鬼ヶ城は、国の名勝・天然記念物に指定された海岸景勝地です。熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞が、地震による隆起によって階段上に並び、熊野灘に面して約1.2km続いているのが特徴です。荒波と隆起によって造り出された奇岩奇勝は、まさに自然の彫刻芸術と言えます。
鬼ケ城は、熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞が、地震による隆起によって階段状に並び、約1.2kmにわたって続いています。志摩半島から続くリアス式海岸の最南端に位置し、ここから南はなだらかな砂浜の七里御浜へと変わります。
1935年(昭和10年)に国の天然記念物に指定され、1958年(昭和33年)には獅子巌が追加されて「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」として名勝および天然記念物に指定されました。また、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年登録)の一部であり、日本百景にも選ばれています。
鬼ケ城本城
鬼ケ城の山頂には、室町時代(1523年頃)に有馬忠親が隠居城として築いた城跡があります。この城は後に堀内氏により滅ぼされましたが、堀内氏は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いまでこの地を治めていました。山頂と熊野古道の松本峠を結ぶハイキングコースには、3本の掘切が今でも残っています。
ハイキングコースと桜
鬼ケ城の東口から山頂へ通じるハイキングコースには桜が植えられており、春には4種類の桜が次々と開花し、長期間花見を楽しむことができます。山頂にある「鬼の見晴台」と呼ばれる展望台からは、熊野灘の素晴らしい景色が一望できます。
坂上田村麻呂伝説
坂上田村麻呂が桓武天皇の命を受け、鬼と恐れられこの地を荒らし回っていた海賊・多娥丸(たがまる)を征伐したという伝説があります。