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備後一宮 吉備津神社

(びんご いちのみや きびつ じんじゃ)

古代吉備国の栄光を今に伝える荘厳な神社

備後一宮 吉備津神社は、806年に創建されたと伝えられる古社で、備後国の一の宮としての歴史を持つ神社です。地元では「一宮さん(いっきゅうさん)」の愛称で親しまれており、地域の人々にとって重要な存在です。

神社の位置と歴史

この神社は、福山市の北西部、府中市との境界に位置し、備後国の総鎮守としての役割を果たしてきました。府中市は備後国の国府があった地とされ、周辺地域はかつての備後国の中心地として栄えていました。そのため、吉備津神社は、地域の歴史と深く結びついています。

社殿の建築と文化財

吉備津神社の本殿と拝殿は、1648年に武将・大名である水野勝成によって造営されました。これらの建造物は、江戸時代初期に建てられたものでありながら、室町時代の風格と桃山時代の彫刻美を兼ね備えた傑作です。これらの建物は、国の重要文化財に指定されています。

境内の文化財

神社の境内や隣接する櫻山城跡・鳶尾城跡は、国の史跡に指定されており、また神社内には、木造の狛犬や太刀などが国の重要文化財として保存されています。これらの文化財は、吉備津神社の長い歴史と文化的価値を物語っています。

御池

吉備津神社の正面には、県道26号線を挟んで「御手洗池(みたらしいけ)」が広がっています。現在、この池は埋め立てられ、かつての3分の1程度の大きさに縮小されていますが、それでもなお神社の御手洗池としては国内最大級の規模を誇ります。池には、総石造りの太鼓橋が架かり、その壮麗な姿が訪れる人々を魅了します。

正中光

吉備津神社では、2月と9月に「正中の光」という神秘的な現象が見られます。この現象は、朝日がご神体に反射し、正中を貫いて光が石鳥居手前まで届くというもので、まさに神秘の瞬間です。光は、拝殿、神楽殿、上随身門、下随身門などの建造物を経て、約100メートル先の石鳥居手前まで到達します。この光景は、吉備津神社の神聖さを象徴するものと言えるでしょう。

吉備津神社の歴史的背景

吉備津神社は、古くから備後国の総鎮守として重要な役割を果たしてきました。府中市が国府の所在地であったため、この地域はかつての備後国の中心地とされており、神社はその歴史的な背景の中で繁栄してきました。

社殿の建築とその時代背景

1648年に水野勝成によって造営された本殿と拝殿は、江戸時代初期に建てられたものでありながら、室町時代の風格と桃山時代の彫刻技術を兼ね備えています。これらの社殿は、その時代の建築技術の粋を集めたものであり、現在もその美しさを保ち続けています。

境内と周辺の文化財

吉備津神社の境内や隣接する櫻山城跡・鳶尾城跡は、国の史跡に指定されており、これらの史跡は、神社の歴史的価値をさらに高めています。また、神社内には、木造の狛犬や太刀などが保存されており、これらは国の重要文化財として大切に保管されています。

御池と太鼓橋

吉備津神社の正面に広がる御手洗池は、国内最大級の規模を誇り、池に架かる総石造りの太鼓橋は、その壮麗な姿で訪れる人々を魅了しています。この太鼓橋は、神社の歴史と文化を象徴する重要な建造物です。

正中光の神秘

吉備津神社で見られる「正中の光」は、神社の神秘性を象徴する現象であり、毎年2月と9月に訪れる人々に感動を与えています。この現象は、朝日がご神体に反射し、正中を貫いて光が石鳥居手前まで届くというもので、まさに神秘の瞬間です。

まとめ

吉備津神社は、その歴史と文化的価値において、日本の神社の中でも特に重要な存在です。神社の建物や境内には、多くの国の重要文化財や史跡があり、それらは神社の長い歴史と深い文化的背景を物語っています。吉備津神社は、地元の人々にとって親しみ深い存在であり、訪れる人々にとっても、神秘的で荘厳な場所となっています。

Information

名称
備後一宮 吉備津神社
(びんご いちのみや きびつ じんじゃ)
Bingo Ichinomiya Kibitsu Shrine
リンク
公式サイト
住所
広島県福山市新市町宮内400
電話番号
0847-51-3395
アクセス

JR「福塩線」新市駅から徒歩で20分 *タクシー5分
山陽道福山東ICから車で25分
山陽道福山西ICから車で25分
尾道松江道尾道北ICから車で25分

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