桃林寺は八重山列島で最も古い仏教寺院の1つで、1614年には琉球王国第二尚氏王朝7代目国王の尚寧王によって鑑翁西堂を開山として創建されました。
境内には権現堂があり、熊野権現(伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊)が祀られています。
御神体の銅鏡は1772年に鋳造され、沖縄県内で最も古いものの1つです。桃林寺本堂と権現堂の屋根は当初茅葺きでしたが、後に瓦葺きになりました。
桃林寺は、明和の大津波(1771年)で建物が破壊されたが、翌年に再建され、権現堂も1786年に再建されました。仁王像2体は流されましたが、崎枝湾の海岸で発見されたそうです。
1881年(明治14年)に改築され、現在の本堂は1968年(昭和43年)に改築されたものです。
権現堂は、第二次世界大戦で大破したが、1947年(昭和22年)に修復されました。2006年には台風の被害があり、権現堂神殿が破損、年間保存修理を行いました。
山門には重山列島産のオガタマノキで1737年に作られた現存最古の木彫像である左右一対の桃林寺仁王像が知られています。左が金剛力士像、右が密迹力士像です。
### 歴史
1614年、薩摩藩から八重山への社寺建築の進言を受けた琉球王国第二尚氏王朝の7代目国王、尚寧王によって創建されました。この時、隣地には権現堂も創建されました。首里にあった臨済宗妙心寺派の円覚寺の住僧、鑑翁西堂は本尊の銅造観音像と権現堂の御神体である宝鏡三面を持参し、住持となりました。
1713年に成立した『琉球国由来記』には、桃林寺は円覚寺の末寺、権現堂は波上宮の末社と記されています。
### 建築
桃林寺本堂および権現堂の屋根は当初茅葺きでしたが、1694年に桃林寺本堂が、1703年には権現堂も瓦葺きに葺き替えられました。1736年から翌年にかけて桃林寺の境内が拡張され、仏殿が建立され、1737年には山門の仁王像が制作されました。
### 大津波の被害と再建
1771年の八重山地震による津波(明和の大津波)で桃林寺および権現堂の建造物が流失しましたが、桃林寺は1772年に、権現堂も1786年に再建されました。津波で多くの仏像が流されましたが、文殊菩薩像および仁王像2体は崎枝湾の海岸に打ち上げられているのを発見されました。
### 改宗の申し入れと拒否
1782年、鹿児島の真言宗寺院大乗院が首里王府の三司官に当寺を真言宗の寺院とするよう申し入れましたが、王府側は創建以来臨済宗であり、改宗は民心を不安にさせるとしてこれを断りました。
### 権現堂の歴史
権現堂には熊野権現(伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊)が祀られています。現存する御神体の銅鏡は1772年に鋳造されたもので、沖縄県内で最も古いものです。
### 本堂の改築
桃林寺は1881年(明治14年)に改築されました。1933年(昭和8年)の台風で山門や仁王像が被害を受けましたが、1937年(昭和12年)までに修復されました。現在の桃林寺本堂は1968年(昭和43年)に改築されたものです。
### 権現堂の改修
権現堂は1882年(明治15年)に神殿を改修しました。第二次世界大戦で大破しましたが、1947年(昭和22年)に修復されました。1972年(昭和47年)には権現堂神殿の解体修理および拝殿の屋根葺替・部分修理が行われました。2006年(平成18年)には台風13号の影響で権現堂神殿が破損しましたが、文化庁の国庫補助を受けて2年間にわたる保存修理が行われ、2008年に完了しました。
### 県指定文化財
#### 桃林寺仁王像
1737年に久手堅昌忠によって八重山列島産のオガタマノキで作られた沖縄県で現存最古の木彫像です。山門に向かって左が金剛力士像、右が密迹力士像です。1771年の明和の大津波で流されましたが、崎枝湾の海岸で発見されました。手足が破損し蔵元で保管されていましたが、大浜善巧によって修復されました。1956年(昭和31年)に琉球政府重要文化財に指定され、本土復帰後に沖縄県指定有形文化財となりました。
### 重要文化財(国指定)
#### 権現堂
1981年(昭和56年)6月5日に指定されました。所有者は石垣市です。権現堂の神殿は三間社流造で本瓦葺です。牡丹を浮彫りにした棒状の肘木、波と鬼が彫られた板蟇股、唐獅子が嵌め込まれた登高欄など、本土の神社建築には見られない独特の意匠を持っています。明和の大津波後の1786年に再建されました。
#### 拝殿
桁行三間、梁間二間で一重、寄棟造、本瓦葺です。現存する建物は1786年に再建されたものですが、1882年の神殿改修の際に建て替えられた可能性も指摘されています。
#### 附表門
一間薬医門で切妻造、本瓦葺です。桃林寺山門とは異なる門です。
石垣港から徒歩で15分