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香取神宮

(かとり じんぐう)

勝利と開運を祈願!関東屈指のパワースポット

香取神宮は、千葉県香取市にある由緒ある神社です。式内社(名神大社)、下総国一宮であり、旧社格は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社に指定されています。

日本神話と歴史に深く根ざし、特に武道の神や平和の守護者として信仰されています。香取神宮は、自然に囲まれた神聖な場所であり、訪れる人々に荘厳な雰囲気を与えています。この神社は、千年以上の歴史を持ち、神域とされる美しい自然環境と壮麗な社殿を誇ります。

香取神宮の概要

香取神宮は、関東地方にある香取神社の総本社として、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮や茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社とされています。また、宮中の四方拝(しほうはい)で遥拝される重要な神社の一つでもあります。香取神宮は千葉県北東部に位置し、利根川の下流右岸にある亀甲山(かめがせやま)と呼ばれる丘陵の上に鎮座しています。

歴史的背景

神社の主祭神は、日本神話で大国主の国譲りに関わった経津主神(ふつぬしのかみ)です。香取神宮は古くから朝廷や武家の信仰を集め、平定神としての役割を果たしてきました。また、武道の分野からも厚い信仰を受けています。現在でも多くの文化財が保存されており、特に唐代の海獣葡萄鏡は国宝に指定されています。その他にも江戸時代の本殿や楼門、平安時代の鏡、中世の古瀬戸狛犬などが重要文化財として指定されています。

祭神とその由来

主祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、日本神話において大国主神との国譲りの際に活躍した神です。彼の由来については『日本書紀』や他の文献に記されています。フツヌシは天孫降臨に先立ち、葦原中国平定のために派遣された神として、鹿島神宮の主祭神であるタケミカヅチと共に出雲国へ赴き、大己貴命(おおなむちのみこと)との交渉を行いました。

フツヌシの性格と信仰

フツヌシはその軍神・武神としての役割から、刀剣の神としても崇敬されています。また、古くは航海の守護神としても祀られました。彼の名前にある「フツ」は、刀剣の鋭さを象徴するとされており、戦の神としての象徴的な存在です。

香取神宮と鹿島神宮の関係

歴史的なつながり

香取神宮と鹿島神宮は、古来より深い関係にあり「鹿島・香取」と並び称されてきました。これらの神宮は、古代の関東東部に存在した「香取海」という内海を見守る地勢的に重要な神社であり、朝廷から蝦夷(えみし)への遠征拠点としても機能しました。両神宮の神威が軍神として信仰された背景には、この地理的要因も大きな役割を果たしていたと考えられます。

朝廷からの崇敬

朝廷は両神宮を非常に重要視しており、鹿島香取使と呼ばれる勅使を定期的に派遣していました。このような待遇は、他に宇佐神宮を除くと非常に稀で、鹿島神宮・香取神宮はその神聖さを象徴する特別な存在であったことがわかります。

香取神宮の歴史

香取神宮の創建は神武天皇の時代(紀元前660年頃)とされています。詳細な歴史は不明ですが、奈良時代にはすでに分祠が行われていた記録があり、それ以前の時期から信仰の対象となっていたと考えられます。奈良時代には藤原氏が香取神宮を氏神として崇拝し、春日大社の創建時には香取神から経津主神が勧請されています。

中世の崇敬と武家との関係

平安時代以降、香取神宮は武神として武家からも信仰を集め、源頼朝や足利尊氏からの寄進もありました。中世には千葉氏による神領の侵犯もありましたが、最終的には徳川家康の庇護のもとで1,000石の朱印地が与えられ、江戸時代には大規模な造営が行われました。現在の本殿や楼門は、この江戸時代に建てられたものです。

香取神宮の境内と自然

亀甲山(かめがせやま)と自然の豊かさ

香取神宮が鎮座する「亀甲山(かめがせやま)」は、その独特な地形からその名がつけられました。山の形状は中央が低く周囲が高い亀甲に似ており、この神聖な場所には多くの木々が生い茂っています。

神宮の境内は、神域として厳重に保護されており、手付かずの自然が残されています。特にスギの巨木が多く、他にもイヌマキ、モミ、クロマツなどの大木が自生しています。高木層のみならず、亜高木層、低木層、林床にも多種多様な植物が生育しており、この地域は千葉県指定の天然記念物に指定されています。

スギの老令林

香取神宮の境内に広がるスギの老令林は、県内でも有数の貴重な自然環境です。この神域では、多くの樹木が長い年月を経て成長しており、参拝者は荘厳な木々の間を通り抜けることで、神聖な空気を感じることができます。訪れる人々は、この自然の美しさと静けさに癒されることでしょう。

香取神宮の社殿

歴史的な社殿の造営

香取神宮の現在の主要な社殿は、江戸時代の元禄13年(1700年)に、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の命によって造営されました。この時、本殿・拝殿・楼門が整えられましたが、昭和11年(1936年)から昭和15年(1940年)にかけて大規模な修築が行われ、拝殿は祈祷殿として現在使用されています。

この昭和の大修築において、幣殿や神饌所も造営され、主要な社殿は権現造の形式をとっています。本殿・楼門は国の重要文化財に指定され、旧拝殿(現在の祈祷殿)は千葉県指定文化財に、現拝殿は国の登録有形文化財として登録されています。

本殿の特色

本殿は元禄13年(1700年)に造営され、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)で、南向きに建っています。この形式の社殿としては最大級の規模であり、前面の庇を室内に取り込む独特の設計が特徴です。壁や柱は黒漆塗りで、黒を基調とした荘厳な外観を持っています。

また、本殿の形式は、かつて神宮に存在した「アサメ殿」を継承していると考えられ、通常の両流造とは異なり、神座が背面の庇部分にあるという特殊な設計がなされています。これは、他の神社ではあまり見られない特徴であり、香取神宮の歴史的価値をさらに高めています。

拝殿・幣殿・神饌所

拝殿、幣殿、神饌所は昭和の大修築により造営されたもので、木造平屋建て、檜皮葺となっています。拝殿は千鳥破風(ちどりはふ)を持つ美しい建物で、黒漆塗りの柱や極彩色の装飾が施されています。これにより、拝殿は本殿と調和した荘厳な外観を持っています。

楼門

楼門は、元禄13年に造営され、三間一戸(さんげんいっこ)、入母屋造(いりもやづくり)の形式を持ちます。屋根は現在銅板葺となっていますが、当初は栩葺(とちぶき)でした。丹塗(にぬり)の柱や壁が特徴的で、楼門内には武内宿禰(たけのうちのすくね)と藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の像が祀られています。

また、楼上には東郷平八郎の筆による額が掲げられており、この楼門は香取神宮のシンボル的な存在となっています。

祈祷殿(旧拝殿)

祈祷殿は、元禄13年に拝殿として造営されましたが、昭和の大修築に伴い、現在の場所に移築されました。入母屋造、銅板葺で、丹塗の柱や壁が特徴です。大規模な拝殿として、彫刻や装飾が豊かに施されており、当時の様式を今に伝えています。

香取神宮のその他の建物と文化財

神庫と神徳館

神庫は明治42年(1909年)に造営され、木造の校倉造(あぜくらづくり)で香取市指定文化財に指定されています。また、神徳館は昭和36年(1961年)に旧大宮司邸跡に建てられ、勅使門(ちょくしもん)は旧大宮司邸の表門を転用したもので、天明元年(1781年)に造営されました。この門も、千葉県指定文化財に指定されています。

香雲閣と要石

香取神宮の北東には、明治29年(1896年)に造営された香雲閣(こううんかく)があります。これは国の登録有形文化財に指定されており、その美しい佇まいは参拝者の目を引きます。

また、香取神宮の境内西方には、要石(かなめいし)と呼ばれる霊石が存在しています。この石は、地震を鎮めるために設けられたもので、古くからの伝承によると、地中にいる大鯰(おおなまず)を抑えるための石だと言われています。鹿島神宮には凹型の要石があり、香取神宮の凸型の要石と共に、大地を鎮める重要な役割を果たしていると信じられています。

香取神宮の御神木と歴史的な木々

御神木と伝説の杉

香取神宮には、御神木として拝殿前に立つ樹齢1,000年の大杉が存在します。また、かつては斥候杉(ものみのすぎ)と呼ばれる杉があり、これは源頼義が戦の際に斥候を登らせたと伝えられています。

三本杉と木母杉

さらに、源頼義が「天下太平、社頭御栄、子孫長久」を祈願して三又に分かれたとされる三本杉があり、その歴史的な背景から多くの参拝者が訪れます。現在は一本が枯死していますが、残りの杉は今も力強く立っています。また、木母杉は、徳川光圀が「境内の杉の母木」として名付けたものでしたが、現在は枯死しています。

大正天皇と常陸宮手植の松

香取神宮には、大正天皇手植の松常陸宮手植の松も存在しており、これらの木々は歴史的な価値が高いものとされています。大正天皇は、明治44年に皇太子時代に参拝した際に松を植え、常陸宮正仁親王も昭和41年に参拝した際に手植えを行いました。

香取神宮の象徴的な場所

神池と桜馬場

神池桜馬場など、香取神宮の境内には美しい自然が広がり、訪れる人々に癒しを与えます。桜馬場からは、筑波山や鹿島山、香取ヶ浦などが見渡せ、景色を楽しむことができます。

鹿苑と雨乞塚

2015年には、香取の鹿愛護会によって神鹿が譲渡され、鹿苑で飼育されています。また、雨乞塚は、天平4年(732年)の旱魃の際に雨乞いが行われた場所とされています。香取神宮は、自然と歴史、神話が一体となった神聖な空間であり、参拝者はここで心静かに祈りを捧げることができます。

参道と周辺の歴史的な景観

表参道と鳥居

香取神宮へは二つの参道があり、それぞれに鳥居が設けられています。表参道は旧佐原市の中心部から続く道で、県道55号に沿っています。一の鳥居から二の鳥居までは約1.6キロメートルの距離があり、参拝者が歩いて境内に向かう道です。

利根川岸の浜鳥居

もう一つの参道は、利根川岸にある浜鳥居から始まります。この鳥居は、香取神宮の祭神がここから上陸したという伝承に基づいて建てられました。かつては、この鳥居が表参道の起点でした。現在も、式年神幸祭ではこの浜鳥居から神輿が御座船に乗せられ、神事が行われています。

周辺の見どころ

浜鳥居周辺には、往時の舟運の繁栄を示す常夜燈や、与謝野晶子の歌碑などが残されています。また、参道の終点では、二の鳥居から楼門へと続く道が現在の表参道となっています。

香取神宮の文化財

本殿と楼門

香取神宮の本殿や楼門は江戸時代の元禄期に再建されたものであり、現在でもその美しい姿を見ることができます。これらの建造物は国の重要文化財に指定されており、訪れる人々にその歴史的価値を伝えています。

国宝と重要文化財

香取神宮には多くの文化財が現存しており、中でも唐代の海獣葡萄鏡は国宝に指定されています。また、平安時代に作られた鏡や、中世の古瀬戸狛犬も重要文化財として保存されています。これらの文化財は、香取神宮の長い歴史とその神聖な役割を物語る貴重な遺産です。

香取神宮の祭祀と職制

祭祀の中心人物

香取神宮の祭祀は、古くから香取氏と呼ばれる一族が中心となって行っていました。香取氏はフツヌシの神裔を称し、神宮の祭祀を担ってきました。特に大中臣氏が平安時代末期から中世にかけて香取神宮の神官を務めており、藤原氏の強い影響を受けていました。

社領と神領

香取神宮の鎮座する香取郡は、古くから神郡として神宮の領地に指定されていました。中世には千葉氏や他の武家による領地侵犯がありましたが、最終的には徳川家康によって保護され、江戸時代には神宮領として1,000石が与えられました。

香取神宮の現代における役割

武道との関わり

香取神宮は古代から武神として信仰されており、現代でも武道の神として篤い信仰を集めています。道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた掛軸が掲げられ、武術を志す人々にとっての精神的な拠り所となっています。

観光地としての魅力

香取神宮は、その豊かな歴史と文化財、そして美しい自然環境に恵まれた観光スポットとしても知られています。参拝者は、神々しい空間で心静かに祈りを捧げ、自然の美しさを楽しむことができるでしょう。訪れる人々は、歴史的な建造物や文化財を通じて、古代から現代に至るまでの香取神宮の歴史に触れることができます。

Information

名称
香取神宮
(かとり じんぐう)
Katori Jingu Shrine
リンク
公式サイト
住所
千葉県香取市香取1697-1
電話番号
0478-57-3211
アクセス

佐原駅からバスで15分

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