白神岳は、青森県西津軽郡深浦町に位置する標高1,235メートルの名峰であり、世界遺産・白神山地の象徴的な山のひとつです。日本二百名山にも選定されており、豊かな自然環境とともに、多くの登山者や自然愛好家を惹きつけています。山頂には一等三角点(1,231.9メートル)が設置され、周囲の白神山地の雄大な風景を一望できる絶景スポットとして知られています。
白神岳の山頂付近は森林限界を超えた偽高山帯となっており、開けた稜線からは白神山地の核心部を望むことができます。山頂には避難小屋とトイレが整備されているため、登山者にとって安心できる環境が整っています。山頂から北東約4キロメートルの場所には標高1,250メートルの向白神岳があり、こちらが白神山地の最高峰とされています。ただし登山道はなく、古くは白神岳を「男嶽」、向白神岳を「女嶽」と呼び、一対の山として信仰されてきたという説も残されています。
白神岳の山頂は南北に約1キロメートル続く馬の背状の稜線の南端に位置しています。ここには登山家・長谷川恒男が1984年に地元の子どもたちとともに建てた標柱が立ち、登山の歴史を物語っています。山頂周辺には珍しい水場があり、涸れることがないとされる「種蒔苗代池」や、岩場に形成された風吹穴と呼ばれる天然の風穴も存在します。また、祠には白神大権現が祀られ、古くから山岳信仰の対象ともなってきました。夏の草地には高山植物が咲き誇り、訪れる登山者の目を楽しませています。
白神岳の山頂には白神岳避難小屋が設置されており、多くの登山者の休憩や宿泊の場となっています。1985年に地域住民や行政の協力によって建設され、総ヒバ造り3階建て、約30人を収容可能な堅固な建物でした。その後、老朽化が進んだため、2019年にふるさと納税を活用した修復プロジェクトが行われ、約3,410万円の資金が集まり新たに建て替えられました。新しい避難小屋は「白神岳大周満天避難小屋」と命名され、深浦町の象徴的な施設として登山者を迎えています。
山頂は天候が変わりやすいため、この避難小屋は登山者の安全を守る重要な拠点です。また、トイレも併設されており、環境保全の観点からヘリコプターによる定期的なし尿搬出が行われています。山岳信仰の名残や地元の人々の思いが込められた避難小屋は、白神岳の登山文化を象徴する存在といえるでしょう。
白神岳が歴史的に記録された最も古い資料は、1645年に弘前藩が幕府へ提出した「陸奥国津軽郡之絵図」で、その中で「しらかみの嶽」と表記されています。また、紀行家・菅江真澄は「白上山」「白髪山」とも記し、雪形が「上」の字に見えることからその名がついたとも考察しています。
白神岳は地元住民にとって信仰の山でもありました。旧暦8月1日には大間越の人々が登山し、山頂で祈りを捧げる風習が続けられてきました。また、「白神岳と岩木山は姉妹の山である」という伝説も伝わり、地元の文化や信仰に深く結びついています。さらに、山頂近くの水場の水は御神水として大切に扱われ、世界遺産登録記念式典の際には広島・原爆ドームへ献水されたこともあります。
もっとも一般的なルートで、JR白神岳登山口駅からおよそ5時間30分で山頂に至ります。道中はブナ林が続く「ブナ街道」が魅力で、森林浴を楽しみながら登山ができます。距離は6.5キロメートルほどですが、整備されており安心して登れるルートです。
古くから地元住民に利用されてきた伝統の登山道です。全長5.3キロメートルと短いものの、川を渡ったり急坂を直登したりと難易度が高いルートです。標高780メートル地点には「姥石」と呼ばれる岩があり、かつてはここまで一気に登れない者は登山の資格がないとされた厳しいしきたりも伝わっています。
十二湖や青池から山頂を目指すルートで、観光要素も強いコースとして整備されました。しかし現在は藪が繁茂しており事実上廃道となっています。安全性の観点から、一般登山者にはおすすめできないルートです。
白神岳は津軽地方に吹くやませ(東風)の冷害を防ぐ「盾」としても地域に恩恵を与えてきました。1993年の記録的冷害の際、津軽平野が大きな被害を受ける一方で、白神岳西側の地域は平年並みの収穫があったといわれています。このことからも、白神岳は自然環境だけでなく、人々の暮らしを守る存在として大切にされてきたことがうかがえます。
白神岳は、世界遺産白神山地の象徴であり、自然の美しさと歴史、そして信仰の対象としての側面を併せ持つ特別な山です。登山道は複数あり、ブナ林を歩きながら自然の豊かさを満喫できる一方で、厳しい登山道も残されています。山頂から望む景色や、山岳信仰にまつわる祠、避難小屋の存在など、訪れる人にさまざまな感動を与える場所です。深浦町を訪れる際には、この白神岳の大自然と歴史に触れる登山を計画してみてはいかがでしょうか。