佐原の大祭の概要
二層構造の山車と大人形の魅力
佐原の大祭では、二層構造の山車が市街地を練り歩きます。上段(大天上)には、歴史上の人物を模した大人形や、地元町内で制作された大きな飾り物が飾られ、下段(中天上)には囃子を演奏する「下座連(げざれん)」が乗り込み、佐原囃子を奏でながら町内を巡ります。
また、山車の前では「手古舞(てこまい)」の流れをくむ華やかな手踊りが披露され、観客を魅了します。山車の側面や屋台には、獅子や龍、三国志などを題材にした美しい彫刻が巡らされ、芸術的な見どころも満載です。
本宿と新宿の二大祭礼
佐原の市街地を流れる小野川を境に、東側を「本宿(ほんじゅく)」、西側を「新宿(しんじゅく)」と呼び、それぞれが異なる神社の祭礼を担っています。
- 本宿地区:八坂神社の祇園祭(山車10台)
開催時期:7月10日以降の金・土・日曜日 - 新宿地区:諏訪神社の秋祭り(山車14台)
開催時期:10月第2土曜日を中日とする金・土・日曜日
佐原の大祭の歴史
佐原は、江戸時代以降、利根川の舟運によって繁栄した河岸(かわぎし)の町として発展しました。そのような背景の中、享保年間には江戸の祭礼文化の影響を受け、山車と囃子を中心とする祭礼が盛んに行われるようになりました。
大人形の誕生と広がり
当初、飾り物は各町内が趣向を凝らして自作していましたが、江戸時代末期には関戸区で大人形の飾り物が初登場し、その後は江戸の人形師に依頼するようになります。佐原の山車と囃子の文化は、周辺地域—小見川、東庄、多古町、茨城県の潮来市や鹿嶋市など—にも広がりを見せ、「佐原を中心とする山車文化圏」を形成しています。
文化遺産としての評価
- 2004年:「佐原の山車行事」が国の重要無形民俗文化財に指定
- 2016年: ユネスコ無形文化遺産に登録
新型コロナによる中止
2020年・2021年には新型コロナウイルス感染拡大防止のため、夏祭り・秋祭りともに2年連続で中止となりました。地域の伝統を守る苦渋の決断となりましたが、祭りへの思いは変わらず今に引き継がれています。
祭りを支える組織体制
年番制度
本宿・新宿それぞれの祭りは、「年番(ねんばん)」と呼ばれる町内が3年交代で取り仕切ります。年番を務める町内は、前年度の「前年番」、次年度の「後年番」とあわせて「前後三町(ぜんごさんちょう)」と呼ばれ、協議によって祭り全体の運営を行います。
年番の引き継ぎが行われる年の祭りは「本祭(ほんさい)」と呼ばれ、それ以外の年は「例祭(れいさい)」とされています。
町内組織
町内ごとに以下のような組織があり、祭りを運営しています。
- 区長:町内の代表
- 古役:過去に当役を経験した者
- 当役:若連経験者の中から選出され、運営を担当(約10人)
- 若連(若衆):実際に山車を曳く若者の集団
山車の曳き廻しと技法
例祭における曳き廻し
年番引き継ぎ行事がない「例祭」では、町内ごとにルートを定め、「乱曳き(らんびき)」や、見せ場となる「曲曳き(きょくびき)」が行われます。特に曲曳きは佐原の大祭の見どころの一つです。
代表的な曲曳きの技法
- のの字廻し:前輪を軸に山車を時計回りに回転
- こばん廻し:楕円形を描くように曳き回す
- そろばん曳き:直線的に緩急をつけて往復する
本祭における番組行事
「本祭」では、全町内の山車が年番町を先頭に順列を組み巡行し、所定の位置に並びます。下座連による通し演奏「砂切(すなきり)」が行われるなど、格式ある番組行事が執り行われます。
佐原の観光拠点
水郷佐原山車会館
水郷佐原山車会館(すいごうさわらだしかいかん)は、八坂神社境内にある展示観光施設で、本物の山車を常時2台展示しています。大人形や彫刻を間近で見ることができ、佐原の祭りの迫力と美しさを一年中体感できます。
八坂神社(本宿)
八坂神社は、佐原・本宿地区の総鎮守であり、祇園祭の舞台となる神社です。江戸時代前期に現在地に遷座され、浜宿口と八日市場口という二つの正門を持つ独特の構造をしています。境内には水郷佐原山車会館が併設され、観光にも最適です。
諏訪神社(新宿)
諏訪神社は、秋の「新宿秋祭り」の中心となる神社で、藤原純友を討った功績で下総国の領主となった大神惟季が、信濃国の諏訪大社を勧請して創建しました。現在の社殿は嘉永6年(1853年)に造営された歴史ある建物です。
まとめ
佐原の大祭は、地域住民の誇りと情熱によって支えられてきた貴重な伝統文化です。山車の豪華絢爛さ、囃子の音色、人々の熱気が一体となった祭礼は、見る者の心を動かします。関東三大祭りの一つとして、そして世界無形文化遺産として、今後もその魅力は多くの人々に語り継がれていくでしょう。