安達太良山麓に広がる温泉郷
岳温泉は、日本百名山の一つである安達太良山の麓に広がり、豊かな自然環境に恵まれています。周辺はあだたら高原と呼ばれ、放牧される牛や野生のニホンリスの姿を見かけることもあります。温泉街の中心を通るヒマラヤ大通りは温泉神社への参道にもなっており、古くからの温泉街の風情を残しながら、自然と調和した景観が魅力です。
ニコニコ共和国の開国
1982年(昭和57年)、岳温泉旅館協同組合は観光振興の一環として「ニコニコ共和国」を開国しました。当時全国的にブームとなっていた「ミニ独立国」の一つで、ユニークな企画は観光の目玉となり、現在も岳温泉の名物として親しまれています。
源泉と引湯の特徴
岳温泉の源泉は安達太良山直下、標高約1350メートルのくろがね小屋付近にあります。温泉街からは約8km離れており、引湯管を通して温泉街まで供給されています。
ミルキーデイと湯花流し
通常は透明なお湯ですが、週に一度行われる湯花流しの際には乳白色のにごり湯へと変化します。この日を「ミルキーデイ」と呼び、岳温泉ならではの体験として人気を集めています。毎週月曜日が基本ですが、天候や作業の状況によって変更されることもあります。
湯守と呼ばれる人々が源泉地に赴き、管に付着した湯花を取り除く作業を行うことで、お湯の流れが保たれています。冬季は雪に覆われた源泉地帯をスノーシューで歩き、雪を掘り起こして点検する過酷な作業ですが、これにより岳温泉の恵みが絶えず守られているのです。
岳温泉神社と詩情あふれる風景
温泉街の一角にある岳温泉神社は、詩人・高村光太郎が『智恵子抄』に詠んだ安達太良山の広い斜面に鎮座しています。神社からは阿武隈川を見下ろすことができ、自然と文化の両方を味わえるスポットとして訪れる人々に親しまれています。
岳温泉の歴史
平安時代に知られた名湯
岳温泉の開湯は古く、『日本三代実録』(863年)や『日本紀略』(897年)にその名が記されており、平安時代には京都でも知られていた歴史ある温泉でした。当時は「陽日(ゆい)温泉」と呼ばれ、藩主の御殿や湯女を抱える歓楽温泉場として賑わっていました。
土石流と温泉街の崩壊
1824年(文政7年)、安達太良山の一角が崩れ、土石流によって温泉街が壊滅。200人を超える犠牲者を出す大惨事となりました。この災害は『岳山崩一見』などに記録され、岳温泉の歴史に深い爪痕を残しました。
十文字岳温泉と戊辰戦争
翌1825年には「十文字岳温泉」として再建されましたが、戊辰戦争の際に二本松藩が自ら温泉街を焼失させました。その後も再建と災害が繰り返され、幾度も姿を変えながら温泉は守られてきました。
深掘温泉から現在地へ
明治時代には「深掘温泉」として再建されましたが、1903年に火災で全滅。1906年には地元有志による温泉会社が設立され、現在の場所に岳温泉が再建されました。その後、経営難を乗り越え、実業家・木村泰治の支援によって復興を果たしました。
国民保養温泉地と近代の発展
1955年には国民保養温泉地に指定され、1982年には「ニコニコ共和国」が開国。岳温泉はその歴史の中で幾度も困難を乗り越え、不屈の精神と情熱で守り継がれてきました。
岳温泉の楽しみ方
岳温泉では、温泉街の散策や歴史的建造物の見学、美しい自然とのふれあいを楽しむことができます。安達太良山への登山やハイキング、冬季のスキーやスノーボードなどのアクティビティも充実しており、四季を通じて魅力あふれる時間を過ごせます。
アクセス
岳温泉へは、JR二本松駅からバスで約30分で到着します。福島市や郡山市からもアクセスが良く、観光と温泉を組み合わせた旅行プランが立てやすい立地です。
まとめ
岳温泉は、1200年を超える歴史を誇り、土石流や火災など数々の災害を乗り越えてきた温泉地です。美しい自然、良質な泉質、そして伝統と文化が調和した温泉街は、訪れる人々に深い癒しと感動を与えます。歴史に触れ、自然に抱かれ、心身を癒すことのできる岳温泉は、まさに福島県を代表する温泉地の一つといえるでしょう。