守以下城郭建築は1958年以降に再建され、武家文化を中心に紹介する歴史博物館になっている。
◎毛利輝元(1553-1625)安土桃山時代の大名。元就の孫。関ケ原の戦では西軍の総大将となったが、戦後防長2国に削封される。広島城を築城。
◎福島正則(1561-1624)安土桃山・江戸初期の大名。賤ケ岳の戦での活躍は有名。関ケ原の戦の功により広島城主となる。のち信濃に転封。
◎浅野長晟(1586-1632)安土桃山・江戸初期の大名。大坂の陣に功をたて、福島正則改易後広島に移封される。
◎浅野吉長(1681-1752)広島藩主。行き詰った藩政を立て直すため、株仲間の奨励、支配組織の強化など、数々の改革を断行し、藩中興の主と称せられる。
◎浅野重晟(1743-1813)浅野家第七代広島藩主。倹約令・社倉法などで藩財政の立て直しを図ると共に、藩学問所を創設して教育の振興に努めた。
広島城は天正17年(1589年)に毛利輝元によって築城されました。この城は「鯉城」とも呼ばれ、その美しさで知られていました。広島城は、安土桃山時代から江戸時代にかけて広島県広島市中区基町に位置し、国の史跡に指定されています。城の建設地は太田川河口のデルタ地帯にあり、平城として設計されました。
1945年の原子爆弾投下により、広島城の天守閣は全壊しました。現存していた城郭建築も同様に破壊されましたが、1958年以降に再建が進められ、現在の広島城は再建されたものです。再建された天守は鉄筋コンクリート構造で、内部は歴史博物館として利用されています。
江戸時代初期には福島正則が広島城に入り、城域を拡大しました。広島城の範囲は約90万平方メートルに及び、現在の史跡としての広島城は広島市中央公園内にある内堀を含む本丸跡と二の丸跡の約12万平方メートルが残されています。城内には広島護国神社も存在しますが、同神社の敷地は1956年に公園区域から除外されました。
広島城は、西日本有数の所領を持つ広島藩42万6000石の浅野家12代の居城でした。城内には5重と3重の大小天守群や88基の櫓が建てられていました。1592年に毛利輝元によって創建された大天守は、国宝に指定されるほどの美しさを誇りました。近代には日清戦争時に大本営が置かれるなど、軍都広島の中心となりました。
現在、広島城の天守は鉄筋コンクリート構造で再建され、歴史博物館として利用されています。大天守、小天守、中御門、裏御門、本丸御殿、本丸多聞櫓の木造復元計画がありますが、土地の制約から一部の復元は困難です。本丸跡、二の丸跡以外は都市開発により城跡の面影はほとんどありません。
広島城の別称は「鯉城(りじょう)」で、城があった一帯がかつて「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれていたことに由来します。また、堀にたくさんの鯉がいたことや天守が黒いことからこの名がついたという説もあります。他に「在間城(ざいまじょう)」や「当麻城(たいまじょう)」の別称もあります。
3月~11月 9:00~18:00
12月~2月 9:00~17:00
年末(12月29日~ 31日)
※臨時休館あり
大人 370円
シニア(65歳以上)180円
高校生 180円
中学生以下 無料
広島駅から路面電車で15分 *「紙屋町東」電停下車、徒歩15分 → 徒歩で15分
広島駅からバスで15分 *「紙屋町」バス停から徒歩15分