白石城は、宮城県白石市に位置する日本の平山城で、別名は益岡城(枡岡城とも呼ばれます)。現在、城跡は白石市の指定史跡として保存されています。この城は、伊達家の重臣であった片倉氏の居城として、約260年間にわたり重要な役割を果たしてきました。
白石城は中世には白石氏(刈田氏)の居館であり、戦国時代末期には何度か城主が変わりました。関ヶ原の戦いの後、江戸時代には仙台藩の家臣である片倉氏の居城となり、九州の八代城と並んで江戸幕府の一国一城制の対象外とされ、明治維新まで存続しました。現在見られる三階櫓や門は、1995年(平成7年)に史実に忠実に復元されたもので、「続日本100名城」にも選ばれています。
白石城は、明治7年に解体されるまで、仙台藩の南の要衝としてその役割を果たしてきました。この城は、伊達政宗の片腕として名高い片倉小十郎景綱の居城であり、その偉業を偲ぶために三階櫓(天守閣)や大手一ノ門・大手二ノ門が復元されました。片倉氏がこの城を居城とした約260年間、白石城はその歴史的価値を高め続けました。
現在の白石城は、復元された建物や遺構が訪れる人々を魅了しています。城内では四季折々のイベントが開催され、特に西側に広がる蔵王連峰の眺望が美しいと評判です。夏には、涼しい風が城を通り抜け、訪れる人々に快適なひとときを提供します。訪問者は城の主になった気分で、この歴史的な場所を楽しむことができます。
白石城は、奥羽山脈と阿武隈高地に囲まれた白石盆地の北端に位置し、標高76メートルの地点に築かれています。市街地との高低差は約20メートルで、北方約1キロメートルを白石川が流れています。この地域は、近世まで陸奥国刈田郡に属し、現在は宮城県白石市となっています。
江戸時代、白石城の城下町を奥州街道が南北に縦断しており、北方面は仙台、南方面は福島・江戸へと通じていました。また、西へは米沢、東へは相馬へと通じる道もあり、白石城は交通の要衝として重要な役割を果たしていました。
白石城は、丘陵の頂上に本丸、二の丸、中の丸、西曲輪を配置し、さらに中段には沼の丸、南の丸、巽曲輪、帯曲輪、厩曲輪があり、平地部分には三の丸、外曲輪を持つという六丸五曲輪の複雑な構成を持っていました。本丸には大櫓(三階櫓)があり、正保年間の絵図には二階櫓が描かれていましたが、寛文年間には三階櫓が描かれています。この変遷は、二階櫓から三階櫓に改造された可能性を示唆していますが、調査報告書によれば、当初から三階櫓であった可能性が高いとされています。この三階櫓は天守の代用であり、藩の支城として幕府に配慮して「大櫓」と名付けられました。
現在、白石城の遺構としては、厩口門が延命寺の山門として移築されており、また、東口門が当信寺の山門として移されています。その他、上屋敷の門であったかもしれないものが名取市の耕龍寺の山門に、奥方御門だったかもしれないものと煙硝蔵が市内の個人宅に移築されています。これらの建物の一部や、城の土塁は当時のまま残されており、白石城の歴史を今に伝えています。
4月~10月 9:00~17:00
11月~3月 9:00~16:00
12月28日~12月31日
白石城
一般 400円
小学・中学・高校生 200円
未就学児童 無料
立体ハイビジョンシアター
(歴史探訪ミュージアム 3階)
一般 400円
小学・中学・高校生 200円
未就学児童 無料
武家屋敷
一般 200円
小学・中学・高校生 100円
未就学児童 無料
共通券
一般 800円
小学・中学・高校生 400円
未就学児童 無料
電車:
白石(宮城県)駅出口から徒歩約12分
白石蔵王駅出口から徒歩約24分
車:
東北自動車道 白石ICより約10分