高千穂神社は、宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する神社で、国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の有力な論社とされています。近代社格制度では村社にとどまっていましたが、2024年(令和6年)現在は神社本庁の別表神社です。
高千穂神社は、宮崎県西臼杵郡高千穂町に位置し、神話と歴史が交錯する神聖な場所です。古くから「十社大明神」や「十社宮」と称され、1871年(明治4年)には「三田井神社」と改称され、1895年(明治28年)に現在の「高千穂神社」となりました。
高千穂神社の主祭神は、一之御殿の高千穂皇神(たかちほすめがみ)と二之御殿の十社大明神です。
高千穂皇神は、日本神話で知られる皇祖神とその配偶神(天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命、彦火火出見尊と豊玉姫命、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と玉依姫命)の総称です。
十社大明神は、神武天皇の皇兄である三毛入野命(みけぬのみこと)とその妻子神9柱の総称です。三毛入野命は、当地の伝承において高千穂に戻り、当時一帯を荒らしていた鬼神の鬼八(きはち)を退治したと伝えられています。
鵜目姫命は祖母岳明神の娘神であり、鬼八に捕らわれていたところを三毛入野命に助け出され、その後妃神となりました。
高千穂神社の創建は約1900年前に遡ります。古代よりこの地は神聖な場所とされ、多くの神々が祀られてきました。
高千穂は日向三代の宮である高千穂宮が置かれた地と伝えられ、天孫降臨伝承と在地の信仰が融合し、さらに熊野修験も加わるなど、多様な信仰を包含しています。社伝によれば、三毛入野命が祖神の日向三代を祀ったのが始まりで、三毛入野命の子孫が長らく奉仕していたと伝えられています。
中世には土持氏の勢力が入り、鎌倉時代中期までは熊野山領に組み込まれていました。鎌倉時代末期には高知尾氏に代わり島津氏が地頭となり、南北朝時代には阿蘇氏の勢力も進出し、社領や神事を巡る相論が頻発するようになりました。近世には延岡藩主からも崇敬を受け、社殿の造営や神事の支援が行われました。
1871年(明治4年)に県社とされましたが、宮崎県に改組された後、1873年(明治6年)に村社となり、戦後は神社本庁に参加し、1971年(昭和46年)に別表神社となりました。
高千穂神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」であれば、承和10年(843年)に無位から従五位下を授けられ、天安2年(858年)に従四位上に昇ったとされています。
例祭は4月16日に行われ、その年の豊作を祈る祭りです。槵觸神社との関連が深く、槵觸神社では秋に感謝祭を行います。神輿の巡幸が行われ、天真名井まで神輿が運ばれ、神楽が奉納されます。
11月22日から23日にかけて、夜を徹して高千穂の夜神楽全33番が奉納される「高千穂夜神楽まつり」が開催されます。境内の神楽殿では年間を通じて観光用の夜神楽が披露され、「手力雄」・「鈿女」・「戸取」・「御神体」の4番が実演されています。
旧暦12月3日に行われる猪掛祭は、鬼八の慰霊のために始められた祭りであり、かつては生贄として16歳の生娘を捧げていましたが、天正年間に猪を代わりに捧げるようになりました。祭りでは鬼八の魂を鎮めるための「笹振り神事」が行われ、鬼八は神へと昇華し「霜宮」として転生するとされています。
古文書には、神主家が代々奉仕してきたことが記されています。南北朝時代からは、高知尾庄を10の地区に分け、各地区に「宣命」という神官職が置かれ、阿蘇氏に属した三田井氏が補任していました。
高千穂神社の本殿は、五間社流造銅板葺という特有の建築様式で建てられています。この本殿は安永7年(1778年)、延岡藩主内藤政脩によって再建され、九州南部を代表する壮大な社殿として知られています。特に本殿の東側の彫刻には、鬼八を退治する三毛入野命の神像が刻まれ、地元の伝説や祭礼に基づいた彫物が施されています。また、西側には小祠が設けられており、これはこの地域特有の独自の形式として注目されています。
また、社殿周辺には多くの巨木が立ち並び、その荘厳な風景は神聖な雰囲気を醸し出しています。
この本殿は、地方色豊かな彫刻や構造の美しさから、国の重要文化財に指定されています。装飾の細部に至るまで躍動感が感じられる彫刻が施されており、その芸術的価値は非常に高いものです。参拝者は、この本殿を通じて、時を超えた信仰と芸術の結晶を感じることができるでしょう。
高千穂神社の境内には、複数の小さな神社や興味深いスポットが点在しています。それぞれの神社には固有の歴史や祈りが込められており、参拝者は多様な信仰の形に触れることができます。
荒立神社は、猿田彦大神と天鈿女命を祀っており、四皇子社には神武天皇とその兄弟である五瀬命、稲氷命、三毛入野命が祀られています。荒立神社は明治末年に同町の村社を合祀したもので、現在も元の地に復祀されています。これらの神社を参拝することで、古代の神々への祈りと歴史的な背景を感じることができます。
拝殿の前に立つ2本の大杉は、根元が1つであることから「夫婦杉」と呼ばれています。夫婦が手をつないでこの杉を3周すると、「夫婦円満」「家内安全」「子孫繁栄」の三つの願いが叶うと伝えられ、訪れる人々にとって特別な場所となっています。また、本殿の東後方にある「鎮石」は、垂仁天皇の命により社殿創建時に用いられた古石とされ、個人の悩みから世の乱れまでを鎮める力があると信じられています。この石に祈ることで、心の平安を得られるでしょう。
高千穂神社には、貴重な文化財が数多く保管されており、その歴史的・文化的価値は非常に高いものです。これらの文化財は、神社の歴史と信仰を物語る重要な証拠であり、訪れる人々に深い感銘を与えます。
高千穂神社の本殿は、安永7年(1778年)に再建されたもので、九州南部を代表する大規模な社殿建築として、国の重要文化財に指定されています。五間社流造の形式で建てられ、特に西側の縁には稲荷社が設けられている点が特徴的です。装飾には、地元の伝説や祭礼に基づいた彫物が施され、その美しさと意匠は非常に高く評価されています。
また、鎌倉時代に源頼朝が奉納したと伝わる鉄造狛犬も見どころの一つです。鋳鉄製の狛犬は、高さ約55cmで、当時の技術の高さを示す貴重な遺品です。この狛犬は、1971年に国の重要文化財に指定され、その鋳造技術と美しさから、多くの参拝者を魅了しています。
さらに、荒立神社にかつて祀られていた木造神像(男神坐像1躯、女神坐像1躯)も、現在は高千穂神社の宝物として保管されており、国の重要文化財に指定されています。これらの神像は、県指定の文化財として長く保護されてきましたが、2020年には国の重要文化財に昇格し、その価値が一層高まっています。
高千穂神社の周囲には、美しい自然が広がっています。神社の背後には高千穂峡があり、ここは美しい渓谷と滝が見られる人気の観光スポットです。高千穂峡では、ボートに乗って峡谷を巡ることができ、その美しさに多くの人々が魅了されます。また、神社周辺の森林は四季折々の風景が楽しめる場所としても知られています。
高千穂神社の周辺には、歴史や伝説に彩られた多くの史跡や名勝が点在しています。これらの場所を訪れることで、地域の歴史と文化を深く感じることができ、観光客にとって貴重な体験となるでしょう。
神社の近くに位置する高千穂峡は、宮崎県を代表する観光名所です。深い渓谷が織りなす自然美は、訪れる人々を魅了し、季節ごとに異なる風景を楽しむことができます。神話と自然が調和したこの場所は、写真撮影や散策に最適です。
高千穂神社には、地元の伝説に関連する鬼八塚という史跡があります。伝説によれば、十社大明神に退治された鬼八が再生して災害を引き起こしたため、体を三つに分けて再び葬られたと言われています。この鬼八塚は、首塚、胴塚、手足塚と呼ばれる三つの墓があり、地域に深く根付いた伝説を今に伝えています。
高千穂神社へのアクセスは、宮崎市内から車で約2時間半ほどです。また、公共交通機関を利用する場合は、JR宮崎駅からバスを利用して高千穂町に向かうことができます。高千穂町内には多くの観光スポットが点在しているため、訪れる際には複数の日程を計画することをおすすめします。
高千穂神社は、その神聖な歴史と美しい自然環境により、多くの人々に愛されています。神話の舞台となったこの地で、古代の日本の雰囲気を感じることができるでしょう。宮崎県を訪れた際には、ぜひ高千穂神社に足を運び、その魅力を堪能してください。
神楽殿 20:00~21:00
年中無休
無料
高千穂神楽 拝観 有料
高千穂バスセンターから徒歩で15分
高千穂バスセンターから車で3分