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大洲城

(おおずじょう)

伊予の雄姿を今に伝える名城

この地に初めて築城したのは、鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房で、1331年と伝わる。

創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれた。 

1888年に惜しくも天守が取り崩されてしまったが、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されている。

4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組模型などの史料を元に2004年に木造で復元した。

# 大洲城の概要

大洲城(おおずじょう)は、四国の伊予国喜多郡大洲(現在の愛媛県大洲市大洲)に位置する日本の城です。別名には地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがあります。

## 地理的特徴と歴史的背景

大洲は伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に至る街道があります。西には大洲の外港とも言える八幡浜(現・八幡浜市)があり、大洲は交通の要衝として重要な位置にありました。初めて築城したのは鎌倉時代末期で、伊予宇都宮氏が肱川と久米川の合流点に築城し、地蔵ヶ岳城と呼ばれていました。

## 江戸時代の修築と繁栄

江戸時代初期、藤堂高虎によって大規模な修築が行われ、近世城郭としての体裁が整えられました。大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄し、城の保護活動は地元住民により明治維新後も続けられました。2004年には主に市民の寄付によって4重4階の天守が木造で忠実に復元されました。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓は国の重要文化財に指定されています。

# 大洲城の歴史と沿革

## 鎌倉時代から戦国時代

初めて築城されたのは鎌倉時代末期で、伊予宇都宮氏の宇都宮豊房が1331年に築城しました。宇都宮氏は二百数十年間にわたり南伊予を支配しましたが、毛利氏の出兵により降伏し、その後は豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景が大洲城を支配しました。

## 江戸時代の発展

藤堂高虎が入城した1595年から、城は近世の城郭として整備され、脇坂安治の時代には天守をはじめとする建造物が造営されました。その後、加藤氏が12代にわたり大洲藩主として治め、明治維新を迎えました。

# 明治時代以降の保存活動

維新後、城内の建築物の多くは破却されましたが、地元住民の活動によって一部の天守や櫓が保存されました。現在の天守は、平成16年(2004年)に伝統工法を用いて復元されたもので、当時の工法に忠実に再現されています。

## 重要な文化財

### 国の重要文化財
- 台所櫓
- 高欄櫓
- 苧綿櫓
- 三の丸南隅櫓

### 愛媛県指定有形文化財
- 下台所

### 愛媛県指定史跡
- 大洲城跡

# 天守復元の詳細

平成6年(1994年)に天守再建検討委員会が発足し、2004年には木造復元が完了しました。復元には多くの民間からの寄付が寄せられ、その寄付者の名簿は天守内にレリーフで残されています。この木造復元によって、国土技術研究センターから第七回国土技術開発賞を受賞しました。

## 宿泊体験

バリューマネジメント社(大阪市)が大洲市や伊予銀行などの協力を得て、年間30日まで城への宿泊を受け付けています。

# 大洲城の遺構

## 建築物

- **台所櫓**:1859年に木造復元。二重二階。
- **高欄櫓**:1860年に木造復元。二重三階。
- **苧綿櫓**:1833年に木造復元。北東隅に石落しあり。
- **三の丸南隅櫓**:大洲城最古の建築物。

## その他の遺構

- 暗り門跡
- 二の丸御殿跡
- 下台所

大洲城はその歴史的価値と文化財としての重要性から、多くの人々に愛され続けています。

Information

名称
大洲城
(おおずじょう)
Ozu Castle
リンク
公式サイト
住所
愛媛県大洲市大洲903
電話番号
0893-24-1146
営業時間

9:00~17:00 (札止16:30)

定休日

年中無休

料金

大人 550円
小人 220円(中学生以下)

アクセス

大洲ICから車で15分[5km]

エリア
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